無言の手招き.
「…ほんまですか?」
名前が目覚めたと聞いて。 電話を切った途端に、膝から力が抜けてしゃがみこんだ。
「よかった、ほんまに…よかった…」
こんな涙出たん、いつぶりやってくらい涙が止まらんかった。 名前に、会える。そんな今まで当たり前やったことに、こんな涙出るなんて。
翌日、病院に駆けつければ。 久しぶりに見た、名前の瞳の色。声、動き。 安堵から来る涙がもうここまで来とるもんやから、気を抜いたらあかんと、ぐっと歯を食いしばる。
サムのとこまで、名前を送る道中、お互いの中に言葉は無かった。 こっちはこっちで歯を食いしばっとるし、名前は名前で、疲れているのか窓の外をぼんやりと眺めていた。 交わした言葉はほんの僅か。
「…俺、昼から仕事やから。練習もあるし、帰り遅なると思う。」
「わかった、」
「こんままサムのとこ行くし、夕過ぎに送ってもらえるように頼んどるから。」
「うん、ありがとう…」
こんくらい。 車から名前を念のために抱えて下ろして、その軽さに驚く。普通に歩けるから、と言われたから、店の前で下ろせば、一度も振り返らんと奥の部屋へと入っていった。その背中を見て、俺は言葉をかけるタイミングとか、そういうもんへの頭が回って無かったことに気がつく。 目が覚めてよかったとか、ごめんとか。ありがとうとか、愛しとるとか。 …言わなあかんことは沢山あったはずやのに。
苦い気持ちを押し込みながらも仕事はこなして、やっと練習の時間。
「翔陽くん。トス上げたいんやけど、ちょっと付き合うてくれへん?」
俺がそう言えば、翔陽くんはキュピーン!と目を輝かせた。
「!!」
勿論です!!と元気すぎる声は、体育館によう響いた。その声を聞いた何人かのスパイカー達が、じゃあ俺も…と続いて、コートに立つ。
「えらい迷惑かけて、すんませんした。」
頭を下げれば、臣くんが「お前一人トスあげないくらいなんともねぇ」と余計なことを言う。でも、それに乗じて、「せやせや!」「早く上げろー!」と野次が飛んだ。
俺がトスを上げて、スパイカーがそれを打つ。 シューズの擦れる音、指に吸い付くようなボールタッチの感触。 そのどれもが、俺にとっての大事なもんで。 やっぱり、俺にはバレーが一番で、譲れないもんやと改めて感じた。
練習を終えて、帰路に着いた。 確か夕過ぎにはサムに送ってもらうように頼んだはず。
「ちょっと、遅くなってもうたわ…」
あの後、自主練でもスパイカー達にトスを要求され、ついつい俺も楽しくなってしまった。 すっかり日は暮れて、夕飯を買いに近くの店からテイクアウトをして、家に向かう。 名前が好きなアイスも買って、家の扉を開けたとき。 部屋には電気は一つもついてなかった。 ーー名前? 電気をつけて、冷蔵庫にものを仕舞って…家の中を見回る。
「名前?」
明らかに、おかしい。 こんなとこ居るはず無いけど…嫌な予感がして、クローゼットを開けば、そこには。 減った衣服は、名前の分だけ。 まだ服は残っているが、季節のものやよく着ているものは無い。 洗面所の洗面用具、化粧品。 俺のと揃いの大きめなスーツケースも無くなっている。
慌てて玄関を飛び出した。 電話をかけながら走るけれど、名前は一向に出ない。 サムの店はここからそんなに遠くなく。 アスリートの足で走って迎えば、体感10分くらいで着いた。 店も閉まって、車も無い。
俺はスマホを握りしめて、サムの連絡先に続く通話ボタンに手をかけた。
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