広がる真っ赤な海に浮かべられた陸の小島を目指すように、次々と水中から這い上がっていく大勢の人間……なのだろうか。かろうじて四肢が確認出来る事から人間、とは言ったけれどもその身なりはみなボロボロだったし動きもヨタヨタとしていて健康な一個人とは言い難いものがあった。それで――恐らく彼らが出しているのであろう、不気味な笑い声と唸り声の大合唱はこちらの耳にまで届いていた。

「……、何だありゃ……オイ」

 何と呼んでいいやら文字通りに言葉が出てこない、船員一同にも動揺が走ったが乗客をパニックに陥らせるわけにはいかなかった。そんな中で、柏木は恐怖していながらその光景から目を離す事が出来ないでいる。金縛りにあったかのように目を引き剥がせないでいた。あんなの、今まで何十回何百回と海の上を私歩いた自分達でも見た事がない。知識として教えられた記憶もない。そして、知らない存在は、恐怖の対象でしか、ない。

――生きてる人間とは言い難いな、あれ……いや人間か? むしろ……

 月並みな感想、というのか、パニック映画における死に役みたいな言葉しか吐き出せないでいるわけだけど、レンズの向こうに広がる亡者達の集合体。その中央、亡者共を統率するかのように不自然に佇む少女の姿があった。異常に肌の白いその少女は髪をなびかせながら群れの中を笑顔で駆け回っていた。

「何、だ、――あのガキは」

 望遠鏡を持つ手が震えるのが分かった。既に異様な光景の中に更に上を行く違和感を被せられて、的確な言葉が奪われていく。少女の身体はまるで宙に浮かんでいるようにも見えた。踊るようにして踵を返し、不自然に青白く、それでいて異様に長い髪から覗くその顔ははっきりと笑いの形に歪んでいる。少女の動きに合わせるように亡者の群れはひときわ大きな歓声を上げたのであった。
 蠢く肉塊の中、少女の非現実的なまでの存在感が輪郭を刻んでいる。

「……、その……甲板部の整備をしていたスタッフと連絡がつきません。何か、あったんでしょうか」

 むしろ何もないわけがないんじゃないのか、この状況。今更なような気さえした。船長の舌打ちと共に、柏木の緊張がもう一段階上がった。望遠鏡ばかり見ている場合ではないが、その向こうにいる物体を観察するのを止められない。その意思を奪われてしまったように、自分はそれを見るの事を止められないのだ。

 幻影のようなその少女が再びこちらを振り返ると、その姿は急成長して成人した女のものになっているようだった。髪型と衣服はそのままであったが、背丈や骨格は見事に二十代くらいの女に変化していた。そしてそれは――人間離れした妖艶さを纏わせ、蠱惑的な色香を漂わせていた。自分がもし女性を性欲の対象として見られていたのなら――いや、そうではない自分でさえその姿に釘付けになってしまった程だ。
 だけど同時に、強烈なまでの不気味さを覚えていた。
 感情を持たない綺麗な器、生まれついての邪悪な存在、理解不能な化け物……彼女の存在を表現する言葉だけで一冊本が出来るんじゃないだろうか。

――は? 嘘だろ? さっきまであれ、ガキじゃなかった? どーゆー事だよ? は? は? やばくね?……何だよ。何が起きてるんだよ?

 三十路も手前に差し掛かった男が『ヤバイ』ぐらいでしか状況を示せない等とどうかと思うが、それ以外に語彙の出てくる冷静さも今の柏木にはなかった。振り返った女は両手でその髪の毛を払いながら、何百、何千といるであろう亡者達の中央で再び高らかに笑っていた。

 それを見た柏木は何故か、自分が深い深い穴に落ちたかのような気持ちに陥ってしまった。――強い絶望感が頭を掠めていた。数分後の自分があの亡者達の中に叩き落される、そんな昏い妄想が頭を突き抜ける。





「う……何か臭い」

 携帯ゲーム機を持ち込み、船内で遊んでいた前田がグッと鼻をつまんだ。

「七瀬、屁でもしたか?」
「え? してないよ」
「何か臭くない?」
「……、確かに。こっち方面ってトイレあるからそのせいかな?」

 言われてようやく気付いたくらいだったのだが、意識してみるとかなりひどい臭気だ。夏のドブ川にでも浸したようなキツイ臭いは、さっき食べたばかりの昼食を全て無駄にしてしまうそうなくらいの破壊力を伴っている。

「ていうか前やん、何か……空、やばくない? ほら」
「――うわ、ほんとだ」

 言うなり前田は外を見つめて素っ頓狂な声を漏らしたが、怯えているというよりははしゃいでいる風に見えた。さっきまでゲームをしていた延長線上みたいな感覚でいるのだろうか、危機感のようなものはまるで感じられなかった……。二人が呑気に構えている傍ら、乗務員らが慌てた様子で船内を行きかう。

 船内にいた生徒達も皆、想像している以上に何かおかしな事になったのだとようやくのように理解した。

「三宅さん!」

 エンジンルームをノックしても反応がまるでなく、焦れたようにポケットからキーを取り出した。

「こんな時くらい出てきてくれよ、全く……」
「三宅さん、業務連絡いってます? 何かちょっと外が異常事態で――」

 扉を開いたのと同時に、今しがた漂っている臭気とはまた別の強いニオイが漏れてきたのが分かった。この金属のような匂い――知っている。大量のその匂いは嗅いだ事は未だかつてないのだが、本能的に知っている……血だ。

「……三宅さん……」

 電気の点いていない室内に足を踏み入れると、靴底がぐちゃりと湿っぽい音を立てた。思い出したように背後のスタッフが明かりを灯すと、それでようやく室内の全体像が把握できた。機械のプレスに半身を挟まれた状態の三宅だったが、その身体がおかしな方向にねじれていた。

「三宅さん!……三宅さん!?」
「な、何て事だ……何で、どうして、止まらなかったんだ、この機械……とにかく抜き出すぞ! そっちを引っ張れ!」
「こ、この人いつも出てこないからそれが普通だと思ってそれで……」
「ごちゃごちゃ言ってねえでさっさと引っ張れよ! クソ馬鹿野郎!」

 一人が、三宅の両脇に手を差し入れてプレス機から彼の身体を抜き出そうとした矢先だった。死んでいたのだとばかり思っていた三宅の顔が、ぐるりとこちらを振り返ったのは。その濁った虚ろな両目がこちらを捉えていると知り、彼にまだ息があったのだと思った。

「! 三宅さん、生きて……」

 しかし、先に続く筈の言葉が――けたたましい絶叫に塗り替えられたのはそのすぐ直後だった。




大人ノミコンちゃん。
彼女メタモンみたいなものだから
そらもう変幻自在よ。
多分、相手が恐怖している存在とかにも
すぐ形変えられるんだと思う。
ボスとして出たらフリーザさんばりに
第何形態と姿を変える絶望感たっぷりのボスやろな。

05、天使のお遊戯

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