耳鳴りがひどい。キインと、鋭い音が強く頭に鳴り響いて、果ては意識と同化する。錯覚に陥る。まるで、この景色の全てが私を拒絶しているかのような。
寝そべり見上げた空の色は嫌に薄く奇妙だ。それでいて晴れ晴れとしているものだから気分が悪い。小さく小さな雲がぼんやりと、頼りなく風に流れる様に目を細める。耳鳴りはやまない。

「アカンなあ、サボったら」

――キイン。
芝生の上で大の字になって一人の世界を満喫するのが好きだった。見上げた空はいつだって広くて綺麗でおぼつかなくて、自分のちっぽけで身の程知らずな欲望なんていとも簡単にかき消してくれる。ただ嘲笑うかのようなその青に、そっと包み込まれるのが好きだった。それなのに。
私の孤独の世界に踏み込んで来たのはまたこの人。飄々と緩い笑みを浮かべて私の隣へ座り込む。ああなんて、重い。頼りなさげに見えていた雲は、いつのまにか私の上へ落ちてくるかのように威嚇している。なんて居心地悪い世界。

「……隊長こそ」
「僕は休憩や」
「じゃあ私も休憩です」
「じゃあお互い内緒やな」

そのまま返事はしないでおいた。生温い風がさわさわ。ざわざわ。肌を撫でる。体の芯が熱を帯びる。そして全身毛羽立っていく。なんて単純、なんて複雑な私の身体。理由なんて知れている。私を狂わすこの男。

視線を上げると目が合った。それだけで私は動けなくなる。真意を伝えぬその瞳。薄く開いて色を見せない。なんて淡くておぼろげで。それでいて私を締め付ける。

「名前ちゃん」

――キィィン、
響く高音に紛れて彼の声がかすむ。私たちを包む空気は、相変わらず生温くて柔らかい。まるで均衡がとれていない。似合わない、のだ。私たちにこんな穏やかなくうきなど。

「名前ちゃん、僕のこと好きなんやったら」

付き合う?聞こえた表情のない声に奥歯を噛んだ。脳髄を引き裂く高音は一層乱暴さを増して頭痛さえをも引き起こす。
また視線を上げると窺うような瞳が私を見ていた。ゆるく弧を描いた口元は相変わらず何もかもを隠している。ふわふわり。掴めない。雲のように憎い男。

「……馬鹿な冗談はよしてください。一体何人の女隊士に恨まれることか」
「何かあったら僕が守ったるよ」
「そんなの、まっぴらごめんです」
「……そ、残念やなあ」

音をたてずに立ち上がった彼は気配だけを残して去って行った。
残念。残念?心の底から残念なのは私のほうだ。失望する。こんなにも残酷な発言をする貴方に。今にも緩みそうな涙腺を必死で抑える、自分のあまりの貧弱さに。だいきらいだ。捕縛不可能なこの男。いつも気まぐれに私を揺さぶるこの男。はかなく脆い、この一時。

だって貴方は知っている。私の抱いた貴方への憧憬も、羨望も、恐怖も、絶望も。いまここで、たとえわたしがすがりつこうと、あなたはきっとへびのようにするすると。

再び孤独の空間に戻っても居心地の悪さは変わらなかった。いつもそうだ。私の安息の時をぶち破っては踏み込んでぐちゃぐちゃに踏み荒らして、名残りだけを残して去っていく。猫みたいにやって来て、狐のように去っていく。だいきらいだ。だいきらい。



半年と少しが経過した。
また嫌味のように晴れた日の空、光る柱を見た。ぼんやり見上げていると彼がその柱に吸い込まれ、空へ消えていくのが、見えた。わけの分からない侵入者に傷つけられて、身動きもとれないでいる私はいつまでもぼんやりとそれを見上げることしかできないでいる。
ほんの一瞬目が合った気もしたけれど、私はますます動けなくなるだけだった。ねえ、これ以上私の手の届かない場所へ行ってどうするつもり。

それから彼は姿を消した。私の前から、この世界から。
現実に絶望する副隊長にも、何も知らず隊長の身を案ずるだけの隊士たちにも興味はない。ただ自分の安息を想うだけ。誰の介入も許さない、私は自分の世界、一人の世界を、それだけを。

またいつものように芝生に寝そべれば、広く美しい青が私を包む。耳鳴りは消えた。耳障りな高音が姿を消した脳内には、静寂とすこしの寂しさが残った。
一瞬間だけ私を見た彼の目は、哀れむように優しかった。全てを今更謝るように。踏みつけた大地を慈しむように。
なんだというのだ。大嫌いな想い人。
めずらしく吐いた独り言は見上げた空にじわりと溶けた。


「……どうせまた、いつもの気まぐれなんでしょう」


蜻蛉の恋
燈華さんへ

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