Yes,my lord.
「お嬢様…」
「……ごめん、ちょっと静かにして」
屋敷内で、私の後ろからついてくる弓弦に静かな冷たい声で言った。まだこれでもマシな方だ。
正直今の私は機嫌が悪い。
相手が弓弦じゃなけりゃ、下手すると「黙って」なんて言いそうだ。
別に弓弦が悪い訳じゃない、寧ろ弓弦は悪くない。
別件でイラついてるだけだ。
しかしそんな時に彼が『お嬢様』と呼んでくるのも少しイラつく原因となる。
私の我が儘、八つ当たりなのは分かっている。
でも、苛立ちで心が落ち着かなくて自分でもどうしたらいいのか分からない。
「弓弦」
「はい」
「『お嬢様』じゃなくて『ご主人様』って呼んで」
私がそう言うと彼は「仰せのままに」と落ち着いた声で言った。一体弓弦はどんな表情をしているのだろう。
振り返って彼の顔を見ると、いつものように涼し気な顔をして目が合うと爽やかにニコリと微笑んだ。
私よりも歳下なのに余裕があって、どこか大人びて見える弓弦を見ると少しずつ冷静になってくる。
「ご主人様、紅茶でも入れましょうか」
ほら、こうやって私の機嫌をすぐに察知して行動出来る彼は本当に凄い。
人をよく見てるんだなあ、と感心してしまう。
もう苛立ちなんてどこかへいってしまった。
「弓弦、おやつもある?」
「勿論です、ご主人様。
本日はスコーンをご用意しております」
その後、私は『ご主人様』と呼ばれることになった。
正直『ご主人様』と呼ばれるのは嬉しかった。
なにより、恋い慕っている人から呼ばれるのはなんだかドキドキした。
しかし、ある日状況が変わった。
この日は、逆に弓弦の機嫌が悪かった。
桃李が何かしたのかもしれないし、道で犬に遭遇してしまったのかもしれない。
…もしくは、私が何かしてしまったのかもしれない。
原因が分からないため本人に聞いても、
「お気になさらず」
と笑顔で返される。
ただ、その笑顔は張り付けた仮面のように冷たく感じた。
どこか怒っているようだった。
もし、本当に私が何かしてしまったのだとしたら直さなければいけないし、謝らなければいけない。
「ねえ、弓弦!待って…!!」
早足に屋敷内の廊下を歩く弓弦に声をかける。
「すみません、少しお静かにしていただいても、よろしいでしょうか」
弓弦の口調はいつも通りだが、冷たさを感じた。
弓弦は立ち止まり、ゆっくりと深呼吸をした。
息を吐ききったかと思うと、私の方に向いた。
「…失礼致しました。
ご主人様に怒っているわけではないのです。
ただ……八つ当たり、ですね…申し訳ございません…」
私がふと、思い出したのは数日前の出来事だった。
逆の立場で同じことをしている。
弓弦、こんな気持ちだったんだ。
謝らなければ、と思い謝ろうとする前に先に弓弦が口を開いた。
「ただ………言うとするなら、
正直私は…『お嬢様』『ご主人様』と呼ぶのはあまり好きではないのです。
私は名前で…『ななしさん』、もしくは『ななし様』とお呼びしたいのです。
私はななし様の愛らしい名前をお呼びしたい…ずっとそう思っておりました。
……私の我が儘で…情けないですが…」
しゅんとした弓弦は今まで見た中で1番可愛らしく見えた。
こんな可愛い我が儘を我が儘なんて呼ぶのだろうか。
「弓弦」
「はい」
「ななし、って呼んで?」
そう言うと弓弦は綺麗な目を見開いて私を見つめる。
「え……あの、よろしいのですか?」
「弓弦にななしって呼んでほしいの」
私がそう言うと弓弦は照れくさそうにななし、と私の名前を呼んだ。
「まるで恋人同士の呼び方のようで違和感があります………慣れるまでには時間がかかりそうですね…」
「じゃあ、」
恋人同士になったらすぐ慣れるの?
と私が問いかけると弓弦は顔を真っ赤にした。
「……そうかもしれませんね。
でも、さすがに…」
「弓弦は私のこと嫌い?」
私の質問に弓弦はふるふると首を横に振った。
「まさか……いえ、寧ろお慕いしております、が………」
徐々に声が小さくなる弓弦が愛おしくて仕方ない。
「弓弦………。私ね、弓弦のことずっと好きだったんだよ」
そう言うと弓弦は嬉しそうに微笑んだ。
「私もずっと前からお慕いしておりました」
「…じゃあ、これからは恋人としてよろしくね」
私がそう言うと、弓弦は私を抱き締め耳元で囁いた。
Yes,my lord.弓弦君に『ご主人様』と呼んで頂く話を書きたくて。
インスピレーションが湧いた気がしたが、気がしただけだった。
あとは言葉遣いが非常に丁寧な弓弦君には「お慕いしております」と言わせたかったんだ。
あと、Yes,my lordも…。
なんか…色々とごめんなさい。
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