記念日といわれても特別何をしていいのか分からない。記念日が無くても彼女の事を大切に思う俺は存在するし、俺を大切に思ってくれている彼女は存在する。付き合い始めた日はそのきっかけがあっただけで、出会った日でもないしパートナーとして認めた日でもない。お互いがお互いを認め合って、隣にいることを認め始めたのは付き合い始めた日ではなく、それからもっと先。いつの間にかそういう位置づけになったのであって、「もしかしたらあの時…」で、俺たちはパートナーにさえ成りえず、友達以下に戻っていたのかもしれない。
かたかたとキーボードをタイプする音が響く室内に、俺と彼女の二人しかいないけれど、一人なのだと錯覚してしまうくらい彼女は静かにしている。ゆっくりと後ろを振り向いて彼女の姿を探すと、ほら、すぐ近くにいる。数枚重ねた座布団の上に体育座りをして、本屋で買ってきた写真集をお店よろしく自分の周りに並べている。足元においてあるのは系統の違う雑誌や写真集で、彼女が今熱心に見つめているのは、絶妙なアングルで顎の下に手を置いてドヤ顔をきめている哺乳綱サル目ヒト科ヒト亜科ゴリラ族ゴリラ属…つまりゴリラだった。その隣には、ワンプレートに盛り付けられた料理の写真、仏像、洋服。彼女の周りは言葉が無くとも賑やかな色をしていた。
「なあに?」
俺の視線に気づいた彼女が、ゴリラから目を話すことなく尋ねてくる。
「もう12月なんだなぁって」
そういえば、彼女の瞳が上を向く。だが、ゴリラから視線がずれただけで彼女の瞳は目の前の壁掛けカレンダーに移動しただけだった。「ああ」と小さな呟きが聞こえる。「そういえば、スーパー、クリスマスケーキとおせちの広告出してた」面倒くさそうにつぶやくと、彼女は「クリスマスとか、意味不明」と忌々しそうにつぶやいて、またゴリラを見つめはじめた。もともと日本人に合わせて適当に解釈された西洋ものが好きではない彼女は、クリスマスだのバレンタインだのには興味がない。たまたま遊びに来た木兎さんに「ハロウィンパーティーしねぇ?」と誘われた日には、日本のハロウィンは主旨がおかしいだろ!と怒りだし説教を始めたのだった。そんなんだったから、俺もあえてクリスマスにケーキだのプレゼントだのを用意してこなかった。おそらく大抵のカップルが経験する記念日とやらとは、無縁な二人だった。
それにしたって、ゴリラに夢中すぎるのはいかがなものか。
彼女の興味が今、ゴリラにあるのであれば俺との会話は、今先刻で終了だ。俺がどうしても話したいとか、彼女が俺に用事が無い限り、俺たちは同じ部屋に居ても一人でいるかのような錯覚を覚えるし、キーボードをタイプする音と石油ストーブが熱風は吐き出す音だけに鼓膜が揺れるだけだ。別段お互いの事が嫌いではない。話す必要が無いならば話す必要はない。同じ空間を共有するのも、また一つのコミュニケーション。
それに、俺たちの場合口下手なのではなく、他の人の言葉を借りるならば「ドライ」なだけだ。俺たちは互いに互いをドライな性格だと思ったことが無い、というのが難点なのだが。例え言葉が無くても、俺たちはお互いに対してなんら不満を持っていない。あるとすれば、それはその時に本人に言うという約束があるからだ。
「あのさ」
「なに」
「Tシャツ、欲しがってたでしょ?」
「…まあ、パジャマ代わりにするやつだけど。それがどうかした?」
「誕生日、じゃない?だから、買ったんだけど…なんていうかさ」
「レディスかったの?」
「さすがにそれはしない」
キーボードから指を離して、マグカップから白湯を飲む彼女を見つめる。言いづらいことがあるとき、彼女は必ず水を飲む。
「じゃあなに」
「いや、鶏柄と豚柄と牛柄とゴリラ柄があってさ」
そういえば、彼女がクリスマスだのなんだのが嫌いな理由はもう一つあった。
「……」
「ゴリラ柄買ったんだけど、コイツにすごい似てるの」
恐ろしく、プレゼントを選ぶセンスが無いのだった。そしてそのセンスが無い彼女が「コレ」と白い指で指したのはそれまで彼女の視線を一身に受けていたドヤ顔のゴリラだった。どやぁ。と顔真似をする彼女に、不満はない。例えセンスが無くても。ただ一つ、不満があるとすれば、ドヤ顔をしているゴリラが口角をあげてピンク色の歯茎を今にも見せてきそうなことが、とてつもなく不満だった。
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