ソワソワ.
治の店に初めて訪れた感想は、「どこか懐かしい内観で、居心地が良さそうな感じがする」だ。 それが一変したのは、苗字が来てからだった。 めちゃくちゃ居心地悪い。ソワソワする。なんだこれ、思春期男子か。
苗字は来れないらしいと侑が言うものだから安心して来てしまったが、あいつは本当に…人でなしだと貶そうと思ったけれど、正直嬉しくもあるのが本音だ。
数ヶ月会ってないだけなのに、随分久しぶりに感じた。 就職活動で染めたんだろう髪は、高校の時を思い出させる。苗字の髪好きだったんだよなー、結んでるの軽く引っ張って怒られるのとか…って、俺めちゃくちゃガキだったな。
「今日は来てくれてありがとうございますーおにぎり宮、店主の宮治です。精一杯おもてなしさせて頂きますんで、腹一杯なって帰ってください!」
治の挨拶から、ジョッキの鳴る音で飲み会が始まった。 ななめ前。銀の隣に座る苗字は、両手で持ったグラスを控えめに傾ける。 あいつ手小さかったなって、あざとい仕草一つにキュンとしてしまうのだから単純だ。
「苗字、また綺麗なったなー、俺ちょっと緊張してまうわ。」
銀が言った言葉に、俺の隣にいる侑が吹き出した。 は?汚いんだけど、やめてくれる?
「銀は、ほんま格好ええな。そうやってサラッと褒めてくれるのあんたくらいやで?」
「いやいや、ほんまやもん。彼氏も気が気やないんとちゃう?遠距離の彼女がこんなに別嬪さんやったら。」
銀の言葉に感じたのは苛立ち。苗字の彼氏の話とか、マジで聞きたく無い。 大体、付き合ってんならもっと大事にしろよ。俺ならもっと大事にするし、寂しい思いなんてさせないのに。
「あー、言うてなかったっけ?別れてん。」
「え''、うわぁ…ごめん、デリカシーなかったわ。結構最近?」
苗字が答えた時期は、俺と苗字が最後に会った頃だった。 もしかして、あの日は別れてたってこと?
「銀あんま気にしやんといて、私から振ったから後悔なんか1ミリも無いんよ。せいせいしとるくらい。」
「なんか、かっこええな。」
「そう?かわいいの間違えやろ?」
なにそれ、めちゃくちゃ可愛い…って、待って、振ったってことは、苗字はアイツのこと好きじゃ無いってことか? 突然の吉報に困惑して、おにぎりを掴む手に力が入る。海苔を強く押してしまったせいで、ご飯がぼろっと崩れ落ちた。
「おい角名!おにぎりは集中して食べんかい!」
治に怒られてしまった。
宴もたけなわ、北さんの一本締めで飲み会が終わった。 それぞれが、タクシーやら代行で帰って行く中、俺と苗字だけが不自然に残される。 治と一緒に皿洗いをする係を、グッパーで任命された。 多分全員で打ち合わせ済みだったんだろう。一発で俺と苗字と、それ以外に分かれた。
「二人とも、ありがとうな。」
「ほんとだよ。」
「部活の合宿思い出すわ、あん時は治と北さんが手伝ってくれたんやっけ?」
「あぁ、北さんは自主的に…俺は夜食に釣られてやな。」
何それ、俺知らないんですけど。 俺が知らない苗字がいることなんて当たり前なのに、なんだか少しだけ、ほんの少しだけ悔しい。
あらかた片付けが終わって、苗字と一緒に店を出た。
「電車だよね。」
「うん。」
今日はじめての会話は、そんなものだった。 なんとなく無言で駅まで歩いて、電車を待つ。次の電車は5分後。 なんでこんなに短いんだよ、もっと長くあれ…とダサい考えを頭の中で巡らせる。 馬鹿か、この5分で決着つけろよ、俺。
「苗字。」
「…なに?」
「俺ともっと一緒に居てもいいって、ほんの少しでも思ってくれる?」
苗字の瞳が、揺れた。
「苗字が全部なかったことにしたいって、俺とはただの元チームメイトで居たいって言うなら…俺はもう一本後の電車で帰る。」
家まで送ってやれなくてごめんね、と謝ると、苗字は僅かに涙を滲ませていた。 こんな言い方、ずるいよな。わかるよ。全部苗字に選ばせようとしてるんだもん。 だって、苗字に選んで貰わなきゃ意味がない。 選んで。自分の意思で俺の側にいて。
「俺は、苗字と、こんなよくわからない終わり方するのは嫌だよ。ずっと、ずっと好きだったから。」
「過去の話?それは、今も、そう思ってくれてる…?」
「当たり前じゃん。」
信じられないものを見るように、今起こっていることを咀嚼するように、苗字はゆっくりと時間をかけて。
「…家まで、送って。」
俺にしか聞こえないくらいの声で、そう言った。
prev next
TOP
|