05.




朝起きれば、隣に寝息を立てながら頬に涙を垂らした彼女の顔。ごめんね、と寝言で呟いたのは俺への謝罪?そんなのいいから、俺の事を好きだと言ってくれれば。それだけでいいのに。

プライベートの事が、仕事に影響しない自分は誇らしいけれどーー大怪我でもして、名前さんが俺に罪悪感を感じればいいと心の隅で思う自分の馬鹿みたいな浅はかさからは目を逸らしてしまいたいくらいだ。

仕事をがむしゃらにこなしたせいで、重い足取りで帰路に着き、床につく直前にアプリを開いた。

『俺は君のことが好きだと思う』

不安な気持ちを紛らわせるように、そう打った。
鷹見啓吾としての言葉だ。こいつの口を借りなきゃ言えないくらいには自分は不安に感じてる。

『俺の事どう思ってる?』

どうか、俺じゃない俺の言葉を拒否してくれたら…賭けるように、送った。
案外既読はすぐに付いて。賭けの結果まではそう待たなかった。賭けに負けたのか、勝ったのかなんてわからなかった。ただ、微かに手が震えた。

『私も好きだよ。』

これが名前さんの言葉だったならーー鷹見啓吾に向けられた言葉ならどんなによかったか。
俺じゃない奴に向けられた彼女の言葉は、ただトドメを刺されたように痛いだけ。

「どんな敵に攻撃された時よりも痛い、なんて。」

眠ってしまえば、夢だと思い込むこともできたかもしれない。
でも、その日はうまく眠れなくて。
夜明けにぼんやりとした頭と、再生した剛翼で彼女のアパートまで急いだ。

玄関のベルを鳴らすと、寝巻き姿の名前さんが眠たそうに返事をした。

「…どちらさまですか?」

「あんたの好きなミカタ、ですけど。」

ガタ、と扉の前で大きな音が立った。

「開けてくださいよ、ナマエさん。」

おそるおそる、というような鍵が空いた音に、思い切り扉を引く。崩れるように倒れかけてきた名前さんが、俺の腕に収まった。

「…っ、けいご…」

彼女を抱きとめたまま玄関に入り、後ろ手で鍵を閉める。
なんだ、目を逸らす癖治ってなかったんだ。

「あなたのアカウント見つけたときはびっくりしましたよ。…どういうつもりですか?」

自分のスマホを取り出して彼女の目の前で振る。
目なんか逸させてたまるか。

「……私、」

「私、浮気したら罪悪感から優しくなれると思ってた。…でも虚しいだけだった。なんで裏切るようなことしちゃったんだろう、なんで耐えれなかったんだろうって。」

言い終わると同時に胸ぐらを掴んだ。

「なんですか、その理由。」

逃げられないように壁に押しつけ両翼で閉じ込める。

「…鳥は止まり木を選べても、木は鳥を待つ事しかできないんだよ。いつも最後かもしれないと思って、見送る気持ちがわかる?…啓吾が人を救けるたびに、誇らしさと同時に私の汚いところが露呈していくの。私を優先して、なんで私のそばにいないのって。あなたは命をかけて命を救っているのに、あなたが死んだら…きっと私はその救われた命を恨む。こんな醜い嫉妬心や不安を募らせて…馬鹿みたい、」

「俺は、貴方の気持ちを背負いきれないくらい小さな男だと思われてたんですか…?」

不安にさせているのは、俺のくせに。
堰き止めようとしていた思いが、止まらない。

「なんで俺に頼ってくれんと?一人で抱えて、挙げ句の果てに浮気までしようとして!どこまで人をコケにすれば気が済むんですか!!」

送りあったのは言葉だけで、なんの交わりもない。
浮気、と呼ぶのには稚拙すぎるかもしれないそれの原因が、関係を続けるためだというような先ほどの言葉。

震える肩から伝わるのは自責と後悔。
あいつに好きと言った右手の人差し指を取り、思い切り犬歯を立てた。
名前さんの眉にぐっと力が籠る。
痛いって?当たり前だ、痛くしてるんだから。

「あいつのこと、好きなんでしたっけ…俺のことは、もうどうでもいいんですか?」

何も言わない、頷きも首を振りもしない名前さんに、舌打ちをする。
嘘でもいいから、好きと言ってくれれば、否定さえしてくれれば…いや、もうどうでもいい。
ヒーローとしての俺じゃない、ただの鷹見啓吾は加虐心が強いわけではない。
好きな女の泣き顔なんて、できれば見たくない。
極力目を合わせないようにして、低い声で言う。

「今からあんたは、好きでもない男に抱かれるんですよ。」 

視界の端に、酷く青ざめた顔をした彼女の顔。
あぁ、ほんとに俺のことは好きじゃないのかもな。姿の見えないあいつには安売りするくせに。
服を脱がすのも億劫で、剛翼で軽く裂く。

「そんなに怖がらなくても、動かなければ体に傷なんてつけませんよ。…生憎、個性のコントロールだけは上手いんで。」

そう言って下着を切ろうとすると、彼女が思い切り身をよじった。
突然のことで、胸元に鋭い剛翼が掠める。
赤い線が入ったと同時に、そこから血が流れてきた。

「っ!ばか!!」

思わず押さえつけていた手の力が緩んだ。
彼女はへたり込むように座り込み、胸元を抑える。

「…そんなに深くないから、大丈夫だよ。」

「血、止めないと、」

「…大丈夫だってば。…ごめんね、けいご」

どうしていいかわからなくて、立ち尽くす俺の頬に彼女の手が伸びる。

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。傷つけて…こんな風に個性まで使って。」 

「!!」

ーー声が出ない。

「大事にできなくてごめんなさい。」

個性をかけられているのがわかった。
彼女の個性は、触れればその相手に催眠をかけられるという個性。使い方によって薬にも毒にもなるから私は薬として使いたい、と彼女が言った日のことをよく覚えている。
…そういうところが好きだった。

「出て行って、ここには二度と戻ってこないで、」

体が意志に反して、動く。
俺にとっては毒以外の何者でもないよ、今は。

「扉を閉じたら、私のことを全て忘れて」

やめろ、動くな!意志の言うことを聞かない体に叫んでも何も意味は無い。

「…好きだったよ。」

扉を閉めるときに、たしかにそう聞こえた。







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