先輩のはちみつレモンは、甘い。

「ごめんねぇ、またこんなありふれたもので」

タッパーに詰めたそれをみんなに配る姿が懐かしかった。先輩が卒業して、もう半年になる。ふんわりと柔らかなシャンプーの匂いを香らせてふんわりと笑う彼女は相変わらずだ。地獄のように苦しい部活も、彼女の声が舞うたび微かに和んだ。彼女には、力がある。醜く混ざり合った汚い色を、白く洗浄してくれる不思議な力。
現にこうして半年ぶりに王城へ訪れた彼女に、誰もが頬を和ませて笑っていた。(あのショーグンですら部活の中断を許したほど)(無自覚だけれど彼女には権力もある)



高一のとき、試合のたび応援に来てくれるスタンドのファンたちを見て彼女は言った。

「桜庭って本当友達多いんだね。いつもいっぱい女の子来てる!」

唐突な台詞に試合前ながら誰もが脱力した。当時の俺は俺を知らない女子なんて、ましてや同じ高校の生徒なんて存在しないと思い込んでたいたものだから、正直驚きが隠せない。俺、モデルやってるんです一応。言うと彼女は目を輝かせた。
えー!そうなんだ!背高いしかっこいいもんねぇ桜庭は!うんうん、向いてるよ確かにね!うん!へーそうなのか知らなかった……じゃああの子たちはみんな桜庭のファン?すごいじゃん、モテモテじゃん、うらやましいな一人くれよ。
このこの、と肘で小突いてくるから苦笑した。スタンドのファンが白い目で彼女を見ているのが分かる。ものともしない彼女はやはり、すごい。


部活をサボろうとしたことがあった。アイドルとアメフトの板ばさみ生活。疲れていた。体力的にでなく精神的に。屋上から練習を見下ろしながら、進の姿を見下ろしながら、ただ襲うのは劣等感。何やってんだろう、俺。何がしたんだろう、俺。桜庭はどうした、とショーグンが荒く叫ぶ声がここまで届いて肩を竦めた。ため息を吐いて地面へへたり込む。よどんだ俺の心に比例して風だけは優しく気持ちいい。彼女が来たのはそのときだった。

「あー!いたー!」

開いた扉の前からびしっと指をさして俺を睨む。何やってんの、と聞かれたけれど、答えることはできなかった。自分でもわからなかった。黙っていると、彼女も黙って隣へ座り込んだ。練習をじっと力ない目で見つめる俺を見て、言う。

「桜庭はがんばりかたが下手なんだよ」

嗜めるような口調に振り向くと、彼女は柔らかく笑っていた。爽やかで滑らかな風が頬を撫でた。

「桜庭はさあ、かっこいいし女の子にもモテるし男の子からはいがまれちゃったりするけどさあ、そんなのただの僻みなんだから気にすることないと思う!よ?」
「え?いや、別に俺は……」
「うん、そうだね。わかってるようん。だからさ、みんな気付いてないだけなんだよ、きっとかっこよさに目が眩んで!だってあんた爽やかだもん眩しいもん!」
「……?」

何が言いたいのかよく分からない。彼女は俺を連れ戻しに来たわけだからおそらく励ましていることは確かなのだが。彼女は笑って俺の眉間をつんと突いた。

「でもがんばってる桜庭が、私はすき!だよ!」

サァ、と吹いた風に乗って立ち上がった彼女の髪から甘い香りが届いた。反射的に心臓がどきり、だなんて鳴いたけど、彼女のすきに意味はないことは俺は知ってた。当時、彼女には付き合ってる人がいた。
だけどその一言が決め手で、俺が差し出された彼女の手を掴んでしまったことは確かだ。そのまま手を引かれて部活へ向かった。大幅の遅刻はもちろんこっぴどく叱られた。ただやはり彼女は笑っていた。



回されてきたタッパーを受け取る。久しぶりに味わったレモンはひどく懐かしい甘さだった。少し大人びた制服を着ていない彼女は相変わらず綺麗だ。懐かしげに部員と昔話をするその姿に目を惹かれる。差し出されたレモンを遠慮しときますと丁重に断わった進を真剣に殴りたくなった。(喧嘩に持ち込むと敵う自信はないけれど)

「あ!さっくらばー!久しぶり!」

彼女が俺に気付いて抱きついてくる。瞬間飛び込んだ甘く柔らかな香りは変わってなかった。

「何か、雰囲気変わったね」
「え?ああ、たぶん髪切ったんで」
「ううん!それもだけど何か、表情が違う。それに何か前より大っきい気がするし!」

身長はそんなに伸びてないんだけどな。首を傾げると彼女は昔のように微笑んで、人差し指で俺の眉間をちょん、と突いた。

「がんばってるんだね!」

硬直してしまった俺をすり抜けて彼女はまた別の部員に抱きつきに行ってしまう。優しく突かれたはずの眉間が妙に、熱い。頬が、熱い。変わらない。
眉間をおさえて彼女を振り返る。分け隔てなく振りまけられるその笑顔に、全身の筋力が緩む感覚が懐かしかった。口の中に残るレモンの味はなかなか溶けない。

「あー……もう、」

好きだ、なあ。



スウィートハニーレモン
(再録)
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