下弦の月に照らされて.
黒板の日付、カレンダー。教科書、クラスメイト。
信じられないけれど、情報を組み合わせれば、ここは高校2年の秋になる。 私と侑が付き合って、まだ1ヶ月も経ってない頃だ。 まだ、お互いに付き合っている事は内緒にしていて、名前で呼び合う事もしていない時。
「…名字さん、さっきから様子おかしいけど、怪我してへん?大丈夫か?」
うわ、名字さんとか呼ばれてるし!! 隣の席に腰掛ける侑が、小声で尋ねてきた。
今の侑…いや、もう呼び分けないとややこしくなる。高校生のを宮君、大人のを侑と呼ぶことにしよう。 侑とは違って、宮君は作ったような声音で言うから、何枚も猫を被っているのがわかって、恥ずかしくなる。
侑だったら、「お前、さっきから挙動不審やな。腹でも下したんか?」とかデリカシー無いこと言う。絶対言う。
「…いや、なんでも無いよ。大丈夫!」
「そか、ならええんやけど…今日、バイト?」
「う、えっと…」
慌てて、スケジュール帳を開く。 整骨院、の文字を見て、今日はバイトだということがわかる。
「うん、バイト、」
「…ほな、帰りバイト先行くわ。送ってく。」
「え、大丈夫だよ!一人で帰れるし!」
帰れるし、ついでに状況整理したいし…と思いながら首を振ると、宮君はしょんぼりと太眉を下げる。 年下へこませてるみたいで、なんか罪悪感…
「俺が一緒居りたいんやけど、あかん?」
思わず、頭の中で某お笑い芸人があかーん!と叫びだす所だった。 年下ってだけで、こんなあざといの? 侑にこんなこと言われた覚え無い。
「わ、かった…」
授業の始鈴が鳴って、話は終わったけれど、私の心臓はそれはそれは、鳴り止まないままだった。
「おだいじに〜」
最後の患者さんが院を後にして、私も帰り支度をする。 バックヤードで着替えていると、スマホが光った。通知を見れば、宮君からで。
宮侑:着いたで。横のコンビニで待っとる!
言われた通りにコンビニへ行くと、宮君はおつかれさん、と声をかけてくれた。 お待たせしました、と謝ると、宮君は今来たとこや!と返してくれる。
「…手、」
歩き出して、数歩。宮君の発言に、自分の手に目を向ける。いつも通り、軽く繋いだ手だ。
「どうしたの?」
「ど、うした…って、名字さんがええなら…俺は…、別に…」
歯切れの悪い言い方に、何か問題があっただろうかと宮君の方を見る。
「顔、あか…」
「赤なるやろ!普通に!」
初めて、名字さんから…という言葉。 もしかして、そうだ今は付き合って1ヶ月も経ってないくらいだ。つまり、手を繋ぐのも稀なくらいで。
「ごめん、繋ぎたかったから…、いやだった?」
少しあざとく首を傾げて見ると、宮君はパクパクと口を動かすけれど、声が伴ってなくて。動揺しているのが丸わかりだ。
高校生の頃は、私も一杯いっぱいで。 侑の顔も全然見れなくて、私ばっかりが動揺していると思っていたけれど…宮君を見れば、侑も結構忙しく恋してたんだなと思う。
このまま、侑が私のことを変わらずに好きでいてくれたら良いのに。
薄暗い空を見て、歩道橋を駆けたあの時の気持ちを思い出す。
もし、過去にタイムリープしたなら、このまま帰れなくてもいいや…なんて縁起の悪いことを考えてしまうくらいには、宮君と並ぶ"いま"が眩しい。
きゅ、と少し力を込められた手に顔をあげると、さっきまでの動揺はどこ吹く風。宮君が嬉しそうに、はにかむ。
「ごめん、俺っ手汗すごない?」
「大丈夫だよ。」
言われて、気づいた。 繋いだ手が気になるような、そんな気持ちを、私も侑も、いつから忘れてしまったんだろう。
忘れなかったら、私と侑の"今"は、違ってたのかな。
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