実際のところ、彼女に憧れを抱いているのは到底俺一人などではないと思う。

「ちわー、あはは、やってるやってる」

いや、絶対に。
夕日が傾きかけた時間帯、彼女の大きくはないがよく通る声が響いて球児たちの背は緊張を帯びた。フェミニンなスカートをひらひらと風になびかせながらグラウンドに下りてきた彼女へと、誰と言わず視線が釘付けになる。誰よりもまず先に彼女へ駆け寄ったのは情けないことに現マネージャーたちで、俺たちはというとしばらくは彼女の姿を遠目に汗ばんだ手でボールを握り締めるだけだった。

去年まで野球部のマネージャーをしていた彼女は今は大学一年生だ。彼女がここへ来なくなってからたった数ヶ月しか経っていないはずなのに、おおよそ全ての感覚が懐かしかった。熱を帯びる喉、狭まる視界、喘ぐ心臓その何もかも。

まるで当然の流れのように練習が一時中断して、ちらほらと彼女の周りに部員が集まり始めた。花が咲くみたく笑う彼女は部員全員を名前で呼ぶ。その声はひどく心地がいい。

「気になって見に来ちゃった。差し入れにアップルパイ作ってきたんだー、よかったら部活の後で食べてね」

やったー、すげー、うまそー!歓声を上げる部員に嬉しそうに微笑む彼女へ俺は目を奪われる。ふと彼女の視線も俺に向けられたので反射的に目を逸らした。あー馬鹿、何やってんだ今更。

「準太」

呼ぶ声に眩暈がする。ちわっすと控えめに挨拶をすると、彼女は相変わらずの綺麗な笑顔でこちらに駆け寄り、俺の頭に手を伸ばしてきた。

「久しぶりだねー、なんかまた背ーのびた?」
「……そっすか?」
「うん、なんかねえ、男前が増した」
「からかわないでくださいよ」
「えー本当なのに。あんた今年からエースなんでしょ?がんばんなよー」

はい、と答えた声は震えていたかもしれない。撫でられた頭が熱を帯びる。そこで途切れた会話をどうにか続けたくて、何か、何かと考えていると背後で男の声が準さんと呼んだ。振り向くと利央が戸惑いぎみに俺の後ろで隠しきれない図体を隠している。ちらりと彼女に視線を配りながら俺にフォローを求めるので、都合がいいとばかりに俺は切り出した。

「ああ、そっか、お前まだ会ったことなかったっけ?」

去年までマネージャーしてくれてた綾さん。
紹介してやると彼女が「一年生?」と利央に興味を示した。あからさまに緊張している利央へと彼女が歩み寄る。

「おっきいねー、何センチ?」
「あ、186、です」
「はちじゅうろく!うわーあたしと30センチ近く違うんだ」

あ、やばい。と、直感的に思った。背伸びして利央の顔を至近距離で覗き込みながら彼女が言う。

「きれーな目の色」

ぼっと赤くなった利央を見てどうにも頭を抱えたくなった。あーあもう、こんなの絶対惚れちまう。


俺が言うのも何だけれど、彼女はよほど性格がいいというわけではない。むしろ悪い。いや、最悪。このとき彼女に初めて会った一年たちからしてみれば、卒業後でさえ野球部を気にかけてくれる理想的な美人マネといったところだろうけど。たった一年だけど時を共にした俺はあの人のタチの悪さを知っている。まるでマネージャーらしからぬその振る舞いの数々。
仕事は出来ると言ってよかった。競争率の高い桐青野球部のマネージャーをするだけあって、野球のことには詳しいし選手のクールダウンには重宝するし気は利くし、差し入れのクオリティも他のマネと比べると群を抜いて高かった。けれど。とにかく例を挙げてみればキリがない。部員への過剰なスキンシップ、いつも香らせる淡いトワレ、俺たち球児にはとても目の毒にしか成り得ない肌の露出。耐え難い猛暑日、暑いからという理由で彼女が部員の前で下着姿(本人曰くキャミだから問題ないそうだが)になろうとしたときはさすがの俺もブチ切れた。

「キャミっつったってそんなスケスケのフリフリなんかほぼないに等しいでしょ!わざとなんだったらいい加減怒りますよ!」
「何よう、自分たちだってあたしらの前でいっつも上半身露出してるじゃん、意味わかんない」

とにかくもう、タチが悪い。
それでも彼女は部員たちから慕われていた。自己中で無神経ではありながら、それでも野球部に対する思いやりは日々垣間見れたからだ。相手校の対戦データを幾度と言わず徹夜で作ってきたり、甲子園へ足を踏み出す俺たち部員全員へ手作りのミサンガを手渡してくれり、ときにはその努力に泣かされそうにもなった。日々無茶苦茶なあの人ではあったけど、そんなときでさえ笑って弱音も吐かず恩も着せないその姿勢は正直言って圧巻だった。準太、と呼ぶ、その声。惚れないほうがおかしかった。彼女の存在が確かにあの一年間の原動力だった。
 
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