はつこいというものは叶わないらしい。そう聞いたのは小学生のときだった。はつゆきがけして積もらないように、はつこいも叶うことはないのだと、何かで読んだ文章にそう書いてあったのを覚えている。何に書いてあったかなんて忘れているのに、その文章だけをくっきりと覚えているのはまぎれもなくわたしのはつこいは、その言葉通りだったからだろう。叶わない、というよりは叶いかけてこじれてしまったというほうが正しいだろうけど。
なんていうか端的に言ってしまうと、私のはつこいだったあの人は、私と恋人という関係をもちながら他の女の子とも関係をもっていたのでしたまる。
その事実を知るまで、あの人は優しくかっこいい彼氏そのものだったので、正直あの時真っ最中に踏み込まなかったら今でも裏切りを知ることもなく彼女でいたと思う。なにせあの時まで私はあの人のことを一度だって疑ったことはなかったからだ。
そんなこんなではつこいの人の裏切りを知ってしまった私はそのままあっさりと捨てられてしまった。疑うことをしなかったほど、できなかったほどに信頼していた恋人に裏切られ捨てられてしまった私は、まあ普通にぐれた。ぐれたといっても恋愛なんてもうしねーよ!!って決意しただけだけど。見た目とかそういうのを変えることはできなかった。そこまでする勇気はなかったし、やる気もなかった。あとそんなことしたら部に迷惑かかるし。
だからこそこんな風に、また誰かをすきになるとは露ほども思っていなかったのだ。しかも恋なんてしねーよと決意してからそう遠くないうちに。
私の隣に立つ恋人の顔をそっと見上げる。年下のくせに、彼は私よりずっと背が高い。
見つめられていることに気がついたのか赤葦がこちらを向く。目が、あった
「どうかしましたか」
「私の彼氏はかっこいいなと思って」
「そ、れは、…………ありがとうございます」
なんともいえないように口ごもってから、赤葦はふっと目を私からはずした。でもそれが嫌がっているとかそういうことではなくどう反応すればいいか分からなくて照れているということを私は知っている。なによりうっすらと赤くなっている頬が赤くなっていた。その様子がかわいくて、胸の中がじんわりと熱くなる。
そんな私たちの上に、駅名を告げるアナウンスがふってくる。いつものように私の手をつかんだ赤葦は手を引きながら開いたドアからプラットホームへと降り立った。手を引かれるがままに、つながれたてのひらに従って赤葦の背を追う。赤葦のてのひらは暖房のせいかうっすらと汗ばんでいて熱かった。
同じ駅でおりるといっても、私と赤葦の家は決して近いわけではない。つかれているだろうに、毎日当たり前のように赤葦は送ってくれる。申し訳ないとも思うけど、危ないからとか、そういう以前に一緒にいたいからしてるんですというちょっとだけはにかんで言われたその言葉を嬉しく思わない彼女がいるだろうか。申し訳なさを感じなくなったわけではないけれど、それでもやっぱり嬉しいことには変わりなくて、今日も私は赤葦と手をつないで素直に家に送られる。
私の家の明かりが見えた頃、いつもの位置で私と赤葦は足を止めた。私の手を握っていた赤葦の手が離れたせいか、てのひらが冷たい空気に触れてすーすーする。
赤葦の指が、私の頬に伸びてゆっくりと撫でた。私はその指先の心地よさに目を閉じる。なんとなく手が寂しくて、赤葦の制服をそっとつかんだ。それからふれるだけのくちづけを、受け入れた。
少したってから、赤葦のくちびるが離れていく。その別離にいつものことながら名残惜しさを感じながら目を開ける。唇は離れているけれど、それでも近い距離で、赤葦がふっと笑う。
その笑みに赤葦って私のこと好きなんだなあって、痛いほど分かってしまって、それがとても幸せだと思えて、私も笑った。
▽
あの人から最近どう?というメールが来たのはついこの間のことだ。それから時々、電話がかかってくるようになった。かかってくるようになったといっても数回程度で、私はその電話に一度としてでたことはなかった。メールも返していない。LINEをけして使わないところが彼らしいと、そう思った。付き合っているときでさえ、彼はあんまりLINEを使わなかったから。
何のために連絡が来ているのか皆目検討もつかなかったし、何を話されるのか、何を話せばいいのかも分からない。そんな私を尻目にただ着信の記録だけが残っていく。
別れるときに円満どころかひどい別れ方をしたため、あれから私は彼と話していない。元よりうちの学校の人数は多いので、クラスさえ違ってしまえば接点がない私たちは自分から遭おうとでもしなければ顔をみることさえなくなる。
その点に関してだけは学年があがるあたりに見つけてしまったことはタイミングが良かったのだと、思う。
電話がかかってくるのはたいていが夜で、赤葦と別れたあたりの時間だった。いっそ着信拒否をしてしまえばいいとも思うけれど、それは意識しすぎているような気がしてなんとなく嫌だった。
もちろんそう感じるのは今でも未練があるとかそういうことではない。むしろ冷静なほうだ。
少なくともあの別れた直後にかかってきていたらこんな風に落ち着いて考えることなんてできなかった。比較的冷静に考えられるのは、今の私が赤葦のことを好きだという自覚が有るからだ。
このことはまだ誰にも話せていなかった。友人にも、もちろん赤葦にも。
特に赤葦には隠すべきではないということは分かっている。もしも私が同じ立場だったら、知らせて欲しいと思う。だって隠されていることを知ったら不安になる。
だけど赤葦にはあの彼氏のことでたくさん迷惑をかけたから、これ以上かけたくないと、思ってしまう。というかあんまり関係して欲しくないのかもしれない。
ぐるぐると考えてはみるものの、どうしても赤葦の前でにでると、いえなくなってしまうのだ。
「……なんだそうです」
「…………」
「なまえさん、聞いてました?」
赤葦の声にはっとして、無意識のうちにうつむいて顔を慌ててあげた。
「……大丈夫ですか? 今日ずっとそんな感じですけど」
「えっ。全然大丈夫だよ! ごめん、なんか」
「いえ。でも今日だけじゃなくて最近ずっと、おかしくないですか」
そういった赤葦の表情はあまり変わってはいないけど、それでも声にはたしかに心配の色が滲んでいた。だからこそ後ろめたく感じる。こんな風に心配してもらっているのに考えているのはあの人のことなのだ。
罪悪感を感じるのは、隠しているという自覚があるからだ。今でも好きとか、実はうらぎっていたとか、そういうことは一切ないと誓って言える、それでも私はあの人から来る連絡を隠している。その事実が、重く私の胸に黒い影を落とした。
赤葦の手を握る力を強める。熱が伝わって、溶け合っている指先を絡めるようにして、すがるようにぎゅってする。赤葦は何も言わずに、だけど応えるように握り返してくれた。
「ほんとに、大丈夫。……ね、今日私からしてもいい?」
ごまかすように笑ってから。質問の答えを聞くより先に赤葦の首へと腕を回した。赤葦の身長は高いのでつま先で立たなければ届かない。気を使ってくれたのか赤葦が腰をかがめてくれたので、爪先立ちでもこころもとなかった距離がぐっと近くなった。そのまま、赤葦が目をつぶったのを確認して、くちびるを押し付けようとした瞬間。空気を切り裂くように高い音が私のポケットに入っていた携帯から鳴り響いた。
音のせいで目を開けたらしい赤葦と目が、合う。私の体はその音に思わず固まってしまった。固まってしまったことに対してなのは、着信にでないことに対してなのか、赤葦が訝しげに私の名前を呼ぶ。
「……なまえさん?」
鳴り響くその音は何かの曲とかじゃなくて、電子的な音だった。私はその音で誰から電話が着たのか分かってしまう。だって昔の、恋人時代にしていた恋愛の曲からその音に設定にしたのは私だ。
あの曲であったら、赤葦はきっと誰から来たのか分かっただろう。だって彼の前で、あの曲は最も多く鳴り響いた。彼の裏切りを知ってから、私が立ちなおるようにずっと傍にいてくれたのは赤葦だ。
私はそのまま赤葦の体を抱き締めた。携帯がいまだなっているのに私がでないことを気にしているのか、困っているのが分かる。それでも赤葦は抱き締め返してくれた。
「出なくていいんですか」
「……いいんだよ」
「誰からですか」
「……しらない」
「俺がでてもいいですか」
「えっ」
赤葦はその言葉と同時に、私の体から手を離した。それから私のカ−ディガンのポケットに入っていた携帯を抜き取って、液晶に視線を落とした。液晶に映し出されているだろうあの人の名前に、背中に冷たい汗が噴出す。
びっくりして赤葦から携帯を取り返そうとした私を手で制すと、赤葦は私から一歩はなれて背を向け、通話の文字を推して携帯に耳に押し当てた。
「もしもし」
当たり前なのかもしれないけど、赤葦の声は心底冷えきっている。赤葦の声は聞こえるものの、あの人の声は聞こえなかった。
「……×××××××××××××××」
「そうですよ。俺がでるのは予想外でしたか」
「××××××××」
「出すと思ってますか。なまえがでたくないのくらい分からないわけじゃないでしょう。そのために俺がでてる」
「×××……。×××××××××××××××」
「いい加減にしろよ。ふざけんな」
赤葦の口調が崩れたことに、びくりと体がはねる。怒りとか、そういう熱いものじゃなくて、冷たくてこおりみたいなそんな拒絶の声だった。
今まで赤葦の口調が崩れたところなんて見たことがなくて、だからこそ私がその言葉をぶつけられているわけじゃないのに、怖い。背を向けられて、表情が見えないこともその怖さに拍車をかけていた。
「遅すぎましたね、なにもかも」
「…………×××」
「取り返しなんてつくと思ってるんですか? 俺がつかせませんよ」
その言葉を言い終えると赤葦は耳から携帯を離した。通話をきったのかきられたのかは分からない。
ずっとあちらに向いていた赤葦がこちらを向いて、携帯を私に差し出した。私はおそるおそるそれを受け取る。
「どうぞ」
「あ、りがとう」
「最近様子がおかしかったの、これですね」
「えーと、……その」
「隠してたんですか」
その声は静かで、責めるような意味合いは含まれていないみたいだった。ただ事実を述べているような声だった。それでもその声に返事はできなくて、下を向く。
すると赤葦がふっと笑ったのが空気で、分かった。
「意地悪なこと言いましたね」
「や、その、ほんと、ごめんなさい。でも隠したかったんじゃなくて、知られたくなくて、」
「分かってます」
赤葦の言葉に顔を上げる。赤葦の吐く白い息と、私の息が、街灯にはんしゃしてきらきらときらめいていた。
「なまえさんが今、俺のことちゃんと好きでいてくれてることぐらい分かってます」
「う、あかあし、私」
「隠されてたこと、腹は立ちますけど、なまえさんが俺のこと考えていえなかった事もなんとなく予想はついてます。やっぱり腹は立ちますけど」
「に、二回もいわせてごめん……」
「なまえさんが好きです」
赤葦の腕が、私がそうしたように首に回される。そのまま抱きすくめられて、頭をそっと胸に押し付けられた。額を赤葦のコートにこすり付けるようにして、目を閉じる。
「私も、好き、だよ」
「知ってます」
「すき」
「はい」
「……かっこいいって言葉は照れるのにすきは照れないの?」
「なまえさんにほめられるの、まだ慣れないんで」
「好きは慣れたの?」
「慣れたとか、そういうの以前に嬉しいんです」
ずっと望んでたからとぽつりと付け足された言葉になんだか涙が滲んできて、私は赤葦の体にすがるように手をまわした。
この人、私にもったいないなあと思うと同時に、どうしようもなく、本当にどうしようもなく、好きだと、そう感じた。このひとの心が一生私のものであればいいと、そう願ってしまうくらいに。
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