三周年 | ナノ


かれの笑った顔が好きだ。逆立つ髪の毛が好きだ。毎日つくしのようにすくすく育つ背丈が好きだ。声が好きだ。汗の色が好きだ。まとう空気の濃度が好きだ。かれという存在を包括するすべての事象が私は愛しい。

「飴たべる?」

ぬっと伸びてきた手は牛柄だった。わりと頻繁にこの公園に来てバットの素振りをするかれはまだ今日は来ない。そろそろ夕日の落ちる頃、ブランコに座ってもう幾度目になるか分からない景色を眺めていると、その小さな牛は告げた。彼もまたこの公園の常連だ。差し出されたぶどう味のそれに首を横に振る。あららのらー本当にいいの?じゃあランボさんが食べちゃうもんね!と意地悪げに言って隣のブランコに飛び乗った彼の袖は鼻水で濡れている。大人しかったブランコが途端にギシギシと音をたてた。まだかれは来ない。

「友達いないの?」
「え?」
「ランボさんはいるよ!ツナにママンにイーピンにいっぱいいるよ!」
「そうなの。いいね。私にはいないんだ」
「あらーだからいつも一人なの?」
「うん、でもね」

好きな人はいるの。そう言って夕日の上を西から東へ過ぎていく雲を眺めていた。彼はふーんと言いながらくりくりとした目で私を見ていた。

「それって山本のこと?」
「え?」
「ガハハハランボさん知ってるもんね!お前がいつもここでじっと山本のこと見てるの!」
「ふふ、そっか。そうなの、私の好きな人は山本くん」

私がかれを見ていたように、私のことをそれとなしにでも見ていてくれた人はいたみたいだ。たったそれだけで幸福だった。
いつも見てるだけなの?見てるだけでいいの。話しかければいいのに。とてもそんな勇気がなくて。山本もランボさんの友達だよ!そうね、とても羨ましい。

夕日が地平線に溶けていく。公園の入り口に影が伸びた。かれが来た。肩にバットを担いだかれは決してこちらに気付かない。私が見ていることにも気付かない。ブランコのある場所と向かい側の一番遠い場所。その定位置でかれは素振りを始めた。ぶん。ぶん。とてもいい音。目を閉じて遠くから聞こえるその音に耳をすませているとランボさんが不思議そうに私を見ているのがわかった。

「山本来たよ」
「うん、そうだね」
「話しかければいいのに!友達になれるよ」
「いいの。遠くから見てるだけでいいの」
「何で山本が好きなの?」
「……いちねんせいのときにね」
「いちねんせい?学校?」
「そう。小学校。えんぴつ忘れたら貸してくれたの。隣の席でね。だけどちゃんと削ってなかったみたいでえんぴつの芯まんまるで。だから好き」
「ガハハ変なの!」

そうね。変だ。へんてこりんだ。ぶん。と、57回目の素振りの音。いいや、正しくは……一体何回目だったっけ?小さな指を折りながら、到底指十本では足りない計算を試みる。俯くと、見飽きたプリーツスカートの紺色が色褪せもしないでそこにあった。靴のサイズももう何年も前から18センチにとどまっている。はて。ところでどうして私は上履きなんだっけ。

「ランボさん知ってるよ、山本は今中学2年生だよ」
「うん」
「中学生は小学生の隣の席にならないよ」
「うん」
「でもおまえはランドセル背負ってて、ランドセル背負うのは小学生で……ん?んんー?」
「うん」

そうね。変だ。へんてこりんだ。ぶん。風が切れる。途中でわからなくなって今が何回目なのかはもう知らない。かれの額には汗が滲む。

「同じクラスだったの。いちねんせいのときにね」
「ふーん」
「でもね、2学期に引っ越しちゃってね」
「どこに?」
「遠くに。それで転校したんだけど、どうしても山本くんに会いたくなってね、それで冬休みに電車に乗ったの。2回乗り換えてね、それからバスに乗り換えたの。そしたらね、そのまま」
「そのまま?」
「うん」
「そのまま何?」
「……忘れちゃった」

ただバスを降りた記憶はない。気が付いたときには私は学校へ行く格好で、一学期によく遊んだ公園にいて、そして気が付いたら、もう何千日も同じ場所でかれの素振りを見ていた。

かれの笑った顔が好きだ。逆立つ髪の毛が好きだ。毎日つくしのようにすくすく育つ背丈が好きだ。声が好きだ。汗の色が好きだ。まとう空気の濃度が好きだ。かれという存在を包括するすべての事象が私は愛しい。

『……あ』『どうしたの?』『ふでばこ忘れちゃった。昨日寝る前にえんぴつ削って、そのまま』『おれの貸すよ。何色好き?』『きいろ』『じゃあこれ。青いけど黄色の車の柄』『えー削ってない。これじゃ字ーふとくなっちゃうよ』『だって削ったら、死んじゃうんだ』『え、なにが?』『くるま。5個いるのにこれ以上削ったら4個になっちまう。かわいそうだろ』

ぶおん、ひらり。舞い落ちる数度目の花びらをバットが蹴る。まだあのえんぴつは生きてるだろうか。いいや、おそらく、

「おまえ友達いないならランボさんが友達になってあげるもんね!」
「ありがとう、でも」
「そしたらランボさんの友達の山本もおまえの友達!ランボさん頭いいだろー」

泣きたいのに泣けない体は不便だ。零れたのは水ではなくて、大気を揺らすことすらもない微かな嗚咽。
泣いてるの?飴玉いる?相変わらず首を横に振ることしかできない私は、さらに言えば二度とかれの瞳に映ることも敵わない。

(ねむたいなあねむりたいなあ)

ぶん。ぶおん。
果たして何度目になるのだろうか。花びらを奪うばかりの心地の良い春風を、かれのバットが斬りつけた。


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たけし/切ない山本(るるさん)
たけしっていうよりランボになった気が否めなくてすみません。前々から書きたかった話なんだけど何やら不完全燃焼なので、いつか余裕ができたらもっとしっかり書くかもです
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