原因があるならたぶん家が隣同士だということで、敗因があるならやっぱり家が隣同士だということだと、わたしはそうおもうのだ。これはわたしの長年の調査に基づいた上での結論であり、100%に近い確率で正しいと自負している。たとえば、はあ、とわたしが吐き出したため息を耳聡くひろいあげた京治が、
「しあわせ逃げるよ」
と、無表情でこ生意気な台詞を平気でぶん投げてくるのも、奴が我が物顔で人のベッドの上を陣取って課題をしているのも、どっかのベッタベタな少女漫画みたいにベランダから突然やってくるのも、年頃の女子の部屋に不法侵入しているというのにわたしを含めた誰もが咎めることはおろか、風呂上がりらしい彼に夏はアイス、冬はココアを与えてしまうことも、全部全部はそこに帰結しているのである。たぶん。結局の、ところ。
はたからみれば幼馴染、という関係性はひどく魅力的なのだろうし、小説や漫画だったらイケメンの幼馴染と恋が始まるテッパンってやつだから、そりゃあ時には人から羨ましがられることだってあるのだけれど、ときにはひどく煩わしいものでもある。とおもっている。イケメン、と評価してやらなくもないわたしの幼馴染は、わたしのことを異性だなんてちっともおもっていないのだ。すくなくとも、わたしの部屋で、こうして平気でくつろいでいられるくらいには。そういうものはほとんどの場合、所詮、現実以外のところでの幻想であるととうにあきらめはついているのだけれど。だって、わたしと京治の関係は小さなころからなんにも変わっちゃいなかった。きっと、これからも変わらないのだろう。わかっちゃいるけど、むなしいもんはむなしい。
わたしは再度、どこか淀んでいるような気さえする二酸化炭素をはきだして、ちろりと京治を盗み見た。いつもは涼しげな横顔には部活を終えたあとだからか、色濃い疲労が残っている。オレンジコートを目指している梟谷学園高校バレー部の練習はいつだってきっとわたしの想像以上にハードなのだろうし、今日も散々木兎のやつの自主練に付き合ったそうだから、疲れてしまうのもしようがない。朝練に授業、部活、自主練、課題というサイクルをよく毎日根も上げずにこなしているもんだなあ、とおもったが、京治はそもそも真面目だし、驕らず努力ができる子だ。ちいさなころからそうだったのだから、いまだってそうだった。そういうところもすきだった。
いつも以上に眠そうな顔した彼は、時折船を漕いではノートに太い線をひいてみたり、本来ならわりときれいめな文字なのに見る影も無いふにゃふにゃとした文字を書きなぐってる。ふあ、と吐き出される二酸化炭素にはわたしのそれとはちがって、今日一日の頑張りがとけこんでいる。
わたしがそんな彼をおつかれさま、がんばったね、と触ってみるととてもやわらかい髪を撫でてただ甘やかしてやることができたのは、きっと中三くらいまでのはなしで、それからはもうずうっとできないでいる。きっと幼馴染という資格が失効しているのだ。京治はわたしを幼馴染としかみていないのに、わたしだけが、彼をちがった目で見つめている。見つめたいわけじゃなかったのに。
「…赤葦くん、寝るなら自分の部屋帰ってよ」
ねないねない、という時の京治ほど信用ならないものはない。わたしの言うことなどちっとも聞かないが、彼の睡眠欲への忠誠は深いものがある。クラスメイトの木兎光太郎にきいたはなしによると、バレー部の合宿中に限界がくると平気で床で寝てしまう程度には、その忠誠は深いのだ。
「…なまえ、これ教えて」
「こーら、先輩を呼び捨てにしないの」
「……なまえちゃん?」
「ばかじゃないの。眠いからってふざけんな」
「なまえちゃん、これ教えて」
「だから」
「はやく。じゃないと、寝るよ俺」
学校ではすました顔ばかりしている京治がそうやって、眠そうにしながらもにたりと口端を吊りあげたので、わたしは慄いた。この男はずるいのだ。この間まですこし表情が乏しい、けれどただかわいい少年だったくせに、グングン背が伸びてもう見上げなければいけなくなったし、部活に精をだしているからどんどん精悍になってかっこよくなってしまったし、声も低くなってしまっていちいちわたしの心臓を脅かすし、そういう理由でこの男はもうわたしだけの赤葦京治ではなくなり、わりと女子の視線を集めがちな高校二年生になってしまったのである。
「……タイムアップ……」
「京治、寝るなら部屋帰ってね……」
「うん、あとで」
「あっ、こら京治」
二度目に声をかけた時には既に遅しで、京治はすうすうと細い寝息を立てていた。はあ、と脱力をして、彼が頬に敷いているノートを救出する。こんなにこんなに疲れているのを起こすのは忍びなくって、けれどわざわざ布団を出して別々に眠るのは意識しているのがばれてしまいそうで、仕方なく今日も隣に潜り込む羽目になる。昨日も、一昨日もも、その前もである。
それでも、ぴたりと閉じられた瞼や、好き勝手にうねっている前髪を憎めないのだ。女子顔負けの肌理細かい頬や、投げ出されている自分よりよっぽど大きな手に触れたいとおもう。バレーのためにいつだって短く揃えられている爪をいとしいとおもう。すました顔して本当はいつだって、何事にだって全力な京治を、まるごと全部抱きしめたいと、そう、おもうのだ。叶わないことだというのは、もう随分前から知っている。だから口にはせずにおもう程度は許してほしい。
「いっそ、彼女とかつくってくれればいいんだけどなあ。そしたら、」
さすがに諦められるのに。自分で言って、悲しくなったのでおかしくて笑った。布団に潜り込み、京治を壁際に押しやってから電気を消した。明日こそは部屋に帰ってもらおうと固く誓い、自分以外の体温がある場所で今日も眠った。今日限りだ、そんなことをおもいながら。
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原因があるならたぶん家が隣同士だということで、敗因があるならやっぱり家が隣同士だということだと、そうおもうのだ。これは俺の長年の調査に基づいた上での結論であり、100%に近い確率で正しいと自負している。そこに木兎さんとの自主練で蓄積された疲労、という項目が含まれるかといえばノーとは言いきれないのだが、それはつい最近増えた項目であって結局は大した問題ではないのである。
たとえば、はっと目を覚ましたときに自分の部屋ではない、けれどよく知る天井が視界にはいることも、自分の母親が好んで使うものとは別の柔軟剤の香りがすることも、隣でひとつ年上の幼馴染が間抜けな顔で寝ていることも、全部全部はそこに帰結しているのである。たぶん。結局の、ところ。
そもそも幼馴染っつったって健全な男子高校生、その隣でこうも穏やかに寝息をたてられるのは悔しくもあり呆れもする。起こせばいいのにそれをしないのはこのひとが元々持っている優しさとお人好しな部分、それから特に、一緒に過ごした時間というものに裏付けされた並々ならぬ信用、というものが関与している。それはいつだって自分の邪魔をする酷く無用のもので、まるで尖った刃物みたいに自尊心というものをずたずたに切り裂くのだった。そうして今日も、このひとが自分を弟程度の存在にしかおもっていないことを知らされる。少なくとも、こうして自分の横で無防備に腹を出して眠れるくらいには。
「……風邪ひくって」
彼女が着ていた部屋着をぐいっと下げ、毛布を引き上げる。我ながら冷たい声が出たとおもうが、当の本人は夢の中なのでまあ構わないだろう。ぺち、と額を叩くとなまえは一瞬顔をしかめたが、すぐにむにゃむにゃと夢の中に戻って行った。眠りが深くて良いことだ。背中に手を回してみても全く起きやしないので、そのまま引き寄せる。簡単に手中に納まる軽い体は女の子そのもので、ちょっとどうしようもない気持ちになった。それはまあ、健全なんで。
こうやってずっと自分の横で間抜けな顔してればいいのに時間とか年の差とかっていうもんは残酷で、はっと気づいた時にはもう自分だけのものじゃなくなっている。知らないことの方がずっとずっと多くなっていく。だって朝になったら学校で、このひとはただの先輩になるのだ。なって、しまうのだ。
別にすごい美人ってわけじゃないし、とびきり頭がいいわけでもない。どこにでもいそうな平々凡々、けれどとびきり笑顔がいいので、こちらばかりいつだってひやひやさせられている。俺がいつまでも幼馴染から恋愛対象に昇格できないっていうのに、そこを軽々と飛び越えていくやつがいるんじゃないか。だって、目立つわけではないけれど埋もれていてくれるような性格でもないから男友達だって少なくなくない。そういう性格なのだ。もうずっと、生まれたその時から。
「俺のこと好きになってくれるの、待ってますから」くらい、先輩ぶるなまえに綽々と言える程度の余裕が欲しい、と、おもう。何度も言うがこちらはいつも振り回されてばかりで、イライラさせられてばかりなのだ。年下だとか子供だとか思われたくないから、ポーカーフェイスを気取ってるだけで、余裕なんて全くない。あるはずもない。なまえはいつも無防備で、同時に無慈悲である。こうして、据え膳を喰う勇気を根こそぎ奪う絶対的な信頼を問答無用で与えてくる。信頼という蛇に睨まれた、俺は蛙なのである。滑稽だが、それは紛れもない真実だ。
悔しいので、絶対に向こうから好きだといわせてやる。と決めている。いつか。方法は分からないが、とりあえず朝に少女漫画顔負けの笑顔で「おはよう」と、そうたぶらかしてやろうとおもう。恋っていうのは、そこに落とし穴が備えられているみたいにすとんと落ちる場合もあるが、こうして作戦を練って罠を仕掛けて最終的に突き落すというやり方もあるのである。後者は少々面倒だがなまえの場合は幼馴染同士なので、突然落ちてもらうには素性を知られすぎている。じわりじわりとやるほうが効果的な場合もある。そう信じている。そうしていつか、信頼とか、そういう面倒なものを丸ごとまとめておいしく喰うのだ。
はあ、と息を吐き、なまえを抱きしめたまま目を閉じた。
勝利への一手を打つために、眠って朝を、待つのだ。
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