カキン。バットが球を弾く音を背に聞きながら、水分補給にベンチへ戻る。太陽は落ちかけている。それでも昼間の余熱がグラウンドからわき出て球児たちの汗を煽る。

彼女のくれたミサンガはとうに切れた。部員全員分。それもそう。あれからすでに十ヶ月近く経過している。日々のハードな練習で次々と彼女の願掛けは千切れていった。いつのまにか俺たちの手首はひどく寂しい。
今の俺の原動力は一体何だ?野球が楽しいから。好きだから。たったそれだけの事実で俺はじゅうぶん満ち足りた。今では彼女の存在を思い起こせば起こすほど、反対にすべてが足りなくなる。今の俺があるのは彼女のおかげで彼女のせいだ。冷えたアクエリを飲み干して大きく息を吐く。体を伝う汗を風が冷やす。

「想い続けるだけの恋って、苦しくないですか」

ふとした声の発生源はそばに立っていた後輩マネージャーだった。彼女もあの人に憧れていた内の一人。
意味が分からない。その目の意図が分からない。ただ苦しげにこちらを見つめるその姿に自然と眉に力がこもっていくのを感じながら、俺は背を向けて吐き捨てるように一言言った。

「下手に見返り求めるよりかは、ずっと楽だよ」

誰に言い聞かせたのかは分からない。



日は落ちた。暗闇にぽつりぽつりと星の光が足掻いている。練習の疲れに自然と足取りが重くなりながらも部員のやつらと騒ぎながら帰っていく。校門の影にバイクが見えた。まるでお決まりのように心臓が跳ねる。

「おつかれー」

笑ったのは相変わらずゴツいバイクには不似合いのフェミニンな服を纏った彼女で、そしてその笑顔は俺に対して向けられている。はい、とメットを投げられたので受け取った。促されるままに彼女の後ろへ跨ると、部員たちのはやし立てる声が襲いかかる。

「いいなーいっつも準太ばっか!」
「ずりーよ、お前そんな家遠くねえだろー」
「ふふ、エースのとっけーん」

そう言った彼女の腰へ控えめに手を添えると、しっかり掴みなさいと怒られて無理矢理密着させられた。ぎゃー!と部員たちが騒ぎ立てるのが喧しい。じゃあねーと間延びする声で彼女はバイクを発進させる。切る風が涼しくて気分は良かった。

一年時の頃から他の部員よりも俺は彼女と仲のいいほうだったと思う。ピッチャーというポジションに彼女が特別魅力を感じているのにはいつのまにか気付けたし、いや、それを除いてもやたらと可愛がってもらえていた気はする。それが一体何になるのかと問われれば、何にだってなりはしないのだって百も承知であるけれど。彼女は何にも執着しない。誰にだって執着しない。

「はーい到着」

あっというまに家の前まで着いて、だけどしばらく彼女の後ろから離れられないでいると準太?と優しい声が言った。その細い腰を放すのは惜しかった。それでも立ち上がって礼を告げると彼女は笑った。

「しっかり食べてよく寝るんだよ」
「……は、い」

ぽんぽんと、また彼女の手が頭を撫でる。別に何も求めちゃいない。求めても無駄なのは百も承知だ。だけどこの関係を捨てるのも惜しい。だからたまにこうして笑顔を見られるだけでじゅうぶんだった。それなのにこの人のタチが悪いのは、いつもこういうことを簡単に言うところだ。

「今度さあ、どっか二人で遊びに行こっか」
「え」
「部活のない日に。映画とか好き?それとも遠出して海とか」

ね、と笑う彼女が何を考えているかが読めない。いや、きっと何も考えてなんかない。俺がいつまでも返答に迷っていると、彼女のポケットで携帯が鳴った。簡素だが愛らしい電子音。

「もしもーし」

何、どうしたの?えー今?後輩家まで送ってた。うん、そう野球部の。は?うん男だよ、当たり前じゃん。……え?今から?
それから粗方頷いた後は通話を切る。何の好奇心からか出来心からか、誰っすか?と聞いてしまって後悔した。彼女は実にあっけらかんと言うのだった。

「かれし」

でもなんか機嫌悪いみたい。そう言って面倒そうにため息を吐いた彼女に頭がフリーズした。何に一番驚いたかって、彼女に恋人がいると聞かされただけで簡単にぐらつく己の精神。目の前が色を失う。世界が傾く。
彼女を好きだと自覚したのは去年の夏のことだった。いつしか水分補給を怠って、練習の最中に熱中症で倒れかけた俺に真っ先に気付き、ベンチの影で自分は汗だくになりながら必死にうちわで扇ぎ続けてくれた彼女。お前は綾さんに人一倍気に入られてるよなあだなんて慎吾さんの台詞も手伝って、いつのまにか期待めいたものまで感じ始めた。一時は彼女とどうにかなることまで考えた。けれど。調子付いて彼女と仲良くなればなるほど思い知らされた。彼女は俺を見ていない。いいや誰も見ていない。駄目なんだ無理なんだ、どうあっても彼女は手に入らない。そう気付いたのは本当に小さなことの積み重ねであったけど、以来俺は望みを捨てた。はずだったのに。

「準太?」

どうかしたー?と、俯く俺の顔を覗きこむ。断ち切ったと思い込んでいた俺が馬鹿だった。今でも俺は感じていた。他の部員に対する馬鹿な優越感、その笑顔に対する浅はかな独占欲、ただ高鳴るばかりの全ての衝動。見返りなんて、何をどうしたって用意なんかされてないのに。

「綾さん」
「ん、どした?」
「……もう、こういうのいいです。送ってもらったりとか……悪いんで」
「えー、なに今更。いいんだよどうせ帰り道だし、遠慮なんかしなくたって、」
「遠慮なんかじゃ……っ!!」

無意識に張り上げた声にはっとした。彼女は目を見開いている。だけどすぐに困ったような哀しそうな顔をする彼女を見て胸が痛んだ。また俯いた俺の頭に彼女の細い指がのびてくる。
ごめん、と彼女は謝ったけど、きっと何が悪いかなんて分かっていない。俺がこんなにもあんたのせいで苦しいのだって、どうせ分かっちゃいないんだ。
頼む、煽るな。

「泣かないでね」

見るな呼ぶな触るな撫でるなそんな優しく、頼むよセンパイ、お願いだから、

「大好きよ、準太」

あーほらもう、すぐそういうこと言うんだから。(そんなあんたが俺は心底大嫌い)


二等星の懇願
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