君の手の中.
「なぁ、そろそろ帰って…」
「帰って来いは聞き飽きた。帰っても侑はまだ遠征でしょ。」
「明明後日には帰るし。」
「明後日は大会なんでしょ?…早く休まなくていいの?」
「…名前と話したら寝る。」
時計の針はあと十数分ほどで日付を越えようとしている。侑は、一つあくびを噛み殺していた。
「怪我の具合は、どーなん、」
「治ってきてるし、もう職場にも復帰してるよ。事務仕事中心だけど。」
「…無理せんようにな。」
「はいはい。」
他愛のない話をして、いつもよりも電話を引き伸ばそうとする侑は、いつもとなんだか違って感じる。 お酒を飲んでいる訳でも無いのに、どうしたんだろう。
「ねぇ、どうしたの?何かあった?」
「な、なんも?」
「何?」
問い詰めると、侑は長い息を吐いた。 スポーツ選手の肺活量とは恐ろしいもので、本当に長く。
「…大会、観にきてって言うたら、困る?」
大会、観にきてって?明後日の? 手帳を捲らずとも、明日と明後日の欄は整骨院が休みだから、まっさらだとわかっていた。遠征といっても、そこそこ遠いけれど行けない距離では無いことも。
「もっと、早く言ってくれてた方が助かる。」
「…すまん、」
「元から行くつもりだったから、いいけど。」
侑のバレーが見たくて。 怪我をしてはいるけれど、回復もしてきているから、とついチケットを取ってしまっていた。
「絶対、退屈はさせへんから!!楽しみにしとってな!?」
わかったから、早く寝るように言って電話を切ってから、なんとなく初めて侑の試合を観に行った時のことを思い出した。
バレーボールには、そんなに興味がなかった。 稲荷崎はどの部活も強い。その中でも特に強いのが吹奏楽とバレーらしい…と帰宅部の私にとっては、それくらいの印象。
ある日。 治君が治療に来た時に、なぜか侑が着いてきていて。待合室で暇を持て余していた侑が私に話しかけてきた。 同じクラスで、隣の席だから今までそれなりに話をしたことがあったけれど。侑は派手で目立っていたから、少し気まずかった。
「名字さん、ここでバイトしてたんやなぁ。出身この辺やないみたいやし、部活しとるもんやと思ってたわ。」
「部活目的で他県から入学する人多いもんね。私は、中学からこっちに越してきてたから。」
他愛もない話。そろそろネタが尽きそうな気がした。 大体、相手の好きなものとか興味のあるものについて尋ねれば、会話は成り立つものだと、これまでの人生で学習している。
「宮君は、バレー部で大人気だよね。私、観に行ったことないんだけど、バレーって面白い?」 「観に来ればええやん。」
名字さんがバレーに興味持つかは知らんけど…と、侑は前置きを置いて。 フッフと不敵な笑みを浮かべた。その表情が大人びて見えて、ドキッとしてしまったのを覚えている。
「退屈はさせへんよ。」
きっと侑にとっては、社交辞令の一つに過ぎない言葉だったと思う。そんなことはわかっていたけど、普段は賑やかな侑の目に、静かな闘志を宿らせる「バレーボール」はどんなものなのかと気になってしまった私は、まんまと試合を見に行って…そして。
網のようにボールを受け止めて、矢のように力強く放つ。そんなトスが、壁に阻まれたスパイカーの前に道を作る。 私が初めて見た「バレーボール」は、「宮侑のバレーボール」だった。
「どうやった?」
試合の翌日に、侑に尋ねられた時には、テレビの前のスターが目の前に居るような、そんな驚きを感じた。 今までは、ただの同級生だったのに、なぜか緊張してしまう。
「…すごかった。」
「せやろ!」
無邪気に笑う顔に、ホッとして。
「よくわかんなかったけど、」
「って、よくわからんかったんかい!」
だって、ルールはボールを落としてはいけないってことくらいしか知らない。 あと、なんかローテーションがあるってことくらい。
「でも、宮君バレーに全部を懸けてるんだろうなって、それだけはわかった。」
すごく、すごく頑張って、懸けて。 想像するのは容易くても、実行するのは難しい努力をしてきたんだろうな、と。
「なんか、名字さんって変やな。」
「…急に失礼だね」
「フツー、かっこええとか、上手いとか、そんなもんやで言われんの。」
「えっと…かっこよかったよ?」
「おん。」
何か、おかしいことを言っただろうかと不安になる私を見て、侑は何故か吹き出して。しばらくは顔を見るたびに、笑われた。
そんな、始まりだった。 いつのまにか付き合って、年月を重ねて。 今思えば、あの時に侑のことを好きになったのかもしれない。まだ高校生だった私は、何か打ち込めるものなんて見つからなくて、ただ日々を過ごしていたから。侑の、バレーボールと直向きに向き合う姿勢に、憧れた。
「…なんか、忘れてたかも。」
侑を好きになったきっかけもバレーボールだということ。それを伝えたら、何よりもバレーを大切にする侑が好きだと伝わるかもしれない。 試合の後に伝えたら、侑はどんな顔をするんだろうかと思い浮かべながら、明後日を待った。
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