孝ちゃんのことが、嫌いだ。
「は?」
いやだから。あたしの友達のね、某Yちゃん。孝ちゃんのことが好きらしいんだけど。一応本人を尊重して名前は伏せる。ふーんと返した孝ちゃんにむっとする。
「ふーんて何。ねえねえその子がもしすごく可愛かったらちょっとでも答える気ある?」
「……わかんねーよ」
「何で?てか孝ちゃんは好きな人いないの?」
「べつに」
ほう。べつに。
何故疑問文に対して返ってくる返事がイエスでもノーでもないんだろう。日本語ってむずかしい。
中学に上がってたまにこんなふうに恋愛がらみの話を切り出してみるようになったけど、決まって孝ちゃんの反応はそっけない。別に必要以上に食いついてこられても困るけどさ。
「……瑞穂は?」
「ん?」
「好きなヤツいんの?」
「……いやあ、べつに」
孝ちゃんは何だかよく分からない眼差しでこちらを見つめてため息を吐く。いやあごめん、本当日本語って難しいね。
それにしても驚いた。今まで私がそれとなく話題をふって、それに孝ちゃんが曖昧に答えることは数あれど、逆に孝ちゃんからこんなことを聞かれたのは初めてだった。まったく興味がないというわけでもないのだろうか。恋愛に?それともあたしに?孝ちゃんは無表情でひたすら漫画を読んでいる。何をかんがえているかはよく、分からない。
「……好きな人ね」
「あ?」
「別にできなくてもいいかなあなんて」
「?ふーん」
「だってあたしどうせゆくゆくは孝ちゃんと結婚するじゃん?」
「はァ?」
孝ちゃんは頬を染めるどころか顔を歪めてこちらを睨む。(せめて笑ってくれればよかったのに)
「それお前の親が勝手に言ってるだけだろ。何おまえ真に受けてんの」
「はは、は……まあ冗談ですけど」
「くだらねーこと言ってんなバカ」
「……じゃああたし、勝手に恋愛しちゃってもいいんだね?」
孝ちゃんは心底興味なさげに吐き捨てた。視線は漫画に固定したままもうこちらを見ようともしない。
「別に。好きにすれば」
ふーん、へーえ。結局そうなわけ。
(バカチビクソハゲ。大っ嫌い)
ワーオ!アロットオブザバイスクール!
教科書を広げて元気いっぱいに教師に指定されたページを読めば、みっつ挟んだ席に座る孝ちゃんが呆れたような眼差しでこちらを見ていた。着席、欠伸。孝ちゃんに視線は返さない。ていうか孝ちゃんがこっちを見ていることにすらあたしは気付いてませーん、だからもうこっち見んなハゲ、あーキモイウザイそして眠い。
べつに結婚だなんてあたしだってましてうちの親だって本気で言っているわけではない。だけど少なくともうんと幼い頃のあたしは孝ちゃんのことが大好きで、孝ちゃんに一日でも会えない日があろうもんなら大声で泣き喚いてやまないほどで、だから親が「瑞穂は将来孝ちゃんと結婚すればいいよ」と言ってくれたまでのことだ。そのときあったのは一生一緒にいられる方法があるのだと知れた喜び。たったそれだけ。すべて信じて疑わなくて、側にいるたったそれだけで満ち足りた。孝ちゃんのことが大好きだった。
「でも今は抱きついたりとかちゅうとかだってしてみたい」
「何いきなり」
放課後帰り道、友人に唐突に切り出したら怪訝な顔をされてしまった。フェンスの向こう側に見えるグラウンドでは野球部が爽やかな汗を流している。
「あたし孝ちゃんとちゅうがしたいよ」
「だから何いきなり、私は何て答えればいいわけ」
「思春期ってやつなのかな……おかしいよあたし、おかしい」
「あんたは元からおかしいよ」
ひどい、それでも親友か。ふうとため息を吐いた彼女が続けて言った。
「アレじゃないのかな、あんた泉のこと小さい頃から知ってるんでしょ?だからたぶん恋愛対象として見られてないというか」
「たぶんじゃないよ絶対そうだよ。だってあたしだってそうだもん」
「……ん?イヤ待て待て。あんたたった今泉とチューしたいとか言ってたじゃん」
「そうだよね……これはやっぱゆゆしき事態だよね……」
「意味わからんよ」
あたしだって意味わからん。だって少なくとも周りが騒ぐような誰々が好きだとかキャー目が合っちゃっただとかそんな感じとは違うんだ。正直キュンだとかドキドキだとかいう感覚もまったくもって分からない。だけど一緒にいるのは孝ちゃんがいい。ただ孝ちゃんとちゅうがしたい。
ひたすら悶々としながら歩いていると、ふと知らぬ声に名前を呼び止められた。それはフェンスの向こう側から。爽やかな汗を流す男子生徒に違いはなかったが、生憎野球部ではなくサッカー部だった。
「今から帰るの?」
「……あたしら?」
「うんキミら。ていうかキミ」
「はい……そうですけど」
「ちょっと、待ってて」
フェンスを大回りしてこちらまで駆けてきたそのサッカー少年は実にイケメンだった。にっこり。歯の浮くような爽やかさ。うわー何この人キラキラしてる。あー眩しいよー目がチカチカするよー。
彼の瞳には私の姿が女の子として映っていた。彼の申し出に私が頷くのにそれ以上の理由も必要なかった。
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