あほ.
ドン、そんな音が立ちそうなくらい。
北の背中に思い切り額をよせ腕を回す。北は急のことだったはずなのに、しっかりとした体幹で私を受け止めた。
「北は私の彼氏なので!!」
「…名字、!」
北越しの彼女は目を見開いて固まっている。 邪魔せんといてな、という言葉に対して、私はわかったなんて一言も言ってない。恋人である私が遠慮する筋合いも無い。
怯む気持ちを抑えながら睨みつけていると、頭に軽く手刀が落とされる。
「…あほ、ちょっと恥ずかしいわ。」
離し、と冷静に注意されてしまえば、たちまち恥に襲われるのは私だ。 言われた通りに離れると、北は続けた。
「名字のどこがええかを、知っとるのは俺だけでええ。…せやけど、こういう考え無しな所もかわええなって思う。そんくらい俺が名字を好きっていうんは紛れもない事実や。」
「すまん、気持ちには応えられん。」
北がそう言えば、彼女は俯いた。北からは見えないだろうけれど、目線が低い私からは見えてしまう泣き顔。
「負けるのわかっとるから、名字さんには邪魔せんといて言うたのにな…」
タオルで涙を拭い、彼女は顔をあげる。
「北のアホ。告白した女をダシにイチャつきなや!そんな女心もわからんなら、どうせすぐ上手くいかんようなるわ、アホ!」
電車の時間あるし、帰るわ!と彼女は私たちに背中を向けて、言った。
「…はよ仲直りせんと、あたしに漬け込む余地与えるだけやで!」
彼女なりの優しさか、皮肉か。 意図はわからなかったけれど、遠ざかる彼女の姿を見ながら、”ちゃんと”仲直りをしなくてはいけないな、と思った。
「俺らも、帰ろか。」
そう言いながら差し出された手に、自分の手を重ねるべきかを悩んで躊躇していると。
「もうあんまし人居らんし、ええやろ。」
いとも簡単に、絡めとられてしまう右手。
そのまま手を繋いで、バス停まで。 私たちの家の方面へと向かうバスは、さっき出たばかりで、次の便は30分後らしい。
「結構時間あるし、”喧嘩”しよか。」
ヤンキー漫画にでも出てきそうな台詞を、北が真剣な顔で言う。
「…不安な事とか、言いたいこと全部言っていいの?」
「おん。」
聞きたい事があるんだけど、と前置きを一つ。
「さっき、キス…した?」
「キス…?あぁ、さっきのか。」
あの人と北の姿が重なってーーしっかりとは見えなかったけれど、やっぱり… 私たちは、まだキスをした事が無くて。北のせいだとは言えないけれど、それでも。
「されそうにはなったんやろうけど、すんでの所で避けた。」
「え、嘘…」
「嘘ちゃうわ。今日見たやろ、アホみたいに早いスパイク受けて返さなあかんのやで?反射神経も動体視力も、それなりにある。」
安心せぇ、と頭を撫でられれば力が抜けて。 なんだ…よかった…と安堵した。
「俺も聞きたいんやけど、ええ?」
「うん、」
「なんで角名の事は倫君呼んで、俺の事は北なん?」
じっと見つめてくる北に、もしかして…と思う。 侑君考案の作戦、実は効果あったの…?!
「ヤキモチ…?」
「今は俺が聞く番やろ。」
「…いつもは角名君って呼んでる、けど…ちょっと当て付けみたいな感じで、北の前でだけ倫君って…」
そう、北とあの人が名前で呼び合う事への当て付けだ。あの帰り道で言ったことを思い出したのだろう、北は、あぁ、成る程…と納得したようだ。
「俺はあいつの事、名字で呼んどる。やから名字も角名の事は名字で呼び。」
頷くと、北はそれから…と付け加えた。
「名前、って呼ぶから、俺のことも名前で呼んでほしい。」
名前、と箇条書きした最初の文字が頭に浮かぶ。 なんだ、おんなじ事を思ってたんだ。自然と緩んでしまう頬に、北が、なに笑てんねんと拗ねたように言う。
「ねぇ、信介」
「…なんや。」
「もっと一緒にいる時間が欲しい。たまに部活終わって一緒帰るとか、移動教室とか。き、信介の負担にならない程度で。」
あかん?とエセ関西弁を一つ。少し首を傾げて言うと、困ったように北が微笑む。
「それに弱いって、わかってやっとるやろ。…ええよ、でも帰りは遅なるから、家まで送らせてな。」
バスが来て、一時休戦…というか、なんというか。 そもそも、私が知ってる喧嘩って、こうだっけ?と思いながらも座席に腰掛けると。 隣に座る北が私の肩先へとゆるやかに体重をかけた。
「…!どうしたの?」
「重いか?」
「いや、そんなに体重かけてないでしょ。大丈夫だけど…こんな事するの、珍しいから、ビックリして」
一度離した手も再び繋がれている。
「なんや、さっきから名前がかわえぇから、なんとなくや。彼氏が彼女にこういう事するの、可笑しい?」
「おかしく、ない。」
「ならええやん。…バス乗っとる間は、喧嘩もできへんし。」
あれ、なんか北ってこんなだっけ。 悪戯っぽく微笑む北に、なんだかどうしたらいいかわからなくなって、寝たフリを決め込むことにしよう、と目を閉じる。 ふふ、という笑い声は聞こえなかったことにして。
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