「あれ」

教室の明かりをつけると、あいつが寝てた。

午後七時半すぎ。バスケ部の練習を見物したり屋上で寝てたりと、なんやかんやしてたらいつのまにかこんな時間。帰ろうと思ったら、ポケットに入ってるはずのバイクのキーがないことに気がついた。
こいつはたまったもんじゃないと、探しに教室に戻ってきたら、あいつ。窓際の机に伏せて、いかにも気持ちよさそうな寝息をたてている。近寄って声をかければ、頬に服の痕をつけた顔を上げて寝ぼけ眼をこちらへ向けた。

「おーい、もう八時になっちゃうぜ?」
「……水戸洋平」
「何してんの」
「んー……何って、見てのとおり気持ちよく熟睡してたところを起こされたわけだけど」
「ああ、それはどうもすいませんね。でもそろそろ帰らなきゃまずいんじゃない?」
「うん……うーん」
「つーかこんな時間まで何してたの」
「べつにとくになにも。あんたはなにをしてんの」
「んーさがしもの」
「何さがしてんの」
「バイクのキー」
「ふーん……ん?んん?」
「なに……あ」
「もしやこれのことかな?水戸洋平くん」
「それだ、それ。何で持ってんの?」
「ふっふっふ教室の後ろのほうに落ちてたのを拾ってやったのだ。感謝したまえ」
「あ、そ。ありがとな」
「どういたしましてといいたいとこだがー」
「……はい?」
「だーれがタダで返すと言いました」
「何だよ、悪いけど金持ってねーよ、俺」
「あんたなんかに金なんかハナから期待してませーん」
「……お前さ、実は結構寝ぼけてるだろ?目がイッてんだけど」
「うっふっふー夜だからねえ」
「意味わかんないし。いいから返して」
「ウチさ、いま両親が喧嘩中で超険悪なのね。マミーにやつあたりで花瓶投げつけられたりさ。パピーには理不尽に怒鳴られたりさ。とにかく恐ろしくてたまんないから、できればまだ帰りたくないなーと」
「うん、で?俺、関係ないよね、それ」
「あらやだ、冷たい。だからもうしばらく暇つぶしの相手になって欲しいなって言ってんの、遠回しに」
「親の機嫌が悪いなら余計に早く帰らなきゃまずいんじゃないの」
「うわあ正論。でも長時間じわじわと嫌な思いするより、いっぺんに酷い目にあったほうがまだましと思うわけでね」
「まあ、ともかくさ。関係ないよね?俺」
「ていうか、むしろお家に泊めてくれたりしたらありがたいなあ」
「図々しいにも程があるでしょ。朝帰りなんてますますあとが恐ろしいって」
「もういいんだ、あんな家捨ててやるから」
「まあそれは勝手にすればいいけど、ほんと俺には関係ないし」
「関係あるよ、だってこの鍵ないとあんたも家に帰れないでしょ?」
「……なんで俺?」
「ん?今、目の前にいるから?」
「あーだからさ……男だよ、おれ」
「うん、べつに見ればわかるけど」
「……意味わかって言ってる?」
「何が」
「いや、だからさ、一晩中隣に女置いて理性を保つ自信ないよって言ってんの。健全な男子こーせーだからね、ぼく」
「うわーそうきたかー!うん、じゃあせいぜい奮闘してくれ、理性と」
「や、だからさ……とにかく無理。キー返して」
「泊めてくれるって言うまで渡さなーい」
「……言うと思った」
「彼女いんの?」
「は?」
「や、もしいるんだったらさすがに悪いかなとは思いはじめた」
「ああ……いるよ、いるからダメ」
「あ、うそだ。そうやって断わる口実にしようと思って」
「……結局なに言っても諦める気ねえんじゃねーか」
「ご名答!だからそっちが諦めて」
「……帰ったらパパとママも仲直りしてたりするかもよ?とにかく今日は諦めて帰れ」
「あ、わかった」
「は?なにが」
「あたしが彼女になればいいんだ」
「…………んん?」
「よし、それがいい、そうしよう。それなら泊まるのだって何ら不自然なことじゃないし、あんたが理性保つ必要もなくなるわけで」
「や、あの、ちょっとタンマ」
「なに」
「いきなり話飛びすぎじゃない?何が何でそんな話になるんだよ」
「何が、何で?むしろ何で?こんな合理的な提案ったらないでしょう」
「ああ、もう!よし分かった泊めてやる、手も出さねえ、それでいいだろ?」
「心外だわ、あたしに不満があるっての。こんなにいい女が付き合ってあげるって言ってんのに」
「いや、不満とかそれ以前の問題じゃ……」
「じゃあ、いいじゃん。付き合おう、はい決定ー」
「あの、あのさ。一応聞いてみてもいい?」
「はい、どうぞ」
「……おまえさ、別に俺のこと好きじゃないよな?」

恋人がいる。俺ではなく、彼女のほうに。
大して他人に興味も持たない俺ですら知っているほどだから、おそらくクラス中が周知の事実だ。恋人がいる。そして俺の記憶が確かならば、その恋人というのがつまり、おそらく、いいやもしかしなくとも、

「うん」

彼女は答えた。

「でも付き合ってくれるならたった今から好きになる。信用できない?いいよそれでも。それでもあたしは、今から勝手にあんたに惚れて勝手にあんたに夢中になる。簡単よ。好きではなかった。確かに、あたしはあんたを好きではなかったけれど、それでもあたしは、この鍵を拾ったその瞬間に、いまこの瞬間のこのやりとりまでを妄想したの。きっとこのまま教室で待っていたら持ち主がやってきてあたしを連れ去ってくれるんだって。そのひとをあたしはきっと好きになるって。何ならなにか命令してみて。たった今からあたしはあんたを大好きだから、もうきっと何だって出来るよ」

ただし鍵はまだ返さない。俺が言うより先に彼女が言った。そうか。そうだな。それならば。

「嘘をつくな」

ほんの一瞬、時が止まったようにも感じた。彼女は表情を崩さない。寝惚けているのか否かすらも悟らせない。薄く唇が開いた。そのままそっと微笑んだ。

「……一人だけ、名前を書いてなかったよね」
「んん?」
「洋平。あたしが彼のところへ世界史のノートを集めて持っていったとき、一番上にあったあんたのノートにだけ名前が書かれていなかった。それをすごく覚えてる、あんたから直接ノートを集めたときに、ほんとは気付いていたけれど、あたしはわざと黙ってた」
「……ふうん、なんで?」
「それを一番上にして持っていくでしょ、受け取った彼はもちろんすぐに気付くわけ、このノートは誰のだって。あたしは黙って彼の机の上のペンをとって、目の前で書いてみせた。水戸洋平って、書いてみせた」
「それで?」
「だからつまり、そういうこと」
「わかんねえよ、はっきり言え」
「だから、あたしは知ってたの」

彼女は手のひらを開いて俺に鍵を見せつけた。受け取るとそこには彼女の熱がこもっていた。

「その鍵が誰のものかっていうのも、ここへ来るのがあんただろうってことも、知ってていまあたしはこうしてる。だからつまりそういうこと。それがすべて」

鍵から伝わる熱が語った。握り締めると汗が滲んだ。

「うん。俺も」
「俺もなに?」
「だから俺も、わざと名前を書かずにわたした」
「……だからつまり?」
「鍵を落としたのはさすがにわざとじゃないけどな。おまえに拾われたのは、不運だ」
「なんだその程度」
「そう、その程度。悪いけど俺はその程度」
「やっぱり理想だ。洋平って最高」

なんだそれ。
腕を伸ばしてきたから引き寄せた。目を細めたからキスをした。サイレントにした彼女の携帯が先ほどからずっと鳴り続けているのに俺は本当は気付いてる。その点滅を目の端に、俺は罵倒するように囁いた。

「やっすいおんな」


とどのつまり
(「cheap madness」加筆再録)

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -