キュッ、キュ。シューズの裏のゴムが体育館の床を引っ掛ける音と荒い息遣いが耳に入る。12月だというのに体育館の中は暑い。額から垂れてくる汗をTシャツの袖で拭った。「持ってこい!」と声を上げる木兎先輩へ今日最後のトスを上げる。俺の上げたボールは木兎先輩の掌とピッタリ噛み合い、強烈な音と共に床に叩きつけられた。
「お疲れ〜」
「お疲れ様です」
しっかり最後にスパイクが決められた事で大喜びしている木兎先輩を木葉先輩に任せ、俺はまっすぐ部室へと向かう。木兎先輩に付き合っていたら時間がいくらあっても足りない。いつまでもあの人の気が済むまでトスを上げさせられるに決まってる。首に掛けたタオルに、顔から噴き出す汗を吸収させる。ふわふわとしたタオルはマネージャーの2人が毎日しっかりと洗濯してくれているお陰だ。
「……っと」
体育館の壁に掛けられた時計を見ると、20時10分前。ぼんやりしている暇はない。後ろから「赤葦〜、気を付けて帰れよ!! なまえにもよろしくな!」と木兎先輩の大きな声が聞こえ、振り向いて頭を下げる。前を向くときに木葉先輩が木兎先輩の頭を叩いているのが見えたけど、まあうん。心の中で木葉先輩に礼を言っておこうと思う。
***
部室から出るともう周りは真っ暗で、体育館だけがやけに明かるかった。まだ木兎先輩は残ってスパイクの練習をするのか。驚くどころかここまで来たらもう呆れの境地だ。知ってたけど、やっぱりあの人とんだ体力オバケだな。右手にはめた蛍光カラーの腕時計を見るとなまえとの約束の時間が迫っていた。俺は手に持っていた紺色のマフラーを適当にぐるぐると首に巻く。見た目より温かいことの方が重要だ。ちらともう一度時計を見れば、タイムリミットはあと1分。きっとなまえは既に待っているだろうな、と頭の片隅で思いつつ昇降口のある方へ小走りで向かった。
誰もいない真っ暗な昇降口。目を凝らしてよく見るとひとつの人影が見える。近づいてみればやはりなまえだった。カイロを両手に持って階段に腰かけているなまえは、俺の姿が見えると立ち上がり笑顔で手を振った。時間は……ジャスト20時。運動部の俺と違い、文化部のなまえは部活が終わるのが30分早い。たかが30分。されど30分だ。段々と寒くなってくるのに、何もしないでこうして外で待たせているのは悪いだろう。前に、図書館で課題でもしているように言ったら、「星が見たいからヤダ」と断られたことを思い出す。そもそもなまえのことだ。俺がいくら中で待つようにと言ってもきっと聞かないだろう。いつからこんなに聞き分けの悪い子になってしまったんだか…… そんなことを思われているとはちっとも知らないなまえは、相変わらず気の抜けた表情で笑う。
「京ちゃんお疲れ〜 またぼっくん先輩に捕まってたんでしょ〜」
「よく分かったな」
「まあぼっくん先輩だし? それに京ちゃんの幼なじみですしな」
「それ関係あるか?」
「幼なじみのなまえちゃんは、京ちゃんのことならなんでも分かるのですよ。」
ふふん、と得意げな顔をするなまえ。ドヤ顔がやけに様になっていて少し腹が立った。赤くなった鼻に罪悪感を覚えつつも頬に手をやり、びよーんと伸ばす。おお、伸びる伸びる。
「なにふるのひょうひゃん」
「いや、なんかなまえのドヤ顔見るとイラッとして」
「なんへ!?」
流石にやりすぎたかもしれないと手を放せば、なまえはうらめしそうな顔で俺を見てきた。睨んだりしないあたり、怒っているわけではないらしい。
「なまえ、遅れてごめん」
「人のほっぺをさんざんつねった後にそれ!?」
別にいいけどさあ、と不服そうに呟くなまえに帰ろうかと声を掛ける。「うん」と返事をした後、なまえはスカートの後ろを軽く叩きぴょんと階段から飛び降りた。
***
「今日のうちのご飯、シチューらしいんだけど」
「いいな」
「いいでしょー! あたし、シチューには断然白米派なんだけど。シチューとご飯めっちゃ合うよね〜」
「残念。俺はパン派。」
「なん…だと…!? 京ちゃんはあのシチューにお米をインする魅力と美味しさが分からないというのか……!」
「なんでそんなに演技口調なわけ」
「なんとなく〜 今読んでるマンガのセリフ言いたかっただけ。」
「そんな理由か」
「そうだよ〜」
いつもと同じように夕飯はなんだとか、最近面白いマンガを見つけただとか、たわいない会話をしながら帰る。こうして何も気負わずに話せる空間が俺は好きだ。
「そういやさ、今日京ちゃん誕生日じゃん? 豪華にパーティーとかすんの?」
「この年でパーティーとかするわけないだろ。 というか誕生日覚えてたのか」
「ええ!? まさかの反応なんだけど! 毎年ちゃんとお祝いしてるよ!?」
「いや、今年はなまえ朝一に言ってこなかったから忘れてるのかと」
「ちゃんと覚えてますけど!?」
なまえが信じられないという顔で訴えかけてくるものだから、思わず笑いがこみ上げる。
「なんで笑うのさ!」
「いや、なまえが面白いからつい」
「人の顔見て面白いとか失礼だからね京ちゃん!」
がさがさと鞄を漁って、なまえは紙袋を取り出す。
「はい、京ちゃん。誕生日プレゼント。今年はハンドクリームと手袋ね!手を大切に!!」
「ありがとう。……でも今このタイミングで渡す?」
「あたしもここで渡すとは思わなかったよ!! あああああ京ちゃんのせいで、あたしの京ちゃんを驚かせようハッピーバースデー計画が崩れてく〜!!!」
「俺はなまえがそんな計画を立ててたことより、お前のネーミングセンスの無さに驚いてるよ」
「京ちゃん、シャラップ!」
俺となまえは幼なじみかつ家が目の前同士というなんともベタな関係だ。どこぞの少女マンガだと何度思ったことか。親同士は知り合いどころか、子どもを置いて両親たちだけで旅行に行くほど仲がいいし。まあ、それもこれも俺かなまえに付き合ってる人が出来たら変わるんだろうけど。隣を歩く幼なじみを見てもそんな気配はない(というかあったらこうして俺と帰らないだろうし)。……というか、なまえが俺以外の男と帰るのとか、想像出来ないな。傍から聞いたら自意識過剰のように聞こえるかもしれないな、なんて。
俺がなまえを好きだからというのもあるだろうけど。まだ見もしない相手に嫉妬だとか本当に笑えない。大体、なまえも鈍いというか…… 思春期の男女が幼なじみだからって普通登下校を一緒にするか、という話だしな。なにが「幼なじみのなまえちゃんは、京ちゃんのことならなんでも分かるのですよ。」だ。いい加減気づけ、馬鹿。念を込めてじっとつむじを見下ろす。
「……ハッ! 殺気!?」
なまえが体をぶるりと震わせ、周りをキョロキョロと見渡す。挙動不審か。というか、殺気とはなんだ。殺気とは。
「なまえ、明らかに不審者だからやめろ」
「だって今確実に殺気が飛んできてたよ!? あれは間違いなく「ヘイヘイヘーイ!ちょっとそこの兄ちゃん面貸せよ」って感じだった……」
「それただの柄の悪い木兎先輩だし、そもそもなんで絡まれるの俺なの」
「えっ!?京ちゃん、そこは普通「俺が守ってやるからお前は早く逃げろ!!」とか言うところじゃない?」
「なまえはマンガの読みすぎ」
「ちぇ〜 あ。家着いたね! じゃあね京ちゃん。今日は豪華パーティー楽しんで!」
「だからパーティーとかしないって……」
俺の家は右。なまえの家は左。左右で別れる俺たちはいつもこうして家に入る前に軽く挨拶ともつかない挨拶をする。
「あ。そうそう京ちゃんや」
「なに」
「改めて誕生日おめでとう!」
「……ありがとう」
「んーん!」
「それじゃあまた明日」
いつも通り玄関のドアを開けようとすると、もう一度「京ちゃん!」と呼び止められた。
「なに。どうしたのなまえ」
「……」
「……なまえ?」
「あー…っと、ね。いざ言おうと思ったら恥ずかしいな、うん。」
「なまえ?」
今度は俺がいぶかしげな顔をする番だ。玄関のドアから手を離し、なまえの家の方に近づく。
「わ、わわわわわわ京ちゃんストップ!! そっから動かないで!!」
「はあ?」
「えーっと、だからね、その、うん、」
「何言ってるのか分かんないんだけど」
いつものなまえらしくないその態度。もにょもにょと話すものだから全く聞こえない。足を一歩なまえの方に踏み出せば、わあわあとなまえが騒ぐ。近所迷惑だ。
「あーもう!女は度胸ってばっちゃが言ってたような気がしなくもないから言うね!!」
「いやどっちだよ」
「赤葦京冶くん!!!!」
「いきなりフルネームで呼ぶとかビックリするだろ。というか声がでか――」
「好きです!!!!!」
「は、」
「幼なじみの京ちゃんがあたしは大好きです!!」
「ちょっと、なまえ、」
「うん、言った!!言ってやったぞ!! じゃあそれだけだから!!豪華パーティー楽しんで!! おやすみっ!!」
声を掛ける間もなくなまえはドアの向こうに消える。俺はといえば一歩も動けないままそのまましゃがみ込む。クソ、顔が熱い。
「あんなの反則だろ……」
いつからだとか声がでかいとか言い逃げは卑怯だろとかいろいろ思うところはあるけど、とりあえず、
「あれ、絶対母さん達に聞かれた……」
家に帰るとニヤニヤと笑みを浮かべている両親の顔が安易に想像できて、思わずため息をつく。立ち上がりながらさっきのことを思い出してはまた顔が熱くなるのを感じた。明日、覚えてろよ。いつまでもこうして外にいるわけにはいかないし、なにより父さんと母さんの質問攻めが俺を待っている。なまえから貰ったプレゼントの入った紙袋をしっかりと握りなおして、「ただいま」と俺は玄関のドアを開けた。
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