女は不死身だった。何度威嚇して何度追い返したところでまた次の日には現れる。わずかにも笑わず泣かず怒らずに、ただ能面のようにして今日もそこに座っているのだ。

「君は何がしたいの」

箸をくわえながら上目でこちらを見た彼女の表情は読めない。応接室ならではの座り心地の良いそのソファに、さも当然のように腰掛けて彼女は食事をしている。持参の弁当はいつも質素だ。シンプルで古ぼけた弁当箱も箸もそれを包む布さえも、半年前から変わらない。

黙々と食事を続ける彼女の腕は白く細い。それを伝っていった首筋から頬まで何もかもが白く青く、血の通いを悟らせない。無生物のような眼球も極力動くことはしなかった。彼女は食べ終えた弁当をゆっくりとだけど無駄のない動作で片付けて、そこから緩やかに僕へと視線を持ち上げてそれから言う。

「昨日ね、なんだか眠れなくてだから何となく雲雀くんのこと考えてたんだけど」
「…………」
「人だかりを蹴散らす雲雀くんとか風紀を正す雲雀くんとか色々と拒絶する雲雀くんとか」
「…………」
「そしたらふと気付いたんだけど、もしかして雲雀くんって女の子に人気あったりするのかな」
「……は?」
「だってよくできた綺麗な顔してるし、私女の子だったら好きになるかもしれないなあ、なんて」
「……君、女の子じゃないの」
「……あれ?」

この女は、顔も肌も所作も何もかもが綺麗でいながら吐き出す言葉はいつもネジが外れている。口を開いてぼやっと天井を見上げたかと思えば、そうだねとワンテンポ遅れた返事を丁寧に返した。

それから数分は沈黙が続く。ここからの展開は決まっている。ソファに寝転んでみたり髪の毛をいじってみたりポケットから出した携帯のカメラのレンズを僕に向けてみたり(だけどいつも撮ることはしない)、ひと通り一人で遊んだ後で彼女は決まって僕の背中を抱き締めに来る。抵抗はしない。何度振りほどいて何度振り払ったところでまた時間を置いて彼女は同じことをしにくることを僕は知ってる。僕はそのままの表情で机に向かって自分の作業を続けていた。だけど猛暑に彼女のわずかな体温でさえ鬱陶しくて、暑いと口だけで抗議した。彼女は素直に体を離す。聞き分けはいい。だけどまた数分後には同じことをしにやってくる。素直ではあるが学習能力は極めて低い。
──ひと通り抱き締めた後はキスをする。僕の背を抱き締めた腕の柔らかい力がすっと抜けて、雲雀くん、と彼女の声が呼ぶからそれが合図だ。そっと視界に入り込んだ彼女はひどく自然に僕の唇をなぞりにくる。じきに舌が入り込んでくるから受け入れる。この異様な展開のすべてはここ半年間で日常化した。彼女がこの学校へ、僕のクラスへやってきてからの半年間で。
彼女の手は僕の座る椅子を優しく回転させて、自らの眼下に現れた僕の膝の上へと躊躇いもなく跨る。そうして首の裏へと手を回して、ついには抱き締める行為とキスの両方を同時にやってのける。僕はただ傍観している。行為を受けながらただ彼女を。表情は変わらないながらその所作だけはいつも縋るように弱々しい。泣いているのかと何度も思った。けれど彼女は泣かなかった。
離れていく唇を目で追うと、白しかないはずの視界に嫌な蒼さがあるのに気がついた。緩められた制服のリボンのその向こう側。怪訝に思って思わず広げた彼女の胸元は痛々しかった。古びたものから真新しいものまで。重ねられた痣に眉をひそめていると彼女が言った。

「雲雀くんになりたい」

雲雀くんになりたい。何でもいいどこでもいい、髪でも爪でも睫でも。雲雀くんの一部になって雲雀くんの世界が欲しい。溶かして、私を。少しでいいから吸収して。

いつもよりも一層気の狂った発言の後、彼女は僕のまたぐらを掴んで少し目を細めた。「ねえ」と声が懇願する。

「いれたい、これ」

瞼の奥が沸騰する。相も変わらず表情のない目の色をする彼女の胸倉を掴んで突き飛ばした。肩が揺れる。息が荒い。背筋がざわつくまるで初めての感覚に歯が軋んだ。滲み出る汗がまとわりついて煩わしい。涼しげな肌の彼女へ無意識に喉から絞り出た声が言う。

「何、気味の悪いこと言ってるの」

うーんと唸る彼女。首をもたげて唸る彼女。確かに。本当、気味悪い。そう言って初めて虚しく笑った彼女。
彼女が半年前に母親と死に別れて以来飲んだくれの父親に虐待されているだとか、その父親のためにあるいは自分の生活のために法律に逆らってまで深夜遅く決してまともではない金を稼いできているだとか、前の学校ではその事実を耳にしたクラスの男子に脅され輪姦されただとか、まるで信憑性もない女子の噂話を耳にするのは来週のことで今の僕はまだ知らない。


けしからず【怪しからず】
[1] 特に何ということもない。たいしたことがない。
[2] はなはだ不都合である。あるまじきことだ。
[3] 常識を外れている。普通ではない。
[4] 異様である。あやしげだ。

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