早朝、始業前にランニングをしたり組手をしたりと、ヒーロー科の朝は早い。適度な休養を取るために、週に5日はトレーニング、あとは休みと決めている俺と名前。トレーニングをする日は、名前からのモーニングコールが、密かな楽しみだ。
「おはよ、範太。」
「おう、おはようー」
今日はランニング。
校内を走ってもいいが、折角だから山を降りて、ロードワークをしようと決めた。
ペースを落とすなという名前の指令のもと、俺のペースに合わせて走る。
男女の差なんて、関係ないらしい。たしかに、体力をつけることは名前の課題だ。
「おし、信号だけど足止めんなよ。急に止まるとキツいからな?」
「わかっ…てる」
その場で足踏みをして、信号を待つ。
そろそろ水分補給したが良さそうだな、と息が上がっている名前を見て思った。
気づかれないようにペースを緩やかに落としながら走る。
「…範太、ペース落としたでしょ」
「そろそろ休憩挟もっかなって思ってね。」
ゆっくりと歩く速度まで落としたところで、名前が不服そうに言う。
あのね、ぶっ倒れたら困るのはお前でしょ?
負けず嫌いなのは良いけど、無茶はしすぎてほしくないの。
「ほら、コンビニあるし水分と買って帰ろ。塩分チャージは持ってっから。」
「はーい…」
コンビニに入ると、冷房のおかげか爽やかな風が頬を撫でた。走ってきた体には、嬉しい温度だ。
「どの水にしよう…エビアンかクリスタルガイザーか…いろはすもいいなぁ…」
「お前の水へのこだわりなんなの?」
個性のせいか、名前は水にうるさい。
どれにしようかなで決めているのを名前を横目で見ながら、汗のせいで首筋に張り付いている髪をはらってやる。やっぱ、走ると髪は乱れるよなぁ…髪留めも訓練の影響とかで細くなっちまってるし…と、観察しながら、今度プレゼントしてもいいかなと思う。
よし!決めた!と名前がいろはすのペットボトルを手にしたのと同時に、「きゃーー!!」と店内に悲鳴が響いた。
悲鳴の方向へと目を向けると、覆面の男がレジに向かってナイフを向けていて。
「金を出せ!」
強盗か!!
レジに身を乗り出した男は、店員の首を押さえてナイフを突きつける。
通報したら殺すからな!!と俺たちに向かって怒鳴った。店内には、俺と名前と人質になった店員だけ。テープは届く距離だけど…首元のナイフが掠めてしまえば…とご丁寧にも頸動脈の位置にある刃に緊張感が増す。相手の個性だってわからない。
「…範太、凶器はまかせて。」
ペットボトルの蓋をキリリと捻り、名前が小声で言う。その間にテープで捕獲を…というのは言葉にしなくともわかった。
背の後ろに、指を3本立てて、カウントダウンをする。
3、2、1…0!
ペットボトルから水が球体のように飛び出す。
それでナイフの刃を覆い、犯人の口と鼻を塞いだ。
犯人がパニックになったところで俺がテープで確保する。…人質となっていた店員は解放された。
ほっとしたのも束の間、店員の無事を確認する。
そのために少し俺が離れた瞬間、犯人が暴れ出した。
まだ抵抗をしようとしているのかと、目線を向けると、犯人の顔色は、血が上ったように赤くなっていた。
「…名前!個性解除!!」
その言葉にハッとして、名前が個性を解除すると、犯人の気道を塞いでしまっている水が素の形態に戻る。
犯人は、必死に酸素を取り込もうと身体を跳ねさせていた。
「わたし、」
名前は小さく呟いて、長く息を吐いた。
その息は震えていて、よく見れば目元には涙の水滴が溜まっている。
人質がいる場合、凶器を抑え、犯人の不意を作ることは何よりも重要なこと。
相手の個性もわからない状況で、それをしなければいけない事は、授業で繰り返し教えられていた。
それでも、実戦に移すハードルは高い。技術的にも…勿論精神的にも。
震える手を握ってやりたいのは山々だけれど、俺たちは卵でもヒーローだ。110番をして、事後処理が優先しなければならない。
事情聴取などの色々なことを済ませて、やっと寮に戻れる頃には昼時になっていた。相澤先生に電話をすれば、午前中は公欠で、午後から参加しろとお達しがあった。
名前は、浮かない顔のまま。
「名前、こっち。」
人影が少ない路地裏へと手を引く。
緊張が解けずにいるのか、手の温度は低くて。爪は白っぽく色を失っている。
「ほら、もう堪えなくていいから。」
背中をさすると、水滴が俺の爪先に落ちた。
名前は、ぼろぼろと泣き出きながら喉をしゃくらせる。
「ごめんな、俺も気がつくのが遅かった。」
「違っ!わたし、が悪いの、」
「店員さん、ばっかり気にして…あのまま、じゃ…殺しちゃう所だった、」
気道を塞いだまま、時間が経てば。子どもでもわかる結果が待っている。
ヒーローは、敵を倒す。けれど、敵を殺していい訳ではない。殺すのではなく捕まえる。それがベストだ。
「…責めねぇし、慰めもしねぇよ。お前はヒーローがどうすべきか、わかってるだろ。」
「で、も」
「でもとか、もしもとか言っても仕方ない。お前が個性を使ったことで助かったのは事実で、俺らに反省点があったのも事実だよ。」
涙を親指で掬う。
俺を見上げる名前の目は真っ赤だ。
あーあ…擦るからだぞと、瞼に一つキスを落とす。
ヒーローはここまで。こっからは、彼氏として言うけど…と前置きをして。
「泣き虫のくせに、よく耐えた。えらいよ。」
そう言えば、名前は目元を緩めて、また泣き出す。
そろそろ歩き出さないと遅刻だな、と内心やれやれと思いながらも、つい甘やかしてしまうのは惚れた弱み。名前の涙が少しでも早く収まるようにと、頭を撫でた。