暗い廊下で.
男好き…先程言われた言葉を反芻しながら歩く廊下では、昨日より視線が鋭く刺さる。
教室に入れば、何人かの声で賑わっていた空気が、一瞬静まり返った。 今時ドラマや映画でくらいしか見た事はなかった、そんな場面に対面して。
居心地の悪さを感じながらも、席へと一直線に向かった。隣の席は荷物も無く、まだ朝練の時間だと思い直す。 宮君が居たら、この居心地の悪さも拭えたかもしれない。登校したばかりなのに、拭えないそれを抱えたせいで、随分時間が長く感じた。
「ちょっときて」と友達からLINEが入り、呼ばれたトイレに行くと、スマホの画面を見せられた。
「…これ、」
「名前と宮治やんな?…これ、エアドロとか、人伝いに回っとるみたい」
私と治君が並んで歩いている写真。 背景にコンビニが映っている。 そういえば、この辺りは稲高生が通う塾があった。
「昨日、たまたま一緒に帰った時の…」
「…侑と付き合っとるん広まって、反感買うてるし…なぁ、名前大丈夫?」
「うん、そのうち収まると思う。」
一応、友達が嫌がらせに合うのは防ぎたくて、暫く移動とお昼ご飯は別にしてもらう事にした。彼女はすごく心配してくれているみたいだけれど、大丈夫と言っておく。
「お、名字さん」
教室へと帰る途中、一番会いたくない人に出会ってしまった。
「治君…」
おはようと挨拶を交わし、急いでいるフリをして傍を通り過ぎる。 やっぱり、視線は感じてしまって。 宮君にも、治君にも迷惑はかけたくない。 どうか、私を取り巻く事態が二人に伝わらない事と、事態の収束を願うしかない自分に、中身は大人なはずなのに…と無力感を感じる。
「お、っ名前、はよ!」
「おはよ、」
教室に戻れば、宮君が挨拶をしてくれた事…それから、笑いかけてくれたことに安堵した。 それでも、背中に刺さる視線は痛い。
「名前、は、…生物の課題やった?」
ちょっと…っていうか全然わからんかったんやけど教えてくれん?という宮君に、ノートを広げる。 どのページ?と尋ねて、自分が教科書を持っていないことに気がついた。
「…教科書無いん?」
「あ、えっと…」
言い淀んだ私に、宮君は「俺はどーせ、見てもわからんし。使うて。」と言いながら、教科書を机に乗せる。
「名前が忘れるって珍しいな。いっつもちゃんとしてるやん」
「そう、かな?」
「…なんかあった?」
訝しげに何かを探るような宮君の目が、私を見つめる。
「なんでも無いよ」
宮君に曖昧にぼかして、の解説に紛れさせて。なんとか悟られないように、必死に誤魔化した。
生物は、移動教室で。 そこそこ好きな科目だったけれど、今日は憂鬱だった。 最近、移動教室にはあまり良いことがない。 一人で歩く廊下が心細くて、少し隅の方へと寄る。
階段に差し掛かって、向かいから来た派手な雰囲気の女子の視線が刺さった。 ぶつかりそうな距離感に、避けようとするけれど隅にいる私は避けきれずにーー すれ違い様にぶつかったのは、背中? デジャヴっていうか、階段に縁があるのか、上手くバランスが取れずに体が傾いていく。
「やっ、」
手すりをつかもうとした腕が空を切る。
「あっぶな、」
その腕を掴まれて、引っ張りあげられた。 地に着いた足に、鳴り響く心臓から血液が巡って土踏まずがジンとする。
「…おい、ぶつかったんなら謝れや!!」
まるでチンピラさながらな、宮君の声が廊下に響いた。 大丈夫だから…!と声をかけるけれど、宮君は私の言葉は全く耳に入ってないみたいで。
「いや、わざとじゃ…!」
「は?」
「ご、ごめんなさい!」
彼女たちは謝罪の言葉を口にしながら、背を向けて駆けていった。 宮君は、私に向き直ると掴んだままの手を引いた。周囲のクラスメイトに、「名字さん足挫いたみたいやから保健室行ってくるわ」と言付けをして。生物室とは反対の方へと歩みを進めていく。
「私、足挫いてないけどっ」
「知っとる。」
声音は低く、淡々とした口調は侑が怒っている時と同じものだった。 黙って手を引かれたまま、辿り着いたのは保健室。 先生は不在の様子だけれど、宮君は意にも介さず椅子に腰掛けて。
「この時間やったら、せんせーは大体職員室で茶しばいとるから。」
二人で話せるやろ?と、続けた。
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