■tos | ナノ
─は、戦禍に涙す


「ミトス、ミトス起きて」
 潜められた声と、身体へ添えられた柔らかい手の平の感触に、ミトスはゆるゆると瞼を押し上げた。寝起きで上手く焦点の合わない視界には、それでも薄暗い室内を映し出していた。
 大国同士の国境線より少しずれた集落に、姉弟は訪れていた。否、逃げてきた、といった方が正しいのかもしれない。テセアラから国境を越えてシルヴァラントへ。より差別の少ない国から少しずつ人々へ訴えかけようと。睨み合いの続く国境線を抜けて、姉弟はシルヴァラント入りを果たしていた。
 緊張状態の続く、いわば最前線に位置する集落のやや外れに森が見える。そこへは未だ経営している宿屋がある、と村人から話を聞けたのは二人にとってとても幸運なことであった。戦線付近の集落といえば、その多くは燃料や食糧の殆どに至るまでを根こそぎ軍への支給品として持って行かれ、宿や店は経営することが困難となる。だからこそ、この集落へと足を踏み入れた時、その宿が未だ経営状態にあると聞き、本当に驚いたのだった。
 最も、決していい宿とは到底言えず、客室のベッドも一つきりで、ガラス製の火屋の中には燃料も無く。明かりといえばカーテンの外された窓から入り込む月明かりのみである。
 ただ、長旅が続き疲れ果てていた姉弟にとっては、安心して眠れるベッドだけでも有り難かった。
「どうかしたの、姉様」
 不安そうな目をした姉のマーテルに、ミトスはつられるように声を潜めて身を起こした。添えられていた手はそっと握って、己の元へと引く。先程まで少年が潜り込んでいた掛け布は、へたばったように肩からずり落ちてたくなった。
 埃っぽいベッドから起き上がった弟へ、姉は半ば身を起こした中途半端な体勢のまま、暗闇に浸されて濃い緑色に映る緑髪を揺らす。
「ごめんなさい。まだ、どうかしたというわけではないの」
 ただ、と呟いて。言うべき言葉を見失ったのか、それっきりマーテルは黙りこくってしまった。少年は、狭いベッドの中、直ぐ隣へ身を寄せ寝ていた姉の様子を伺おうとして、不意に身の内へ走った奇妙な寒気にも似た不安感へ。驚いたように身を竦めた。
「なに?」
 悪寒の名残にもう一度小さく身を震わせて、ミトスは窓の外へと視線を投げた。
 建て付けが悪いのか、僅かに隙間が空いたまま閉まらない窓の向こう。深い森の木々の間に、小さく。橙の光がちらついた。一つ、二つと見える光は、色こそ違えど旅人を惑わせるというウィルの魂のようにも見える。
「あれ、なんだろう」
 呟いた少年の言葉へ、マーテルもまた、窓の外へと視線を投げた。
「本当ね、何かしら」
 目を細める姉の横顔を、少年はちょっと見つめてから。ね、と声を弾ませた。わざと明るい声を出して、口の端を上げ、握っていた姉の手を離して、大袈裟にも両手を広げる。
「見に行こうよ。ちょっと宿を抜け出て、それで、気分転換の散歩でもしよう?」
 森の空気を吸って、気を落ち着けよう。そしたらきっと、もっといい気分で眠れるんじゃないかな。
「ね、いいでしょう?」
 満面の笑みで提案したミトスに、マーテルは驚いたように瞬きを繰り返した後、ほんの少し、笑顔を零した。そうね、と己を気遣う小さな少年へ同意の言葉を呟く。
 静かに頷きながらも、そのまま弟の肩まで掛け布を引っ張り上げて、少年の細い肩に手を押し当てると、自らも共に横になる。
「でも、もう今夜は随分と暗いから。森の散策はまた明日にしましょう?」
 その為にも、今は沢山、休まなくてはね。
 次第にゆっくりとなっていく声に、ミトスは小さくマーテルを呼んだ。いらえはない。そっと腕を回したまま、寝息を立てはじめた姉に、少年は懐くように擦り寄ると、
「おやすみなさい、姉様」
 一人呟いて、自らもまた瞼を閉じた。

 夜陰に紛れて行われたテセアラ側の強襲により、シルヴァラントの補給路となっていた小さな集落が潰滅状態に陥ったのは、その日の夜のことであった。


[完]



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