誕生日が嬉しかったのは小学生までだったような気がすると、赤葦が何でもない事のように言った。わたしにはそれがとても寂しいことのように感じてしまって。だからわたしは余計に祝ってあげたくて、気難しそうな顔をすこしでも笑顔にしてあげたくて、多忙な彼の部活後の時間枠を貰った。高校生にはとてもじゃないが行けない高いレストランに行って、ご飯をたべて、プレゼントをあげて、クリスマスの近いこの季節の名物ともいえるイルミネーションを見に行く。かんぺき。
〈赤葦が保健室で寝ている。それも体調不良で。〉
赤葦の誕生日当日。
わたしがそれを聞いたのは赤葦が保健室に行ってから随分と時間の経過した、三時間も後だった。
本来であれば早退などの処置を取るだろうに彼は”ただの睡眠不足”であると主張し早退を頑なに拒んだのだそうだ。本人がそういった姿勢であれば保健医側としてもどうする事もできないのだろう、ひとまずベットも数個所在することであるし他に緊急を要する生徒がいない現状のままであるのならばという条件付きで赤葦は一先ずお昼休みまでベットで横になる事を許されたのだそうだ。
彼はもし、ベットを追い出されたらどうするつもりだったのだろうと考える。考えて、即座に答えは弾き出された。彼はとても責任感が強く、並大抵ならぬ根性がある。早退を拒むのも放課後に控えた部活、部員たちを想ってなのだろうし、恐らく保健室も本人の意思を伴って行ったわけではなく彼の意思に背いて誰かが連行したに違いない。だって、彼をうまく言いくるめることのできる人間を、わたしは知らない。
その憶測は、保健室の扉を開いて赤葦の名を呼んだ事への保健医の反応にて憶測から確信へと変わった。
「最初は“自分は平気だから授業にでる”ってきかなかったんだけど、睡眠誘発効果のある頭痛薬飲んだらすぐねちゃって、もう2時間は寝てるのよ」
保健医は少し刻まれている目じりの皺を深めた。
苦さは含まれているけれど、微笑んだと形容できる表情だったと思う。
お弁当を二つ持っているわたしに、彼女はわたしと赤葦の関係を察したのだろう、或いは、興味すらなかったのかもしれない。先生はわたしに赤葦との関係を尋ねたりはしなかった。
「頭痛って、風邪でもひいたんですか?」
「うーん」先生は首を捻って、「微熱程度だけどね」と首を竦めた。それから、「インフルエンザがはやってきてるから、本当は病院にいってもらいたいんだけどねえ」と続ける。
わたしは何も返答できずに押し黙る。
先生はおもむろに椅子から立ち上がると、ベットの前まで歩いていってカーテンを開けた。
ベットを外部から遮るように閉じられていたベットがあらわになって、けれども赤葦の顔は見えない。ただほんの少しこんもりした布団がその上で鎮座しているだけだ。毛布なんて半分くらいベットから落ちているし、あれもしかして赤葦って寝相悪い?なんてどうでも良いことを考える。
「先生もお昼いってくるから、少しの間まかせてもいい?」
などと尋ねてはいるもののしっかしと保健室のドアに手をかけている。片足なんて廊下に出ていた。
「あ、はい」
「ありがとう、お願いね」
満足そうに先生は笑って、静かにドアを閉ざした。
初めから静粛に包まれていたであろう保健室が静まり返る。お昼休みだというのにこの季節という事もあって、保健室から見える中庭でご飯を食べている人は誰一人として存在しなかった。
窓が開いているのか、隙間風のようなものがわたしの不意をついて足元を通っていって思わず体を固くする。手にしていたお弁当を机の上に置こうとすれば、2年6組赤葦京治と名前の書かれた訪問履歴の名前を見つけた。時刻は一時間目が始まってまもなくの時間。その横に寝不足と書かれていた。寝不足なのももしかしたら虚構ではないのかもしれないが、十中八九風邪の症状のほうが酷いだろうに。
誕生日の日に風邪を引くなんて彼もついていない。
放課後のデートもなしかな。残念だけどしょうがないや。
ふと、視界に入っている布団の塊がもそもそと動いた。昔教室で飼っていたハムスターを思い出す。
「……赤葦、おきた?」
へんじは、ない
布団をめくってみると、こちらに背中を向け、肢体を小さく折りたたんで眠る赤葦が居た。顔を覗き込んでみるとどこか寝苦しそうだ。首が低そうだと感じたのもその筈、彼の頭の下には枕がない。そこらを見回せば、ベットの下に落ちていた。どう寝たら、こんなふうに落ちるんだろうか。
体育の授業の途中だったのか、運動用のジャージ姿の赤葦はとても新鮮だった。
白いシャツが捲れて背中が少しだけ見えている。
それから、鎖骨のあたりや腕まくりされた腕も外気に晒された事で肌寒さを感じたのだろう、赤葦が腕だけを動かして布団を探していた。いつもこんな感じなのかなと思わせるほど手馴れたようなそのしぐさに、彼が寝相が悪いという単なる印象が俄然真実味を帯びてきた。
痣だらけの腕を見て、どうしようもなく悲しい気持ちになる。彼は、赤葦は、がんばりすぎなのだ、わたしから見れば。謙遜のつもりなど毛頭ないかのように赤葦はいつでもわたしのその言葉を否定する。少しは休んだほうがいいと進言してみてもまるできかないのだ。それから、最後に風邪を引いたのは小学生のときであり数年も風邪すら知らない健康体だとまたまた謎の自慢をしてみせる。健康なのはいいことだが、こうして今風邪をひいてるじゃないか。
赤葦の額に手を置く。
女子の手のひらは冷えやすいと、以前どこかで聞いた事があった。自分ではまるで信憑性のない噂のように思っていた。だって赤葦のほうが体温が低いから。手を繋いだ時赤葦の手はいつもわたしよりも冷たかった。
けれど、今日はそのいつもとは違っていた。
「…あつい」
何気なく呟いたわたしの声と、突如として額に触れた冷たい何かの感触で意識が浮上したのだろう、赤葦は眉間に皺を寄せて超絶不機嫌ですとでも言いたげな顔でわたしを見上げた。
「……なんでいるんですか」
赤葦はわたしの手を額から避けて、目元を手で覆った。
もしかしたらまぶしいのかもしれない。気を使って念のためカーテンを閉じる。
カーテンを閉じる音を聞き拾ったらしい赤葦はカーテンに目を向けて、それからわたしを見た。
「聞いたでしょ」
眠っている最中、眠っている状態であるのに眠っている自分を取り巻く環境の音や他人の会話を何故か寝起きに覚えているときがある。実際にそうだったのか憶測で物を言っているのかわからないが、赤葦はわたしが先生に彼が発熱していることを聞き及んでいるであろう事を指摘しているのだろうとわかった。
それでいてしらないふりをする。
「ん なにが?」
上肢を起こした赤葦の隣に腰掛けて、汗ばんではりついた前髪をよけてやる。熱に浮かされているのか、赤葦の目はいつもの2倍増しで座っている。男の人のこういう、視線に弱いのだ、わたしは。
「今日の赤葦あったかい」
軽く抱きついてみる。拒みすらしなかったが、赤葦が困っているであろうことはなんとなくわかった。
腕の痣を隠すように捲り上げられていたシャツを元に戻しながら赤葦は観念したように短く息を吐く。
抱きついたわたしの背中をぽんぽんと、何度か撫でた赤葦の手の熱さは何枚も重ね着しているわたしには分からなかった。
「風邪うつりますよ」
「んー、まあ それもありかな。うつった方が移したほうがはやく治るっていうじゃん」
「駄目です。俺はともかくみょうじさんは受験控えてるじゃないですか」
「控えてるっていったってそんな…」
結局、だらだらと言い訳をして赤葦のそばにいたいだけなのだ。
そんなわたしの胸中を汲み取ってか、赤葦はわたしの肩を掴んで距離を置いた。じっとわたしの顔を見つめてくるのでわたしも負け時と見つめ返していたが、やがて赤葦が彼らしくもなく屈託のかけらもない笑顔を浮かべたのでわたしも一瞬、反応が遅れてしまった。
予兆もなく、赤葦がわたしにキスをした。
「お望み通り風邪うつるといいですね」
硬直するわたしを、赤葦は笑った。
普段の彼はこんなにもたくさん笑わない。年上のわたしの前では、笑わない。少なくとも、こんなにもかわいい顔を見せてはくれない。
人は寝起きだと緊張感なども抜けて無防備な姿を晒すのだと、小学生の頃に理科の授業で習った。だから野生生物はむやみやたらに眠らない。人間も所詮は動物だったということだ。これが寝起きの力かあ。
「まだ、こんなんじゃうつんない」
赤葦の顔を掴んで引き寄せる。自分からするのはやはりがっついていて余裕がないみたいで恥ずかしかったが、赤葦はそれよりも余裕云々なんて考えていないのだろう。
ここにわたしたち以外の第三者がいるかどうかも考えずに、野生動物みたいにわたしの唇を噛んできて、されるがままに貪られる。赤葦の頬にはりついていたわたしの手から力がぬけたのをいいことに、赤葦がそれを剥がして、わたしの手を握ったままキスをする。
ふと、恥ずかしいと、思った。このタイミングで もし、だれかがいたら、なんて考えるのはわたしくらいだろう。
ちゅっと軽い音を立てて唇を離した赤葦はわたしの顔をみて「ふは、」という呼気だけの気の抜けた笑いを零した。やばい。流されそう。
わたしは半分無意識に赤葦からにげた。カーテンを掻き分けて視覚的に隔離されたこの場所から逃げていく。
「自分から煽ったくせに」
赤葦の揶揄するような声を背中で受け取りながら、わたしは先生の机の前まで歩いていって、机の上にのったお弁当を手にして、カーテンの中に隠れている赤葦に差し出した。
いつまでたっても受け取る様子のない赤葦を不思議に思って顔を上げると、赤葦はベットをおりてわたしの前にまで歩いてきた。
彼の視線が自分の情けない顔に注がれているのだろうと考えると羞恥に耐え切れなくなってわたしはベットにお弁当を粗野において逃げ出すべくして赤葦に背中を向けた。
「いま逃げられたらさすがの俺も傷付きますけど」
「え、と」
視線を床にずらす。「お…お昼休みおわっちゃう よ?」自分でもどうしたらいいかわからないくらいに上ずった声がでた。
「あー、」均等のとれたきれいな顔を少しも歪ませないで、赤葦は「それは困りますね」とえらく棒読み風にのたまう。赤葦はきれいにしまいこまれたわたしのシャツのすそを引いて、できたばかりの隙間から手を入れてきた。驚きにまかせて赤葦を見ると、またキスが落ちてくる。熱に浮かされるとはいうけれども、こんな展開は予測していなかった。
「ちょ 待って だめ、ほんとだめ ここ学校!保健室!」
数秒限定の沈黙。
赤葦は何かを思案するように視線を一度ずらし、それからもう一度わたしを見た。
「すみませんでした」
「え なにが」
「いや、一理あると思って」
わたしの乱れた身なりを軽く手直してくれたあとに、赤葦は先生の机の上に乗っている体温計を手にして、服の中に腕を突っ込んだ。
先生の机によりかかって、けだるそうに窓の外を見ている。高校二年生の軍を抜いて大きいであろうその長身ぶりは遠目に見ても分かる。
いやよいやよもなんとかとはいうが、どこか期待してしまっていた自分も少なからず内在していたことに気がついて、堪らずわたしはベットに腰を落とした。
すぐちかくで体温計が計測を終えた電子音がする。
「ここが学校で、保健室で、それが理由で駄目なら、ここじゃなきゃいいんですよね」
わたしが顔を上げると同時に、目の前にずいっと腕が伸びてきて喉の奥からヒッッと悲鳴が漏れた。
「な…なに…」
突き出された手がカーテンを開ける。いつもの無表情の赤葦の腕がわたしへ向かってのばされていた。
その手には体温計が握られている。刻まれた数字をわたしの目が捉えた瞬間、わたしの顔は先ほどとは別の意味で真っ赤になったのがわかった。
「え?え?なんで?36度って、あれ?平熱?でもさっき熱…え?」
え、なに、熱でたふりしてたってこと ?
狼狽するわたしをよそに、赤葦は自分の分であろうお弁当を手にして、にこりと笑顔を浮かべた。親戚のまだちいさな男の子がいたずらをしたときによく浮かべる子供っぽい表情。かわいい。
ポケットを何か探すような仕草をして、赤葦はわたしに近づいた。
「あげます」
呆気に取られているわたしに一つの飴玉の入った包み紙を落ちてくる。
『なに これ』そう言いたげだったであろうわたしの目を覗き込んできて赤葦は目じりを下げて目を柔らかく細めた。
「ただの普通の飴っすけど・・なんかあげたかったんで」
なんと返答したらいいのか分からなかったから、照れ隠しにわたしは飴玉の包み紙をほどいて飴玉を口の中に入れる。味なんてぜんぜんわかんなかったけど、彼の言うとおりにたぶん、普通の飴なんだろう。
「 」
一言。それだけ言い残して、赤葦は意気揚々と教室に帰っていった。
「放課後、たのしみにしててください」
わたしのほうがうれしくなっちゃって、飴なんかもらっちゃって。わたしの計画はたぶん、最初から狂ってたんだなって。
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -