「え、赤葦くんって今日が誕生日なの?」
私がそのことを知ったのは、乗り込もうとした電車が丁度目の前に停まった時だった。あまりにも突然過ぎることに、それほど多くない人混みの中に佇んで口をぽかんと開けてみせると、赤葦くんは「そうだよ」とだけ短く返事を返す。なんでもないような様子の赤葦くんの姿を見ていたら私はもう一度驚いてしまって、声を発することを忘れてしまった。
部活が終わる時間がほとんど一緒で、帰り道も最初の電車一本は同じものに乗っている赤葦くんとはよく下校を共にする仲だ。そして同じクラスで隣の席同士という事もあってそこそこ仲が良い。だからこうして二人で帰ることに恥じらいなんてもの感じていないけれど、そういうことよりも、そこそこ仲が良いはずなのに赤葦くんの誕生日を聞いたのは今日が初めてということは一体どういうことか。しかも誕生日当日の、もう高校生は家に帰らなくてはいけない時間の僅か三十分ほど前だった。確かに二年生に上がって春先に私が誕生日を迎えた頃、赤葦くんの誕生日はいつなのだろうかとふと思ったことはあったけれど、まさか誕生日当日に教えられるとは考えてもいなかった。
あまりにも突然すぎることに足を止めてしまったせいで乗り込もうとしていた電車のドアは私の目の前で閉まり、そして私を待つことなく過ぎ去っていく。その姿すらただ呆然と眺めているだけの私を我に返したのは、赤葦くんの「電車、行っちゃったけど」という言葉だった。さっきから赤葦くんはいつも通りの落ち着きようで、私はその姿にすらなんとも言えないような気持ちを抱いてしまった。悲しいとか悔しいとか、そういうものではないけど、憂鬱に似たような何かだった。
「なんで教えてくれなかったの?もっと早く教えてくれたら、プレゼントとか用意してたかもしれないのに」
一瞬であるが心細いとまで感じてしまった感情を咄嗟に振り解き私が声を上げれば、赤葦くんはぎょっとした表情を見せた。しかしそれも束の間、瞼を上げ目を見開いたかと思えば、ゆったりと視線を地面に向け、それを追うように静かに瞼が落ちて行く。男の子にしては長い睫毛に縁取られた綺麗な目の輪郭がはっきりと伺えて、普段あまり意識しないせもあり、その一瞬見えた赤葦くんの表情にどきりと胸を高鳴らせてしまい慌てて息を止める。
「いいよ、そういうの。もう17だし」
「何それ、私なんて今年の誕生日は大喜びだったのに」
というのも、私の誕生日は赤葦くんのように特に何もない平日に訪れてくれるわけではなく、ぎりぎり春休みと被る四月の頭なのだ。他の友達と違い学校に来たら祝われることなんてないし、部活も無いので赤葦くんのように部活帰りに話しを振られて祝われることもない。だからこそ今年の誕生日は複数の友達がわざわざ家を尋ねてくれて、手作りのケーキやプレゼントを持ち寄せてくれたことに大喜びだった。半年以上前のことではあるが、今でも思い出すと嬉しさのあまり頬が緩む。
「…みょうじ、本当に嬉しかったんだね」
どうやら私は考えていることを素直に表情に出してしまうタイプらしい。それも、とても分かり易く。一つ苦い笑みを零した赤葦くんの顔を見てしまった私は、急に恥ずかしくなり先程の赤葦くんを真似て地面に視線を落とす。が、視線はすぐに上に上がってしまった。赤葦くんが優しく私の腕を引っ張ったからだ。赤葦くんがそうしたのはホームのベンチに連れて行こうとしたからなのだが、ベンチに誘導する赤葦くんの背中をじっと見ながら歩いていたら、私はあることに気付いてしまった。
そういえば、まだ赤葦くんに「おめでとう」を言っていない。
「あの、赤葦くん?」
「なに?」
「た、誕生日おめでとう」
「うん、ありがとう」
人に「おめでとう」と言うことはこんなにも恥ずかしいことだっただろうか。さっき一人で笑っていたことがバレて、それをまだ引き摺っているせいなのだろうか。ストレートにおめでとうと伝えようとしたはずなのに、ちょっとだけ恥ずかしくなって声が突っ掛かってしまった。先にベンチに腰掛けた赤葦くんは特に気に留めることなく、私の言葉に今度は優しい笑みを浮かべてくれていた。ポーカーフェイスという言葉がぴったりと当てはまる赤葦くんにとっては、そういう表情を見せてくれたことに私は嬉しくなる。
「あ、そうだ。最終までまだ時間あるし、コンビニでも行く?お菓子とか買ってあげるよ」
そして恥ずかしさとやらは何処かへ吹っ飛び、赤葦くんの目の前に立って問い掛ける。誕生日と知って何もできないよりだったら、ちょっとしたことでもできたら良い。そう思って言ったことだったのに、赤葦くんは嫌そうな表情を見せてくれた。
「コンビニのお菓子とか、凄く義理って感じがするよね」
「……赤葦くんって我侭なの?」
「素直なんだよ」
そんなことを言われてしまっては返す言葉が見当たらない。何かしてあげようと思ったけれど、される本人が嫌だと言っているんだから無理矢理押し付けることもできない。
「じゃあ、何かしてほしいこととかある?」
どうしようもなくなった時は素直に訊いてしまおう。そういうことをしたらサプライズ感が無くなってしまうではないかと思ってしまったけれど、そもそも最初からそういうのは存在していなかった。
赤葦くんの隣に座って正直にそれを問い掛けた時、赤葦くんは少し悩んだ後に口を開いた。「それなら」とその言葉は確かに私の耳に届いたけれど、その後の言葉はホームに流れ出したアナウンスの音によって掻き消されてしまった。掻き消されたと言うより、アナウンスが耳に入り途中で言葉を止めてしまったのだろう。どうやらもうすぐ反対側のホームに電車が停まるそうだ。つまり赤葦くんが乗る予定の電車が停まるというわけで、赤葦くんはそれに乗って帰らなくてはならない。だらりと時間を過ごしていたこの数分の時間を、私は此処に来て後悔し始める。
「ごめん赤葦くん、なんて言ったの?」
「みょうじのこと、名前で呼びたいなって」
「……え?」
赤葦くんは本当に素直な人のようだ。赤葦くんが言い出した「してほしいこと」の内容にはもちろん驚いてしまったけれど、漫画やドラマでよくある「やっぱなんでもない」と何も言わずに帰られてしまう展開が来るのではないかと思っていたから二重に驚いてしまった。
「今日だけでもいいんだけど。無理なら大丈夫」
「ううん、全然大丈夫だよ。それだけでいいの?」
「それだけって、随分軽いノリで言うね。なら俺のことも名前で呼んでくれていいんだよ」
「それも別に大丈夫だけど…」
――じゃあ、はい、呼んで。 名前で呼びたいと言い出したのは赤葦くんの方なのに、私が言うように促されるのは一体どういうことだろう。
電車の時間が一刻一刻と近付くに連れてホームには人が集まってくる。アナウンスの声すら集中しなければ聞き取れないような賑わい始めた駅のホームのベンチに座り込んで、こんなおかしなやり取りをしている私達は周りから見たら一体どういうふうに見られているのだろうか。まさか名前で呼び合おうと、子供みたいな約束をしているだなんて誰も思っていないだろう。
「け、京治くん」
「なまえ…、さん」
「……」
「……」
「…あ、やっぱり…これはちょっと…」
「…うん」
名前で呼び合うというだけのやり取りをなんでもないように思っていたけれど、いざ口にするととてつもなく恥ずかしい思いをしてしまった。直前まで赤葦くんもそう思っていたのだろう。身体を前に倒して、まるで考える人のような格好を取り始めた赤葦くんはどう見たって恥ずかしがっているようにしか見えなかった。言い出したのは赤葦くんの方なのに、肝心の赤葦くんが私の反応に頷いてから何も言ってくれないせいでおかしな空気が流れ始める。
「な…なんだかすごく恥ずかしいね」
「……そうだね」
「あの、け、あ、赤葦くん、もうすぐ電車来るよ」
「……知ってる」
もうすぐ、というよりはそれからすぐに到着した電車の音を背中で聞きながら、知ってると言っているのに動こうとはしない赤葦くんを横目で見つめてほんのりと赤くなった自分の頬を両手で摩った。一向に動こうとしない赤葦くんとこの空気にとうとう我慢できなくなった私は恐る恐る口を開く。「帰らないの?」早くしないと私みたいに電車に乗れなくなっちゃうよ。さっきまでの勢いはおかしなもので消え去ってしまったから、それは静かに声になって零れた。
「帰りたくない」という言葉は女の子しか言わない言葉だと思ってた。電車が発車する音に消されながら赤葦くんははっきりとそんな言葉を零した。電車の音は煩くて、普通ならさっきアナウンスが流れた時と同じように聞き取ることができずに聞き返してしまいそうなのに、それがはっきりと耳に届いてしまったのは随分と近くで赤葦くんがその言葉を零したせいだ。すぐ隣に赤葦くんが居るということは、普段学校に居る時と同じなはずなのに何処か違う。
「あの、赤葦くん、照れてるの?」
「そりゃ照れるよ」
「言い出したの赤葦くんなのに」
「……そうだけど」
ことんと、私の肩に赤葦くんの頭が乗っかった。そして私の頬はみるみるうちに赤くなる。どうしてこんな展開になってしまったのか分からないけれど、あまりにも突然過ぎた誕生日の告白とこの展開に頭が追いつかなくなり、密かに身体を震わせた。今まで何も恥ずかしがることなく赤葦くんと帰り道を共にしてきたのに、明日からはそうもいかなそうだ。
それでも私は負けなようにと震える唇を無理矢理に動かして、今一番伝えたいことを口にする。そうすると肩が重くなったような気がした。
「京治くん、誕生日おめでとう」
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -