「    」

愚かにも僕にその四文字を吐き捨てた女の頭はおかしかった。そのひどく空気に馴染んだ声は今も耳にこびりついて煩わしい。

女のとる行動の全ては奇抜で、表情仕草声色その全ては逸脱していた。けれどそれでいて自然に溶け込む。女は決して世界に対して歯向かわない。
存在そのものが奇異な女はけれど世界に優しくて、不思議と引力を纏っている。女は小動物を寄せ付け群れを作る。教室中を纏う彼女の頭は、けれど、おかしい。


「きみの仕業だったの」

数週間前から続いていた屋上へのゴミの不法投棄。おそらく放課後に放置されていたそれは、次の朝にはカラスに荒らされ大事な校舎を汚していた。
午後五時を過ぎていた。乱雑にゴミ袋を開け放ち群がるカラスを餌付けしている彼女はまぎれもなく現行犯だ。微塵も彼女に対して警戒心を抱かないカラスの数は、一、二、三、四羽。残飯を貪る奴らの意識はこちらへ向かない。僕の声を耳にした女がただ一人こちらに視線をくれた、背を向けたまま首をそらせて見上げるように。

「ひばりぃ」
「それ、今すぐ撤去しないと咬み殺すよ」
「あんたこそあたしの友達に乱暴したら」
「……友達?」
「髪の毛剃るぞ!」

間延びする声で言ってのけた彼女はきゃっきゃと笑う。できるものならやってみなよと返すとやだよ、あんたのハゲた姿なんて見たくないよと今度は顔を歪めてみせた。友達と呼ばれた連中は決して彼女を恐れない。ため息と同時に一歩足を踏み出せば、それでもこちらへは警戒した。ちらちらと送られる視線は黒く鋭い。

「ちょっと黙ってくんない雲雀」
「喋ってないけど」
「目が黙ってない。クロキさんが怖がってる」
「名前なんかつけてるの」
「うん。こっちはクロヨちゃん。んでこっちはクロヤくん。んでこの子はクロー」

苦労じゃなくてcrowのほうの発音ね、と念押しするように呟かれたけどどうでもいい。器用にゴミを荒らしていくそいつらを愛おしそうに見つめる彼女に眉を寄せた。まただ、また。彼女の周囲は彼女を取り巻く。

「……きみは本当に群れるのが好きだね」
「かわいいでしょう」
「きみが何を飼おうと勝手だけど学校で餌をやるのはやめてくれる?せめて片付けて帰りなよ」
「きみは本当に学校が好きだね」

こちらの口調を真似るように言ったかと思えばふふ。と今度は穏やかに笑うので苛立った。歩みを進めてかれらのすぐ側まで近寄ったけれど、警戒すらとかないままだが連中は逃げることはしないでいる。信じるように彼女のそばで、ただひたすらに人間の食べ残しを啄んでいた。こちらを見上げる彼女に気付いたのは数秒後。すこし首をかたむけてそれから言う。

「意外」
「なにが?」
「雲雀って夕焼け似合うね」
「そう」
「あははどうでもよさそう」

煩わしい。
空気を溶かすような笑い声は聴覚を甚振る。いいから早く片付けなよ。言うと脈絡なく「相変わらずだね」と哀れむように言われたのがどこか勘に障っていた。たゆたう空気は生温かった。
この前雲雀のお友達と話したよ。きみみたいに群れるための友達なんて僕にはいないよ。自分で言ってて虚しくない?二年のさあ、ツナくんって子。何できみがあの小動物と?ツナくんは人間だよ、落とした髪留め拾ってくれた。ありがとうって言うと笑ってくれたツナくんはかっこいい。
変わった趣味をしてるんだねと口にしかけてやめた。言うと彼女の口からは僕にとって不愉快な言葉しか紡がれない気がした。
夕日は沈み始めた。『クロー』が数回羽ばたいた。空気は揺れた。
「ひばりぃ」また間延びした声が言う。返事も待たずに彼女は続けた。

「でも雲雀のことあたし好きだよ」
「……は?」
「好きだよ。って言った」

しゃがんでいた彼女がスカートの形を整えながら立ち上がる。窺うような視線をよこしてくるのに心臓がじくりと歪んだ。彼女のシルエットが視界を陣取る、広く、はっきり。駄目だ、駄目。目頭が脳みそが脊椎が腸のすべてが、視覚を拒む。喉が、あつい。いつのまにか至近距離にいた彼女の手がやわらかく髪に触れてきた。
冗談じゃあない。
直後に視界から彼女は消えた。己の拳で吹き飛ばした彼女はゴミのクッションに腰を埋めている。クロいかれらは鳴き声を上げて羽ばたいて空へと消えた。はあと息を整えると、彼女がこちらを仰ぎ見た。哀れむようなでも嘲るようなその視線は、またいつかの言葉を吐き出した。

「よわむし」

記憶を手繰る脳の一部が熱を帯びる。一ヶ月前、校舎裏で群れを成していた小動物を咬み殺した直後の現場に、現れた彼女は一言言った。弱虫。よわむし?彼女の存在のいっさいがっさいが理解不能。けれど救いようのないことに、それを受け流せなかった僕はあのときもまた彼女を殴った。そして今も。あのときと同じモノクロの視線を送る彼女の胸倉を引きずり上げた。どうしてそんな目で僕を見る。力任せに再び殴ったところで不快なその色は消えやしない。ねえその眼は一体全体どこまで奇天烈な言葉を吐き出せば気が済むの?眉も寄せずただ静かにこちらを睨む彼女の虹彩の色は苦かった。夕日の弦は地面に消えた。温い風が肌を嬲った。たえられずふたたび振り上げた拳を睨んだ彼女の視線が憤る。

「だからてめーは弱虫なんだよ!」


無知を喰ふ


周りの全部をはねつけて、それが強いだなんてまるで自分主義のめでたい錯覚。何も抱えることのできないあんたは何も護れない。ねえならばその手は何のために大きいの?世界一つよがりの弱虫さん。

──世界が割れた。

(荻原へ)

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