三周年 | ナノ

わけもなく惹かれた。

「さかた」

さほど仲が良いわけでもない。ただ同じクラスだというだけの。この男でなければならない理由なんてあるはずなかった。とりたてた魅力も、心奪われたきっかけすらも。

「おお」
「なにしてんの」
「傘。とられちまったみたいでよー、誰だよチクショー」
「ビニール傘?」
「そう」
「まあそりゃとられるだろうね、いきなり降ってきたし」

下駄箱にもたれながら憎らしげに雨を眺める坂田は、お気に入りのアナウンサー目当てに毎朝天気予報のチェックを欠かさない。だけど持って来る傘の種類だけは間違えたようだ。傘立ての隅で私を待ってくれていた水玉模様の傘を掴んだ。振り向いてから坂田に告げる。

「ねえ」
「……あんだよ」
「私折りたたみもあるけど、使う?」
「なに、傘ふたつも持ってきてたの?」
「ううん、こっちのは置き傘。雨、夜までやまないよ。ハイ」
「……どうも」

差し出した水玉模様の傘を坂田が掴んだ。そのままバサリと傘を開く坂田を横目に、私は鞄の中から折りたたみ傘を取り出す。カバーを外して、骨組みを整えて、すこしだけ手間取りながらようやく傘を開いた私を、坂田は雨の中に一歩踏み出した先で待っていた。帰る方角は同じだ。開いた傘を手に歩みを進めれば、坂田も私の横に並んだ。坂田の水玉模様のそれより一回り小さな私のピンクのストライプ。傘同士がぶつかることすらもしない距離感。
この男でなければならない理由なんてあるはずなかった。とりたてた魅力も、心奪われたきっかけすらも。

きっかけ。きっかけか。あったとするならばあの日だ。

今からおよそ3ヶ月前、4月の始業式の日。簡潔に言うならば私は教室で一人の男を相手に股を開いていた。
始業式を終え、クラスメイトは帰宅したり部活へ向かったりで誰一人いなかった。その日の私は何だか無性にムシャクシャしていて、とにかくやりきれなくて、春休み前から私に何かとアプローチをかけてきていた1つ上の学年の男に思いつきでメールを送った。一人教室の窓からグラウンドの景色を眺めていると、案の定その男は駆けつけてきた。息をきらしたそいつは私の他愛のない一言に反応していとも簡単に唇を奪いに来る。
生きることなんて簡単だ。バランスを崩しそうになったらこうして均衡を保てばいい。
えらく興奮した男が机の上に私を持ち上げ、スカートの中に指を埋めてこようとするから、さてそれでは甘い声のひとつでもくれてやろうかと男の揺れる肩を見下ろした。瞬間だった。

ガラリと開いた扉の前にその奇天烈な色をした髪の男は立っていた。当然の如く私たちは硬直する。状況を把握するや否や坂田は、あろうことかへらりと笑った。

「ああすいませんね、お取り込み中?ささ、気にせず続けて続けて」
「この状況で続ける馬鹿がいるかよ」
「ああまあそらそうか、そこまで常識ねえわけねーよな、いくら教室でサカる非常識でも」
「はあ!?ぶっ殺されてーのかてめえ!」

その瞬間に、私の下腹部がきゅんと収縮してみせたのは、男が私の内壁を触ったままの手で坂田の胸倉を掴んだからだ。坂田は相変わらずへらへらしたまま男の神経を逆撫でした。放置されたままの私はひたすらに坂田銀時というクラスメイトの瞳の色に見惚れていた。それまで異性としての意識すらしたこともなかったそいつに対し、私はそのとき確かに欲情したのだ。そんな感情は初めてだった。誰かに、征服されたいだなんて感情を持つことなんて。他人を小馬鹿にしたようなその光の乏しく冷めた目を、どういうわけかその瞬間から欲しいと思い始めてしまった。

その日のことを誰にも言いふらすことすらなかった坂田は、どうやら私には興味のかけらもないのか、それとも。なんとも、惜しい。考えてみれば当然だ。皮肉なことに、私がこの男を手に入れたいと思った頃には、私は別の男の手の中だった。いや、正しく言えば、少なくとも坂田は私が別の男の手の中にあると思い込んでいる。惜しい。だってきっとこの男は。

「ねえさかた」
「あん?」
「一番美しい別れ方ってどういうのだとおもう」
「……は?なにが?」
「やっぱさぁ、突然シュッと消えちゃうのがかっこいいよね、こう、シュッと」
「全然意味がわかんないんですけど?なに?あの例の彼氏ともう危ない感じなの?」

だから別に彼氏とかではないんだけどね。
言いかけてやめる。今さら誤解を解いたところで無意味だ。そもそも彼氏でなければ何なんだと聞かれても困るだけ。

「さかたのいま一番ほしいものってなに」
「前から思ってたけどお前って話あちこち飛ぶよな」
「じゃあもう飛ばない。ねえほしいもの」
「なに?俺誕生日まだですけど?強いて言うなら金」
「ほんと期待通りつまんない男」
「おまえはなに」
「うん?」
「ほしいもの」

しばらく沈黙した後に、坂田の目を見ながら小さく口を動かした。強い雨音がすべてを覆う。なに?と聞き返されたけど、本当は声を出してもいなかった。
そのまま何も返さずに正面を向いて歩いた。右隣を歩く坂田が横目に私の顔を見ているのが分かる。土曜日、日曜日を挟んで、海の日。夏はすっかり準備万端に今か今かと待ち構えているのに、雨風にさらされた右の腕の肌は冷えていく。待ちわびた夏休みが侘びしい。

「……なあ」
「ん?」
「……うん……んんー、いや、何でもね」
「あのさ」
「あ?」
「声、聞こえにくい。そっちの傘一緒に入ってもいい?」

こつん、と互いの傘の骨同士がぶつかった。下から見上げるようにして言った私に、何故か坂田は沈黙する。かみ合っていた視線をそらして、私より一歩前を歩み始めたかと思うとようやく返事が返ってきた。

「だめ」
「は、なんで?」
「だっておまえ……やだよ、こえーもん」
「なにそれ、べつに噛みつきやしないよ」
「うそだわ、ぜってー噛み付くんだそう言っておまえは」

噛み付いて許されるならば是非そうしたい。あんたの首筋に歯形をつけたい。ねえ、だけどそうしたところで私には何ひとつ残されやしないんだから、本当に何もしてやるもんですかって。

「さかた」

わけもなく惹かれた。
この目はこの男を捉えるためだけに存在して、この耳はこの男の声を捉えるためだけに存在する。そしてこの肌も。舌も唇も爪の先まで。そうであったならどんなに素敵だったろう。

立ち止まった私に振り返って坂田が「なに」と返した。その目は、耳は。唇は。

「なんと重大発表です」

小声で告げた。今度はきちんと声に出した。
しかし雨音は実に意地悪で優しい。いまこの瞬間の私の弱さ全てを覆い隠してくれたおかげで、どうやら明日の私は誰よりも何よりも美しいのだ。

案の定聞き返してきた坂田に私は小さく笑んだ。自分の唇が生涯で最も綺麗に弧を描いたのを実感する。
視線は噛み合ったまま雨音だけが私たちを包む。それでも目線を落としてから再び歩みを進めようとした瞬間に、右手を強く引かれたから手にしていた傘を落とした。ほんの一瞬、全身が雨にさらされて、しかしすぐに水玉模様の下で体温を感じた。それもほんの一部分。つかまれた右腕と重ねられた唇だけ。いったいなにがおこったのか。さほど驚きもしない私は、いまこの瞬間じつに冷静でいる私は、どうやら本当は知っていたのだ。

坂田はきっと気付いていた。あの日の私の挑発的な視線に。どんなに取り繕っていようとも、私たちが顔をつきあわせるたびに思い起こすのは決まってあの日のあの瞬間だ。互いへの欲望がむき出しだった、あの、ほんの一瞬の。私が坂田を欲しいと思ったのと同じように、坂田も私に噛み付きたかった。その一瞬の感情を私たちは共有していた。

あくまで冷静な心地のまま、正面の坂田の睫毛を眺めていると、ゆっくりと顔を離した坂田はぼそりと小さく呟いた。

「……よくない」

よくないな、よくないわこれは。しきりに呟きながらくるりと正面に向き直ったかと思うと、千鳥足で歩きながら終いには電柱に額をぶつけてしまう。「大丈夫?」と、地面に落ちた傘を拾い上げながら尋ねてみた。一瞬黙った後に、坂田は額を擦りながらまたわけもわからず呟いた。

「大丈夫じゃねーだろ、ちょっとタイムマシン探してくるわ」
「あ、だめだこれほんと大丈夫じゃなさそう」

ねえちょっとどこいくの。後ろから呼びかけてももう返事すらせずにすたすたと前を歩いていってしまった。
タイムマシン。タイムマシンか。見つかればどんなに素敵だろうか。取り戻したい瞬間ならば腐るほどある。

すっかり遠くに見える背中にはもう都合の良い雨音すら必要ない。あーあ、ねぇ。ねぇさかた。

なんと重大発表です。
私、明日から九州へゆきます。すっかり濡れたこの制服も、二度とは着ることもないのです。

「さよなら」



NO IS
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学生坂田で微妙な関係(アヲさん)/学生坂田(杏さん)/あたふたする坂田(朝2分の方)/学生坂田
雰囲気みたいなもののイメージは頭の中にぼんやりあるのに、うまく文章で表現できないもどかしさ…!あたふた…してますかこれ!してますよね!
じつは色々と設定があるのですが説明してたら長くなりそうなので割愛します、自由に読んじゃってください
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