シンプル.
私の家に角名を呼ぶの、何気に初めてかも知れない。 いつも、角名が呼んでくれるものだから甘えてしまっていたのだと気付かされる。
「…どうぞ、」
「ほんとに、入っていいの?」
もしかしたら角名は、彼氏以外の人を上げてはいけないっていう私の固定観念みたいなの、わかっていたのかもしれない。 角名の、こちらを伺うような視線にそう思う。 ええよと答えれば、借りてきた猫のように角名が私の家へと足を踏み入れた。
なんだか、夢を見とるみたいな。 遠くに感じていた角名が、こんなに近くに、私のテリトリーに居る。私のことを好きと言って、話したいと、余裕のない顔をして。
「好きなとこ座って。私、お茶でも淹れるわ…」
「いい。隣居て、離れないで。」
角名の足の間に座らせられて、後ろから抱き締められれば身動きは取れない。私の存在を確かめるみたいに、抱き締める腕に力が篭っていく。 そんなんされたら、角名が私を好きなんやないかって、都合のいい考えを浮かばせてしまう。
「ねぇ、角名…」
「なに?」
「私のこと好きってほんと?」
わかんない?と、角名が小さく囁いた。
「俺がどれだけ苗字のこと好きで、会えない間どれだけもどかしくて、やっと会えてもどうしていいかわからなくて抱き締めるしかできないの、どうしたら伝わる?」
震えた声は、縋るみたいでみっともなかった。 みっともなくて、愛おしかった。そんな声で愛を紡がれれば、私の弱い心なんて一発で仕留められてしまう。 私も好きやと、そう言ってすぐに抱きしめ返してしまいそうな所を、ぐっと押さえる。 あかん、ちゃんと、ちゃんと知りたいことがある。
「私のこと好きなら、なんであの時拒んだん?」
抱いてほしいと強請った私を、角名は拒んだ。 その理由を知りたくて尋ねた。
「…好きだからだよ。」
シンプルな答えに面食らってしまう。 好きなら拒む必要なんて無いはずや。なのに、角名は好きだから拒んだと言う。 わかりたいのにわからなくて、角名の言葉の続きを待った。
「抱いたら、俺から離れていくんじゃないかって、怖かった。だって、あの時俺に抱かれたいって本当に思ってた?」
俺の目には自棄になってるように見えたよ、と言われて図星をつかれてしまったことに恥ずかしくなる。 あの時の私は確かに自棄になっていた。
「…私、角名とは付き合ってもないのに、角名に他の女の子の影が見えたから、嫉妬したんやと思う。角名を縛る正当な理由なんて無いのに。抱かれたら、角名に抱いてもらえたら、理由になるんやないかって。」
気がつけば、自分の素直な気持ちが口からこぼれ落ちていた。こんな可愛くない気持ちを抱えていたなんて、角名はどう思うんやろ、と恐る恐る身を捩って角名の顔を覗き込む。
角名は目を見開いて、心底驚いたような顔をしていた。 そして、私と目が合うと、慌てて逸らした。 首筋に浮かぶ筋肉の筋が、ほんのりと朱が差していて、色っぽくて、なんだか見てはいけないものを見たような気持ちにさせる。
「見過ぎ、」
軽く怒られてしまったけれど、だって、そんな角名の顔、初めて見た。
「正当な理由あげる…から、俺にもちょうだい。苗字は俺のだって、誰にも渡したくないって言ってもいい理由、俺もほしい。」
より一層強く抱きしめられて、角名の匂いに包まれた。 随分遠回りになってしまったような、でもその距離が愛おしいような、変な感じがする。
「時間かけてでもいいから、俺のこと好きになって。」
「もうとっくに好きなんやけど、どうしたらええ?」
「ガチで言ってる…?」
「ガチで言っとる」
私の気持ちうまく伝わってない? 角名のことが好きやって、伝えてるつもりやったんやけど…と私が言うと、角名はハァー、と長く溜息をついた。なんか好きやなぁ、と思う。人の溜息は好きになれないのに、角名のだけ。
「本当に、苗字が俺のこと好きなんだ…。うわ、実感湧かねえー…」
「好きやで、ほんまに。私がいうのもアレやけど…自信持って?」
「ふふ、ダサいよな。苗字に関しては、自信なんて無いんだ。だから、苗字がこれから自信持たせてよ。俺のことだけ見て、俺のこと好きって言って。俺も苗字のことだけ見てるし、毎日好きって言う。」
「…なんやめっちゃ素直やなぁ、自分。角名って、そういうタイプとちゃうと思ってた。」
「高校のころ言えなかった分、プラス大人なってからも暫く言えなかった分、言わせてよ。」
私の首筋に埋められた、角名の頭に触れる。 柔らかくて細い猫っ毛がくすぐったい。しばらくそうしていれば角名が、照れ隠し?と嬉しそうに笑った。
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