三周年 | ナノ

「平子くんの髪って、カツラ?」

突拍子もなくそう話しかけてきたきたのは、話したこともないどころか席も遠く、名前も知らないクラスメイトだった。

「……何やお姉ちゃん、えらい唐突やなァ」
「お姉ちゃんじゃなくて名前ちゃんね。ねえカツラ?」
「ご期待に沿えんで悪いけど地毛や」
「ふうん。じゃあその喋り方は?お笑い芸人目指してるの?」
「……名前ちゃん、よく周りから変わってるって言われたりせえへん?」
「何でやねんどないやねん!」
「は?」
「あはは!」

どないやねーん!とまた叫びながら、彼女は何故かくるくると回転しながら去っていった。そういうお前がどないやねん。

ともかくこうして始まった。ほんの一過性の平子の高校生としての時間の中の、ほんの些細な一人の存在。彼女はこうして現れた。

「ちんこくん!」
「しんじ、や。何が何でちんこやねん」
「あれ?だって自己紹介のときに包茎だって言ってたから」
「……中途半端に聞いてくれよんなァ」

「みてみて、真子くん!この壮絶なネイルアート!」
「ほー、こらホンマに壮絶やなァ。初めて見たわ、『炎』の文字入りなんて」
「そうだろうそうだろう!あたしって常に流行の最先端にいないと落ち着かないタチなの」
「……そらおめでたいなァ」

「真子くんてさあ、コセイテキだよねえ」
「名前ちゃんに言われても説得力あれへんけどな」
「美容院どこ行ってるの?それとも自分で切ってるの?色は地毛?関西弁はどこでおぼえた?あと真子くんじつはゲイで黒崎くんのこと好きってほんと?」
「質問多すぎて答えきれへんけどとりあえず最後のやつだけは否定しとくわ」


「しーんーじくんっ!」

「ちん……真子くん!」

「おいこら、真子」

「真子、くん」


正直、何故ここまで懐かれていたのかは分からない。ただ気がつけば、彼女はいつも平子の周りをうろつくようになっていた。平子の日常ではない日常の中に、いつのまにか彼女がひずみを作った。

授業中に四角く折られた紙が回されてきたりもして、開いてみればオカッパ妖怪がピースしてこっちを見ていた。何だと考えてみる必要もない。その下には『画伯・名前ちゃんによるちんこくんの絵』と書かれていた。大人げもなく殴りたくなった。
仕返しに思い切りぶさいくな豚の絵を送りつけてみたものの、それを見た彼女は頬を緩めて嬉しそうにするばかりで。


調子が狂う。反面、心地よくもあった。学生生活というものも悪くはないとすら思えた。いつだって屈託なく笑う彼女が羨ましくもあった。けれど。

調子が狂う。この学校には、あの明るい髪の少年を勧誘する以外の目的など何もないというのに。何もあってはならないのに。いつかは去るべき場所であると。言い聞かせるまでも、ないことなのに。

 
「……せやのに何やねん、これ」
「知らんわ、あたしだって帰りたいっちゅーねん」
「何や腹立つわ、その喋り方」

休み明けテストの数学の点数が、何やら浅野とかいう生徒と並んでクラス内ビリだったらしく、平子は教科担の教師から居残りを言い渡された。そしてあろうことか彼女に指導を受けるようにと。よりにもよって、と頭を抱える。そのうえ浅野とかいう生徒は用事があると言って帰ってしまった。

「何でお前に教わらなあかんねん」
「あたしが唯一数学のテスト満点やったからやと思いまんがな」
「せやからそれが何でやねん。胸くそ悪いわ」
「何がやねん何でやねんどないやねん!あたしは英語や古典はクラス内でも下から数えたほうが早いけど、数学に関しては学年でもトップクラスなんやで!教えてもらえるだけ光栄に思うべきでんがな」
「……不愉快や」
「何がやねん」
「その口調がじゃ!」

しばいたろか、と睨みをきかせたが、名前はそっぽを向いたまま鼻くそをほじり始めた。何でこうもこの女はデリカシーというものがないのだろうか。

「……もうええわ。教えるなら早く教えんかい」
「んまっ!何なのその態度!あたしに教わる身分のくせして」
「俺は後で先生んとこ小テスト受けに行って九割とらな帰れへんねん!お前のコントにつきあっとる暇なんかないんじゃボケ、さっさと始めんかい」
「そんなの知ってるって、だからさっさとこないだのテストの問題用紙出しなよ日が暮れるよ」

本当に、こんなことをしてる場合じゃないのに。教師の言うことなど無視して帰ってしまうべきだろうか、そもそも何故浅野という生徒が帰っているのに自分が残らなければならないのか。
ため息を吐いてプリントを広げる。彼女もため息を吐きながら問題の解説をし始めた。そして驚く。いつのまにか彼女の解説に真剣に聞き入っている自分に気付いたからだ。悔しいことに、やはり学年トップなだけあり教え方にも無駄がなかった。
どうしてこんなアホが数学が得意なのだろう。興味本位で他のテストの点数を聞いてみたら、英語は24点に古典は16点。現代文は平均並みに68点だったけれど、いったいこの差は何なのか。どうりで総合順位は中の下だ、と納得する。

「おお、できたじゃん!ここまで理解できればもう小テストなんて満点なんじゃない?」
「あー、うん……ちゅーかお前何で数学だけこんなに得意やねん」
「ん?何で?何でて言われてもな……一番おもしろいからかなぁ、数学が」
「……頭おかしいんちゃう?」
「うん、よく言われる。でも国語とか外国語とかと比べると絶対面白いと思うよ。パズル解くみたいで楽しくない?」

トントン、と解き終わったプリントの端を揃える彼女を見て、何か納得する。癪だが彼女は天才のようだ。いつか誰かが天才は変人だと言っていたがあながち嘘でもないらしい。
教え方にしてみても、彼女は公式を使うというより公式を作るような考え方をしていたように思う。行き詰ったら、手駒をすべて使ってでも別の道から切り開いていくような。

思えば最初からそうだった。出会いから今までに至る経緯まで。何から何までが常識破りにいつのまにか自分の中に入り込んできた。生活の中の膿になった。

うつむいた彼女の睫が夕日を撥ねる。調子が、狂う。

「ねえ、じゃああたしもいっこ質問していい?」
「……うん?」
「何で真子くんは、織姫ちゃんとか他の女の子には抱きついたり軽い感じなのに、あたしにはそんななの」
「そんなってどんなやねん」
「距離があるかんじ。扱いが雑というか、あんま女の子扱いしてくれないというか」
「……そんなん、お前が女に見えへんからに決まっとるやんけ」
「……あっそう」

思いがけず反論しては来なかった。ぶすっと不細工に顔をゆがめる彼女を見ながら、思いふける。ざわめく静脈を押さえ込む。

どうしてかなんて、本当は分かっているはずだ。だけど。

「……ねえ、じゃあさ、これから先もずっと真子くんにとってあたしは女じゃないの?」

また。突拍子もない彼女の言動に、返す言葉に困った。

悲しそうな目をする彼女を見て、窓辺に座ったことを後悔する。あかい。夕日があかく、彼女を照らす。

「……何言うとんねん」
「ずっと、そうなの?」
「…………当たり前やろ」

彼女が今にも泣きだしそうな顔をしたから、思わず顔をそらした。まずい。だから嫌だったんだ、勉強会なんて。

だけどその勉強会ももう終わった。さっさと帰ってしまうが勝ちだ。そう思いたって立ち上がろうとした、平子の視界がかげった。彼女の腕が伸びてきたのだと、気付いた。
 
「……じゃあ、約束してよ」

頬に触れた彼女の指先が、震えながらそう言った。

「これからもずっと変わらないって、約束してよね」
「……名前、」


ガタ、と机が揺れた音がしてから一瞬間、記憶が飛んだ。思考が停止したせいなのか、自ら現状に目を伏せたせいなのかは分からない。それでも間近にある彼女の顔と表情とを見て、唇を重ねられたのだと理解せずにはいられなかった。
理解、してしまった、したくなかった。
認めたく、なかった。

「……何、してんねん」

どうしようもなく、この場から逃げ出したい衝動に駆られる。だけど一瞬たりともそらそうとはしない彼女の目が、平子の足を硬直させた。すがりつくかのようなその視線が、平子の瞳の奥の奥を貫いた。

「あたしは、とっくに変わってたよ」

ぐっと眉に力を込めて何かを堪えようとしている彼女に、おもわず手を伸ばしそうになる。その手が何を求めているのかに気付いたとき、平子は拳を握り締めた。目を伏せる。それでも揺れ動き続ける自分の感情に、頭の中で叱咤を入れながら、ただ小さく言うしかなかった。

「……ごめんな」

他に伝える言葉を知らない。お前と違い、常識かぶれの俺には、自分の常識に従うだけの生き方をしてきた俺には。おまえは。

「……ごめんて、何よ」
「…………ごめん」

何に謝っているのかなんて自分にだって分からない。安易におまえと仲を縮めてしまったことに、気の利いたセリフのひとつも言えないことに、おそらく、キスの前に交わされた約束なんて、もうずっと前から守ることなどできていなかったことに。


「ごめんな」


もう一度だけ言って、彼女を置き去りに教室を出た。おそらく彼女は泣いているだろうとも思ったけれど、それを慰めることが自分には出来ないことを知っていた。

廊下を進んでいると、静寂を破るように携帯電話が鳴る。なかなか出る気にもならなかったけれど、ここで無視してしまうと後が怖い。数回のコールの後、耳から離した位置でやっと通話ボタンを押した。
やたら攻撃的な声が耳を襲う。日常と化してしまった今となっては、もうそれに顔を歪めることなどないけれど。

そうだ。自分にとっては、これが日常。逸れてはならない、見失ってはならないのだ。あるべき自分であるためにも。すべてを失わないためにも。大事な、すべてを。いまこの瞬間さえをも失わないために。
人間との恋物語なんて、望むべきじゃない。

ぱたん、と携帯を閉じて、窓の外を眺めた。教室から見えた校庭側の空より、少しばかりまだ青さの残るその色。

今頃彼女は、反対側の赤を眺めている。

「……難儀やなァ」






「……ちゃんと、テスト受けて来いよ、アホゥ」

何のために教えたと思ってるんだ。筆箱と一切の筆記用具を置いていってしまったあの男に呟く。夕日は相変わらず教室を照らしていた。

それきり、平子が戻ることは二度とないことを、彼女はその後も知ることはなかった。平子の一過性の時間は文字通り、彼女の心からも消え失せた。

平子の抱えたその事実すべてを、名前が知ることはない。そして彼女が、ただ一人教室で泣きもせずに歯をかみ締めていたことも、平子が知ることはない。

二人の想いはきっと永劫、交わることなど、


モラトリアムが終わりを告げる
「真子くん!」
「はいよ、名前ちゃん」
「うーん平子くん?真子くん?どっちがいいかなあ呼び方」
「せっかくこっちが名前ちゃん呼んでんやから真子くんでええやろ」
「んーうん。ふふ、真子、くん、ふふ。おもしろいね」
「何やねん気色悪い」
「真子くん真子くん、おひるごはんたべよう」
「ええけど……ほんま物好きやなあ名前ちゃん、ほかに友達おるやろ」
「さかさ文字!私も得意でね、親近感が」
「ほんまマイペースやな、名前ちゃん」
「あと下の名前で呼んでくれるのも、心地いい、すごく」
「そしたらいくらでも呼んだるわ、名前ちゃん名前ちゃん名前ちゃーん」
「わはは!やばいやばいすきになる!はは!」
「俺に惚れたら火傷するで」
「あはは!おなかいたいーやめてやめてもう、ねえ早くごはんたべよ!あのね今日ね自分でお弁当作ったの、それでね、」


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いつかの平子
文字通りいつかの平子です。過去の短編の再録となります。すこし加筆しました。
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