三周年 | ナノ

火曜五限倫理学。木曜二限生理学。そしてたまの食堂二階。一週間のうち、俺があの女と顔を合わせる機会なんて実はその程度。

「あたし生命倫理ほど馬鹿馬鹿しい講義もないと思う」

火曜五限、そう吐き捨てながら俺の隣に座り込んだのは名前だった。そう言いつつも彼女の手の中には図書館で借りたらしい医療哲学の本がしっかりと握られている。

「じゃあ何で講義とったんだよ、必修科目じゃねーだろ」
「そもそもさ!そもそもだよ!そもそも、善悪って何なわけ?何が良くて何が悪いかなんてそんなの人間が勝手に決めただけ、じゃあ人間って一体何様?あー意味分かんない鶏は殺して良くて人間は殺しちゃだめな理由は何ですか十五字以内で答えよ」
「それは俺たち自身が人間だから」
「エゴだね!実にくだらない!」
「もうおまえうるせえ」

近頃になってようやくこの女のテンションが読めるようになってきた。基本的にマイペース、そうでなければ気まぐれ。どうやら今日は少々不機嫌な日のようだ。講義中も何の腹いせなのか俺のノートに大量のうんこを書き散らしてきた。いい加減ウザくてシャーペンの先で手の甲刺してやると、彼女はひどく不細工な表情で舌打ちしながら、今日の分の俺の講義ノートを上からシャーペンで真っ黒に塗りたくりやがった。とても良識のある大学生の行動とは思えない。

「だーってめ……っ!……後でノートコピーさせろよ」
「残念あたしノート取ってませーんプップクプー」
「単位落としちまえうんこ女」
「ていうかこの講義ってノート取る意味ないって先輩言ってたよ。なんか期末に課題図書読んでレポート出せば単位もらえるんだって」
「え、まじか」
「まじだー、だから講義出るの馬鹿馬鹿しいって言ってるんだー、先生の話くどくどしい上に矛盾まみれで役に立たないし」

彼女が手にしていたその医療哲学の本が、その課題図書というやつらしい。なるほど、どうやら俺が思っている以上にこの女は要領よく生きているようだ。なんだか俺も馬鹿馬鹿しくなって、落書きだらけになってしまったノートを閉じた。「ところでさ」教授の話を微塵も聞かずに、課題図書をひたすら熟読していた名前がふと言った。

「いっちー木曜二限の生理学とってるよね」
「おー」
「木曜って何限まで?」
「二限だけど」
「へー、あたしも」
「へー」
「…………」
「…………」
「誘えよ!そこは!」
「は?」
「なんかこう、あーじゃあ昼飯一緒に食いに行くかーとか、なんか!ないの!」
「ねえよ、何だよいきなり!」
「ないのかよ……だめだねあんた、本当へたれ」
「はァ!?何だよ、つーかメシ行きてえならお前が誘えばいいじゃねえか」
「え?何であたしが?何で?何であたしが?ねえ、何で?」
「うぜえええ……!だったら俺のほうこそ何で俺が?って話だろ!」
「そこは察しろよ」
「知らねえよ何をだよ!」

そこ、静かに、と教授の注意を受けて声を弱める。まったく仕方ないやつ、だとでも言いたげなやれやれ顔でこちらを見てくるこの女の神経が分からない。元はと言えばお前のせいだろ。

「ったく、あー……じゃあ木曜一緒にメシ食うか?」
「だが断る」
「は、……え、何お前、喧嘩売ってる?」
「だって何かもう、ガッカリした。せっかくチャンスを与えてやったというのに」
「チャンスって何のだよ」
「だからあたしを誘うチャンスだよ」
「は?つーかさっきから言ってる意味が分かんねえんだけど……まるで俺がお前のこと好きみたいな」
「……!!」
「何だよその顔」
「びっくりしてんだよ!みたい!?みたいって何!」
「は!?つーかお前頼むからその自意識過剰グセなおせって、いいかげん付き合いきれねえ」
「……あー、なるほどね。うん、なんかもう、いいわ。本当いいわ。うんごめんね、あのときは何か、二人ともおかしかったしね」
「あのとき?」
「いや、もういいよ」
「いいって何がだよ」
「死んでいいよ」
「いや、だから俺が何をしたってんだよ!」

そこの二人!聞く気がないなら他の生徒の迷惑だから出て行きなさい!もっともすぎる注意を受けて俺たちは恐縮しきった表情で黙り込んだ。まったくもって理不尽すぎる。マイペースも度が過ぎるとただの自己中だ。そもそも俺は真面目に講義を受けるつもりだったのに。
時計を確認すると残り時間はおよそ五分。相変わらず落ち着きのない彼女が机の上にまた何かゴソゴソと書いているので、今度は何だと覗き見てみると、そこには無駄にクオリティの高い苺の絵が描かれていた。じっと見ているとそこにさらに目や口、手足も書き加えられて奇怪な生物へと変貌を遂げていく。仕上げに「げへへオイラ黒崎苺さ!」だなんて台詞が書き加えられたからまた俺は衝動的に彼女の手の甲をシャーペンの先で突き刺した、ところで講義終了のベルが鳴った。

「ていうかそれ地味に痛いから」
「お前はさっきからうぜえから」
「まあいいや、そんじゃ今度は木曜にね」
「は?結局メシ食いに行くのかよ」
「違うよ、二限一緒じゃん」
「あー……ああ」
「え?何?そんなに行きたい?そんなにあたしとデートしたい?」
「したくねーし顔近ーし」
「ふーん、あっそ。じゃあもういいよ。あたしはしたかったけど」

語尾を小さくして言った彼女に思わず「え?」と聞き返す。けれどそのまま不機嫌そうな顔で教室を出て行くだけだった。気分屋の上に回りくどいときたもんだ。毎度毎度俺と接するときの彼女は決まって今日のようにふざけた調子で、あれ以来二度と彼女と妙な雰囲気になることなんてなかった。

『馬鹿じゃないの』

一体どっちが。
意地でも俺からきっかけなんて作ってやらない。中途半端に消されたさっきの苺の落書きが、マヌケな面して俺をじっと見上げていた。


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CRESTの番外/CREST30のその後/CREST二人のその後
前よりちょっと仲良くなったっぽい。最早CRESTの名残りも何もなくなってしまったよ
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テーマ「人外ファンタジー」
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