ああ夢の中.




「ごめん、待った?」

「いや、今来たとこやで。」

侑が言いたかったやつ。折角だし、言わせてあげようと思って少し遅れて駆け寄った私に、宮君はスマートに微笑んだ。
本当に今来たところ、の癖に。

「…名字さん、風邪でも引いたん?」

宮君が、口元を指差して尋ねるのは自然な事だろう。私の口元はマスクによって覆われてしまっている。

「ううん!…予防、かな。季節の変わり目だし!」

「なら、ええんやけど…無理せんと、キツかったら言ってな?」

「ありがとう…」

宮君の優しさに、後ろめたくなった。
マスク一つで身バレ対策になるとは思えないけれど、ヘアアレンジだってしたし、化粧もしている。その上顔があまり見えなかったらすぐに気付かれることはないだろう。

「ほな、いこか!電車もーすぐ来るし」

「そうだね…」

さらっと手を取られて。
簡単に恋人とつなぎに…とはいかず、ぎこちなく宮君の指先が動いた。
それっぽい形にはなったけれど、少しの違和感が残って上手く繋げていないのがわかる。

「宮君、一回離して?」

「あ、ごめん!…嫌やった?」

「違うちがう!多分、こうやって繋いだほうがしっくりくるかも、と思って…」

手を侑と繋ぐ時のように絡めると、やっぱりこっちの方がしっくりくる。
よし、と小さく呟いた私に、宮君は照れたように後頭部を掻いた。

「…なんか、俺慣れてへんのバレバレやな!」

「え、そうなの?」

慣れてないって…侑が初めて付き合った相手が私な訳がない。 

私は、侑はそれなりに経験はあると思っていて。私みたいに、あまり目立たない部類の子と付き合うのが初めてだから、気を遣いすぎているのだと思っていた。

「今まで、付き合った子とかいるでしょ?経験豊富そうだと思ってた、」

「…俺、そう見えとるん?」

「だって宮君モテるし、」

「それは否定せんけど…付き合っても、自分から色々したいて思った事ないねん。」

改札を通るために、もう一度手を離した。
ピピッ、という電子音を超えて、隣に並ぶと、当たり前のように宮君の手が触れた。
今度は、違和感無く二人の手が合わさる。

「こうやって、自分から手ぇ繋ぎたい思うんは、名字さんが初めてやから。…俺にとってめっちゃ特別やで?」

なんかめっちゃ恥ずい事言ったな!と宮君が眉根を寄せて誤魔化すように笑う。
こっちは、知らなかった事実を告げられて、なんだか気が緩んだら泣きそうだっていうのに。

侑と一緒にいた時。たまに侑の過去の相手が気になって苦しくなる事があった。
実際に侑の元カノから、品定めされるように見られたこともあったし、色々言われることもあって。
綺麗な人に好意を寄せられていたのに、なんで侑は私なんかを選んだんだろうと…自信がなかった。

「っ、私にとっても宮君は特別…じゃないこともないかな!」

「どっち!?」

「…とくべつの、方だよ」

精神年齢的に、こういう小っ恥ずかしいことをいうのはツラい。
丁度いいタイミングで電車が来てくれたことに感謝しつつ、マスクを少し上にずらして、赤面を隠した。



「…懐かしい」

水族館に入ると、侑と来た時のことが鮮明に思い出せた。
隣を見上げると、宮君がじっとこちらを見つめていて、なんだかドキドキする。

「なんでこっち見てるのっ!?」

「名字さんも俺のこと見とるやん?」

お互い様、と宮君が手を引く。

「もっと近くで見ようや、ほらあれ!ニモやない?」

水槽を前に、二人で身を乗り出す。
カクレクマノミが、橙色の体を小さく動かしながら右へ左へと動いていて、かわいい。

「ほんとだ、ニモだ…かわいい〜」

「案外ちっこいなぁ、ドリーはおらんのか?」

「ドリーも知ってるの?」

「おん。俺の家、ちっこい頃ディズニーチャンネルあってん!」

ディズニーチャンネル…って、そうなの?
侑とディズニー行った時、意外とキャラクター知ってたのはそういうことか…!

「一緒に、いつかディズニー行ってみたいわ。名字さん行ったことある?」

「中学の修学旅行で。でも、宮君とも行ってみたいな。」

「絶対行こうな!」

この約束が果たされることを私は知っている。こうやって、はしゃぐ侑に手を引かれて、クタクタになるまで遊んで笑って。
…それがいつしか当たり前になって、その内どんどんその機会が減っていくのを知っている。

そして、寝起きする場所が一緒になっても、顔を合わせることさえ稀になっていったことも。

「名字さん、海獣コーナーいこ!あざらしの赤ちゃん見ようや!」

「うん、」

だから、この時間が
たまらなく愛しくて、切ない。

不安定な気持ちが青色に包まれて、宮君に知られないようにそっと祈った。






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