覚えていた約束.




登校日は、講習には来ない就職組の子たちにも会えて、それなりに楽しかった。
高橋君も普通に話しかけてくれて、ただの友達に戻れた気がしたし、2学期が早く始まればいいのにと思うくらいには、良い一日だった。

せっかくだ。もっと充実した日にするために、進路指導室にでも行って、参考書を借りよう!
そう思ったのが、だめだった。

ーーなんで、ここを通ってしまったんだろう。

心臓の奥の方がヒヤリとする感覚がして、表情が固まった。
これまでどんな歩幅であるいていたのか、固まった表情はおかしなものではないか、動かす手足はぎこちなくないだろうか。そんなことが頭の中を駆け巡る。
どうか、どうか、二人とも私に気がつかないでと願った。

道宮さんと、大地。

大地の方は背中を向けているけれど、見慣れた背中は間違うはずがない。何より、道宮さんの頬に淡く朱が刺していることが、確証だった。
談笑してたのか、二人の声がピタッと止まった。
道宮さんが私に気がついたようで、小さく手を振る。
少し寂しそうな、でも強さが滲む笑顔で。
そんな顔しなくてもいいのに、だって私は、大地と別れてるんだよ。

「澤村、名字さんだよ!」

大地の背中越しに、道宮さんが言う。
自分の表情筋が、ひきつる感覚がした。

「道宮さん。ごめんね、邪魔しちゃって。」

お話中だったよね、と笑ってみる。口角を引き上げて。

「ううん!全然!」

溌剌と答える道宮さんは、いい子だなと思う。
いい子だね。でも、ぶっちゃけ邪魔でしょ、私のこと。
私は道宮さんのこと、邪魔だと思ってたもん。
嫌なやつだな、私。最低だ。

「お気遣いありがとう。でも、私たち別れてるから。…そっとしておいて。」

驚くくらい冷たい声が出た。響きは冷たいはずなのに、喉の奥から言葉を搾り出したような、そんな痛みがして、熱い。
ごめんね邪魔して、と思ってもないことを言って、二人を通り過ぎようとした時だった。

「勝手なのはわかってる、けど。」

大地の手が、私の腕に伸びる。
まっすぐなそれは、性根が曲がっている私にはうしろめたかった。

「俺は、別れたつもりないよ。…ごめん、道宮。名前と話してきていい?」

「っ、うん!」

思わず立ち止まってしまった私の腕を引いて、大地は進んでいく。
振り解けるくらいの力で掴まれているにすぎないのに、私は、大地の手を振り払うことはできなかった。
振り払ってしまったら、大地とは完全に終わってしまうという恐怖が、私の心に確かにあった。それだけじゃなくて…大地が、道宮さんとの話を切り上げて、私の手をとってくれた。その優越感があったのかもしれない。
とにかく、私は足がもつれそうになりながらも、大地の背中についていくことを選んだ。

「ねぇ、だっ…澤村君、なに!?」

「その呼び方、嫌だ。」

「…っ、そうじゃなくて、どこいこうとしてるの、」

大地の足が止まる。
私の方を見ない大地の顔は、どんな表情をしているのかわからない。

「体育館裏。ちゃんと話したいから、人があんまり来ないところに行きたい。」

いつもならよく通る自信に満ちた声は、弱々しくて、少し掠れていた。その声があまりにも珍しいものだったから、私は大地に身を任せて、体育館の裏まで歩いた。


日陰になっている体育館の裏は、暑さがほんのりと和らぐ。座ったコンクリートの階段に、当たる膝裏がひんやりとする。
並んで座るの、夏祭りの時みたい。
話をしたいといった大地は黙ったままで、二人の間には蝉の鳴き声だけが流れる。

「ねぇ…別れたつもりが無いって、どういうこと。」

切り出した問いは、緊張のせいか、語尾が上がらない。私の疑問は、責めるように聞こえてしまったかもしれない。

「俺は、…名前と距離を置いただけのつもりだった。」

「距離を置こうって言われて…私達の間には元から何もなかったみたいになってたよね。別れたと思っても、仕方ないくらいに。」

「…ごめん。極端だったよな。」

「私が原因だから、謝らないで。」

謝られるのが、なぜか辛かった。
大地は、人との衝突を上手く避けるし、一歩引いて、冷静に物事を考えることができる人だ。確か、5人兄弟の長男だと聞いた気がする。そのせいか、私や他の同級生よりも大人びている。
だから、大地に謝られると、酷く子どもな自分が恥ずかしい。

「名前は、もう俺のことを好きになることは無い?…いや、わかってるんだ。付き合ってるやつ居るって言ってたし、今は俺じゃ無いってわかってるけど…名前のことがまだ好きで、全然気持ちの整理できてない。」

「私のどこが好きなの、こんなに大人げなくて、わがままで、自分ばっかりなのに。私だって、大地のことが好きで、大地の隣に胸張って居たいよ…!でも、そんな資格無い。」

情けない顔をしてる自覚はあって、私は膝を抱え込むようにして顔を伏せた。
こんな仕草も、子どもっぽくて嫌になる。

「どこが好きかとか、もうわかんないくらい好きだよ。」

資格無いとか、そんなはずない…と、大地は言ってくれた。それでも、私がわたしを認めることができない。

「…大地、あのね。私、大地のほかに付き合ってる人なんて居ない。」

「え、?」

「この間の、彼氏は嘘。ごめんなさい。」

「じゃあ、俺…!」

「でもね、今まで通りは付き合えない。」

大地の、真っ黒な瞳が揺れる。
揺さぶっているのは、私だと思うと変な優越感が湧いた。

「…また元通りに付き合っても、同じようにぶつかっちゃうよ。だから、私達がこのまま一緒にいるのは、難しいと思う。ごめん。」

菅原の言葉を受けて、考えた末の答えだった。
私は、まだまだ子どもで、未熟で、大地には全く追いつけて居ない。このまま付き合ったとしても、大地に負担がいくことは明らかなように思えた。

大地は、何も言わなかった。きっと同じように思ったんだろう。同じことで何度も揉めるのは、お互いに消耗する。それは今までの付き合いでもわかっている。
このまま一緒に居ることで愛が消耗して全て無くなってしまうかもしれないなら、まだ愛があるうちに離れてしまいたい。

「…わかった。あのさ、最後にワガママ言ってもいい?」

ずっと大地のワガママを聞きたいと思っていた。
大地は、小さい頃から我慢に慣れてきた人なんだと思う。ワガママを言わないし、譲ることも、先に折れることにも慣れているような…付き合っていく中でそんな人だと知った。
だから、大地が安心してワガママを言えるような相手になりたいと思っていた。
ーー大地にとって、唯一の人になりたかった。

「花火を、一緒にしたい。」

「花火?」

「約束したろ、前に。一緒に花火が見たいから、夏祭りに連れてってほしいって、名前が言ってた。」

「…私のワガママじゃん。」

「違うよ。俺も名前と花火が見たい。」

もう花火大会は終わっている時期だから手持ちのやつでも良い、名前と花火が見たい、と大地は言った。
最後のワガママは、大人びている大地にあまり似合わない、少し幼さを感じるものだった。

「わかった、花火しよう。…二人でいいの?」

「二人がいい。…名前が嫌じゃなければ。」

「…いいよ。」

そこから私と大地は、花火をする日や場所について話し合った。別れることが決まった彼氏と花火の計画をする夏が来るなんて、思いもしなかった。

花火の決行日は、夏休みの最終日に決まった。
私と大地が、別れる日も同じ日になるんだろう。
あと、一週間ほどの期間が、私が大地の彼女でいられる期間だ。

夏の青空には入道雲が渡る。
日は高くて夜は遠いのに、線香花火の火が震え始める時のような、終わりが迫っている感覚がした。







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