あ、と声を漏らすと高瀬先輩は振り向いた。ねえどうしてそんなに寂しそうなんですか。泣きそうな顔をしているんですか。

「見えてないんでしょ」

仲沢くんは言う。
何を迷うの、何に悩むの。好きなんだろぉ?それでいいじゃん。恋だとか憧れだとかそれが何?きっちり分けなきゃいけないわけ?その人のために舞い上がったり泣きたくなったり苦しくなったり、もうそれだけでじゅうぶん恋でしょ。だってただ一人のために一喜一憂、それって結構すごいことじゃね?
それとも見下してんのかなァ、恋に恋する青少年たちを?馬鹿にしてんのかなァ、ただの憧れを恋と認識する経験の薄い若者たちを?んなわけないよね、だっておまえも馬鹿なんじゃん。哀れだねえ、じつに。かわいそう。認めることそれ自体に何も怖いことなんてありゃしないよ。ほら前見て。いいの、馬鹿は馬鹿に習って素直に若い恋愛してりゃ。だってもう頭のなかそいつのことでいっぱいでしょ?
夢にまで見ちゃうくらいなんでしょ?


はっと目を覚ます。見えたのは静かな天井。夜の世界はまだ広がっている。さいあくだ。額にはじんわりと汗。

階段を下りて洗面所で顔を洗った。変な夢。実に変な夢。というか意味が分からない。でも、やっぱり認めたくないのかもしれない、これを恋だと。だって傷つくのが目に見えてる。彼の好きな人を私は知ってる。つまり私の抱えているこの気持ちを、ただの憧れであったのだと自己完結して嘲り笑って、それで済ませてしまえばきっとそれが一番楽なのだ、けど。それってやっぱり仲沢くんの言うとおり寂しいことなのかな、かわいそうなことなのかな。
──というか、何故に仲沢くん。夢の内容を思い返して顔が火照った。たしか最初は高瀬先輩と二人でグラウンドに立っている光景だったはずなのに。途中で切り替わった場面に出てきた仲沢くんは何故か上半身裸で、しかも同じく上半身裸のあの人を抱き締めていた。というか抱き合っていた?まるでどこかのエステのCMにでもありそうなショット。何がどうしてあんな夢。単に欲求不満なのか、それとも仲沢くんとあの人が上手くいってくれれば高瀬先輩が自分を見てくれるようになるかもとかそういう願望?

「どっちにしろ浅ましい!」
「うるさいよ」

ひっと小さく悲鳴を上げると目の前の鏡にお姉ちゃんが映っていた。とんでもなく恥ずかしい独り言を聞かれてしまった。また赤面。

「お、お帰り……遅かったね」
「うん、あんたこそ何でこんな時間まで起きてんの」

ちょっとどいて、と強引に押しのけられて洗面所を占領される。了解もなく私のクレンジングを大量に使用してメイクを落とし始めたお姉ちゃんを黙って見つめる。ひとつ年上であり高校も中退してしまった親不孝なこの姉は、果たして私みたいな青臭い悩みを抱えたことがあるのだろうか。いつしか「マネージャーなんて暇な仕事よくできんね」だなんて言われたけれど、まあ確かに野球が好きだからというたったそれだけの理由でマネージャーをする気になったわけではないのである。素敵な青春を送りたい、だなんてそんな下心ももちろんあったわけであり。ああ、自分という存在を改めて見直してみればみるほどその浅ましさが身に染みる。あの人は本当に野球が好きだから、部員が好きだからという純粋な気持ちだけでマネージャーをしていたのだ。高校生活は共にできたわけではないけど、今でもたまに遊びに来る彼女を見ていればそれが分かる。だからもはや嫉妬すらも及ばない。ただあるのはそんな小さな感情とは比にもならないほどの、どでかい規模の諦めだけだ。

「……お姉ちゃんさ」
「ん?なによ」
「彼氏とか、いる?」
「いないよ」
「えっいないの!?」
「何びっくりしてんの。いないよ、それが何?」
「じゃあ、好きな人は?」

んー、さあねえ、と返事を濁したお姉ちゃんが顔を拭いて自分の部屋に戻ろうとする。その後姿に私は慌てて、余裕のない声で尋ねた。

「絶対に、自分にとって報われない恋とかしちゃったら!そしたら、どうする?」

振り向いたお姉ちゃんは一瞬黙って天井を見上げた。そして黙って返事を待つ私を見た後、めずらしくゆっくりとした口調で言う。

「『絶対』なんてないんだよ」
「え?」
「よく分かんないけど。あんたもそれが分かってるから望みが薄くても好きでいられるんじゃないの?」

数秒の沈黙の後、だけどお姉ちゃんは「まああたしなら諦めるけどね」とからかうように笑って自分の部屋へ戻っていった。冴えた脳が眠気を蹴散らす。数秒立ちすくした後にため息混じりに頭を抱えた。私ときたらつくづくどこまでも浅ましいのだ。
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