なんてことはない。私は取るに足らない人間だ。何か行動を起こすときには少なくとも二段階後の展開を予想してから動くし、誰かと会話するときには相手の顔色を見て言葉を選ぶ。サンタクロースの正体が両親であると知ったのは確か六つのときだったけれど、以後少なくとも三年は信じるふりを続けていた。良く言えば頭が良い。ただ実際に過ぎてきたのは味気なくてつまらない人生だ。誰よりそれを理解しているのは他ならない自分自身。不満はない。全てを割り切ったのもとうの昔。


チリ、ン
仕掛けておいた小さな鈴の音がして慌てて目を覚ます。まだ覚醒しきっていない全身とは裏腹に、心臓は今までに類を見ないほどに働いている。耳に響くのは鼓動ばかり。身を隠していた神社からそっと顔を覗かせて外の様子を見ると、信じ難い光景がそこにあった。

「せ、んせ……」

鼓動はさらに乱暴さを増す。全身を揺らしてしまいそうなほどに強く高鳴って、私の精神を責めた。くちびるがふるえて上手く機能してくれない。
何なんだ。意味不明。
いくら混乱するふりをしてみたところでこの場に罠を仕掛けたのは間違いなく私であったし、木の葉で隠したスイッチを踏めばボーガンから矢が飛んでターゲットの胸元目掛けて飛んで行くようにわざわざ数度実験を重ねてセットしたのも私だ。私はまぎれもなく誰かを殺すつもりで罠をしかけた。それに掛かったのがたまたま先生だっただけのこと。たったそれだけ。

「……よォ」

胸元に突き刺さった矢は幸運にも心臓からは少し外れていたらしい。それでも刃は肺に届いてしまったんだろう、呼吸を辛そうに吐きながら彼は私に微笑みかけた。足の力が抜けてへたりとその場に座り込む。ゆっくりとこちらへ歩み寄る先生から目を逸らしたくても逸らせない。先生の笑顔は、すこし冷たい。

「すげーなお前、今どっから矢ー飛んできた?縁の下?」
「せ、んせ……い、痛い?よね……ど、どうしよ……」
「おまえは?」
「え……」
「怪我は?ない?」

こくりと頷くとそうか、と今度はひどく優しく微笑むのでぼろりと目から涙が溢れた。そのまま抵抗なくぽろぽろと零れ落ちるそれを見ながら先生は目を細める。ふらついた足で漸く私の元へ辿り着いた先生は、ズボンの後ろポケットから何かを取り出してん、と差し出した。
拳銃。だった。
あげると言いながら半ば無理矢理ぎみに、自分の体温が移って少しだけ温かくなったそれを私の手に握らせる。そして今度は別のポケットから拳銃の弾を数発分取り出してまた差し出す。最後に彼はほかのやつらには内緒な、と口に人差し指をあてながら笑った。冷静に思考を回すことすらままならなくて呆けた顔で先生を見上げていると、彼の手が私の頭の上にぽんと乗った。

「生き残れよ」

力なく、こくりと。頷いてみせるので精一杯だった。矢の突き刺さった先生を目の前にして何を考えることもできなくなっていた。例えば何で先生がここへ来たのかとか何でこんなものを自分にくれるのかとか何で殺されかけておきながらそうして笑っていられるのかとか。そんなの。
震える手で拳銃を握り締める。そうだ、生きるためには、殺さなければならない。言い聞かせるように一度心の中で唱えると、それと同時に頭上から先生の手の気配が消えた。はっとして先生へ意識を向けると、先生の両手は、胸元の矢を掴んでいた。停止していた思考がめぐり始める。ぐ、とその手に力が入るのを目で捉えて声が出た。無意識だった。

「だめ!」
「黙ってろって」
「まって、やめて!だめだよ、せんせ、」

溢れ出た鮮血に言葉を失う。ぼたぼたと地面に作った大きな染みに私は呼吸をするのを一瞬忘れた。ごほ、と咳き込みながら先生は抜いた矢をまた私に差し出す。

「なに、してるの……?」
「もったいねーだろ、リサイクルだよリサイクル」
「死んじゃうじゃん」
「あー……かもなー……げほっ」
「馬鹿じゃん……ねえ、何してるの」
「こうしなくても……どのみち俺死んでたし」

だったら、と、「先生」の目をしながら先生は、続けた。


「お前に、後悔させとこうと思って」


それだけ言った先生は倒れた。地面に赤く染みを作っていくその姿に私は無意識に後ずさる。
ねえ、今更遅いよ。
まだかすかに息のある先生の体を見下ろしながら呼吸がふるえた。

なんてことはない。私は取るに足らない人間だ。

傷つくことが怖くてずっとそれを避けて生きてきた。嘘なんていくらでも吐いたし計算高いと言われたって仕方のない生き方をしてきた。時には周りを傷つけた。自分が傷つかないために。後悔しないために。ねえだけどそれはとても普通でしょう?
間抜けだなあ惨めだなあ、だけど後悔しない生き方を貫いてきた今までを後悔してる。凄まじく荒んだ矛盾。
あのさあ先生、本当は全部知ってたよ。
この日最後の放送が響く。陽気な音楽におそらく録音だろう先生の声。死んだ生徒の名前が次々に述べられて、最後にその声は先生自らの名前を告げた。私の担任はとことん頭がおかしいらしい。
「馬鹿じゃんせんせい……」吐息のような声で告げると吐息のような声が返ってきた。
タイムリミットまであと24時間。もう今の私には最後までこのサバイバルゲームをやり遂げる気力も自信も尽きてしまったけれど、せめてあと数時間。今までの何もかもを背負って嘆いて、だけど前を向いていたい。



(馬鹿じゃんせんせい……どこまで私のこと好きなんだよ)
(お前もな)

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