結局俺の二年生最後の都内大会は準優勝で終わった。俺はなんだかんだ言って、あの先輩達が大好きだったらしい。三年生抜きの試合はどうにも上手く噛み合わなくて、コンビミスを連発した。物足りない訳ではなかったが、胸にぽっかり空いた穴は何時まで経っても埋められずに、なあなあで目を反らせたまま全て終わらせてしまった。それも、今日で終わり。全部全部、おしまい。
普段いつも使っている梟谷高校第一体育館。そこが今日のメイン会場。三月一日。卒業式。片付けは大抵二年生の仕事で、それが終われば各々の部活の送別会。みょうじさんは来るだろうか。そりゃ来るに決まってるか。会いたいような、会いたくないような。壁の装飾を外して、薄汚れた緑色のマットを畳んで、片付けは終った。俺は体育館の真ん中で、ただぼーっと突っ立っていた。寸分狂いないのに、どうしてもいつもと同じあの体育館だとは思えなかった。ここは、遠い。俺は、本来いるべきところから、随分遠いところまで来てしまったみたいだ。たった一人で。
ふとした瞬間に蘇るのは毎回あの人の声で、俺はそれを反芻しては耳を塞ぐ。雑音に邪魔させまいと。
「顔を上げろ。胸を張れ。笑みを浮かべろ。下手くそでもいい。これで最後なんだから」
春高。オレンジコートに立つことは容易いわけではない。そこで生き残るのはなおのこと。準々決勝で俺達は敗退した。俺達は決して弱くなかった。強かった。それでも、相手の方が一枚上手だった。終わりの合図。ボールがこちらのコートに落ちた。伸ばした手の一センチ先に。0コンマ5秒先に。非情な笛の音。始まりと同じその音は、俺達に別れを突きつけた。それぞれの、終わり。
エンドラインに並ぶ。彼女は監督とならんで前へ。みんながみんな、悔しさをその顔に滲ませ、うつむいていた。俺は一人呆然としていた。まだ、受けとめきれていなかった。思えば俺はいつも目を反らせてばかりいた。このときもそうだった。呆気ないような終わりかたでも、それでも現実。信じられなかった。審判が礼の合図をする、その一瞬前に彼女は叫んだ。俺達の方を向いて。その顔に満面の笑みを浮かべて。
「泣くな!笑え!お前達は、私の誇りだよ」
ここに立たせてくれて、ありがとう。
皮肉にも、俺はその声で我に返った。あとからあとから溢れてくる涙が頬を濡らした。長い笛の音。頭を下げる。腰を折った体勢のまま、俺は動けなかった。
終わりの次は始まりだとわかってはいるものの、そう簡単に切り替えられるはずもなく、俺は暫く三年生の影を追いかけては虚無感に蝕まれた。優勝したのは俺達が敗れたあのチームだったと、風の噂で聞いた。ふうん。そうか。それで?俺に、何が出来たというのか。俺は先輩達に、彼女に、何をしてあげられたというのか。貰ってばかりだった。木兎さん達にも、みょうじさん達にも。
「あかあし」
「みょうじさん」
「何してんの」
「それはこっちの台詞ですよ、三年生はまだHRの最中なんじゃ」
「ふふん、抜け出してきたの」
ってか、なんで靴下なんスか。体育館シューズしまっちゃったから。
えへへと誤魔化すように笑うみょうじさんの胸元には普段つけているクラスバッチのかわりに小さなコサージュがつけられていて、彼女が今日の主役だった事を表していた。もう、この学校の生徒ではないことの証。ピンク色の綺麗な花びらは枯れることのない造花なのに、それは流れ行く日々の中で決定的な変化をもたらす一日を飾る。
「なんで赤葦が泣くのよ」
「ないてません」
「胸、貸してあげよーか」
「女性はそんなこと、簡単にいっちゃだめですよ」
「赤葦だから言ってんのよ、最後ぐらいカッコつけさせてよね」
「あんた絶対性別間違えて生まれてきましたよね」
「失礼な、これでもちゃんと女子高生ですぅ」
いつも通り軽口を叩きあっているのだから、いつも通り馬鹿みたいに笑ってくれたらいいのに。どうしてこの人はこんなにも寂しそうな顔で笑うのだろう。当たり前のことをぼんやりと考えながら、小さな温もりを感じていた。あやすように俺の背中を叩くみょうじさんに、きっと俺は一生敵わないんだろう。唐突にそう感じた。とても小さな手だった。
「赤葦は頑張り屋さんだね」
「そんなこと」
「謙遜しないの」
体育館には誰もいない。俺と、みょうじさんだけが切り取られたみたいにポツンと色を与えられている。他は全部灰色かかった夢のなかに落ちていく。きっと、あと一年後にも俺は同じ光景を見るんだろう。今度こそ、本当にたった一人で。
「みょうじさん」
「なに?」
「俺、木兎さんの御世話係みたいなとこ、あったじゃないですか」
「うん」
「だから、三年生の方には結構、頼りにしてるぞとか言われるが多かったんですけれど、」
言葉に詰まる。泣いてはいない。けれど、鼻の奥がツンとした。
「ほんとは、俺が頼ってたんです。俺は、セッターだとか、副主将だとか、色んなことに託つけて自分を正当化して、気付かないふりをしながら先輩達に頼ってばっかで。それで」
「最後まで、同じ舞台には立てなかった」
うつむいて爪先を眺める。少しだけくたびれた体育館シューズはバレーのシューズよりも綺麗に形をとどめている。白地に青いラインの入ったメッシュが、徐々に輪郭を失っていく。
「赤葦は、いい子だ。」
不意に彼女は言った。俺は鼻をすすった。
「赤葦にみんなが頼ってたのは、事実だよ」
「そんなこと」
「本当だってば。でも、追い付こうと思って躍起になってると、いつか周りを見失うよ」
「それって」
「謙遜は程々にしなさいって意味。行き過ぎた謙遜は時に人を傷つけるから」
それと、と彼女は続ける。俺は顔をあげられなかった。
「あんたはもう、副主将じゃなくて、主将だよ。がむしゃらに走るだけじゃなくて、みんなを引っ張っていく立場なの。だから、泣かないで」
あなたはずるい人だ、情けない声でいう。ふふん。彼女は自慢気に鼻をならしたけれど、それはすぐに小さな嗚咽に変わった。泣かないでよ赤葦、そう言いながら彼女は泣いた。
「誉めてないんですけど」
「知ってる」
ごちゃごちゃとした心のなかを、少しずつ暴かれていくような感覚。統一性のない俺の心情は一言では言い表せない。悔しさ半分、あとは情けなさと寂しさとそれから。
「ごめんなさい。貰ってばっかりで」
申し訳なく思う気持ちと憧れ。俺は何一つ、返せやしない。苦しさにもがいてもなにも変えられない。彼女が、先輩達がここを出ていくことは始めから、ずっと前から決まっていて、それを今更のように嘆く。馬鹿みたいだ。
「赤葦のそう言うところ、私は好きだよ」
「どうも」
「あっ、今どうでもいいとか思ってるでしょ」
違う、いいかけてやめた。弁解するのはきっと、一年後でも遅くはない。
「あの、」
「なに」
「待っててもらってもいいですか」
彼女が困ったように一つ、みじろきをしたのがわかった。
「嫌だよ」
俺は顔を上げた。彼女はまた、誤魔化すように笑う。その感情は読めなかった。
「駄目だよ赤葦。憧憬と恋慕を間違えちゃ」
「間違えてなんかない、俺は」
「赤葦」
「 」
小さく彼女は呟いた。その意味を理解するのには少し時間がかかった。
「もう、本当に」
あなたはずるい人だ、喉元で止めて、俺はゆっくりと息を吐いた。彼女は泣き笑いの顔で目を細めた。
「今まで、本当にありがとう」
遠くで俺とみょうじさんの名前を呼ぶ木兎さんの声がする。そのさらに遠くから木兎さんを呼ぶ木葉さん達の声もする。三年生のHRは終わったみたいだ。
「行こうよ赤葦」
「はい」
足を摺るようにして彼女はドアの方へ小走りする。対称的に、俺はゆっくりと歩いていく。スピードはそう変わらない。彼女は小さい。体育館の入り口で、彼女はくるりと振り向いた。階段になっているところの一番上に靴下のまま降りた彼女は、そこで深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
彼女は誰にも聞こえないような小さな声で言った。
靴を履いて、彼女は駆け出した。俺はみょうじさんから少し遅れて歩いた。彼女の旋毛を眺めながら、ああ、俺は一生この人には追い付けないんだなあと妙に納得した。手を伸ばすのは簡単なのに、追い付くのは容易いのに、俺がそれをしない理由。小さな背中が遠のいていく。俺は歩くスピードを変えない。
「赤葦、はやく」
彼女が振り向いた。ああ、なるほど。見返った時の彼女の姿があの日と重なる。ブラッシュバック。俺は、やっぱりみょうじさんが好きだ。無意識の意識を引っ張り出して、ようやくわかったこと。彼女は狡い。俺はもっと狡い。でも、これでいい。これがいい。この距離じゃなきゃ、多分、俺と彼女は噛み合わない。
「そんなに急がなくても、木兎さん達は逃げませんよ」
先を行く彼女の華奢な、それでいて頼もしいその背中をどこか懐かしく感じながら返事をする。終わりと始まり。背中合わせの相反する二つが、俺の背中を押した。俺は彼女の青春を終わらせる為に走った。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -