遠く、うみねこ達の鳴き声を聞きながら随分遠いところにまで来たもんだ――と達観した事を思ってみる。しかしながら修学旅行、と聞いてもあまり楽しい気分になれないのには大きな理由があった。

「七瀬。お前、まぁた乗り物酔い? ずっとスマホで漫画でも読んでたんじゃねえ?」
「……」

 冗談じゃない、俺は三半規管が弱いんだよ。と全力で反論を寄越したくなるのを抑え込み、七瀬直純(ななせ・なおずみ)は吐き気と共にその言葉を飲み込んだ。……無理だ。何か言いたくとも大声なんて出そうものなら一緒に胃液が出てしまいそうで。

「うう……きもちわる……、やっぱ俺、船が一番無理かも」
「それよりもさ、今週のゲーム通読んだかよ? 久々にクロスレビュー四十点満点出したソフト、何だと思う?」
「あのレビュー、ぶっちゃけステマっぽいんだよねえ」

 頭を傾けていたせいでずり下がってきた黒縁メガネを持ち上げて、七瀬はペットボトルのお茶を一口ばかり飲んだ。何か会話をしていれば、少しは気も紛れて楽になるだろうか。
 隣にいるオタク仲間である前田(通称・前やん)の、そのややぽっちゃりとした顔のラインを何の気なしに眺め、眺め飽きた頃合いに前田は被せるように会話を返してくる。

「でも俺、絶対にゲー通の編集者になるぜ。小学生の時からの夢だったんだ」
「……小学生の時からの夢はゲームクリエイターじゃなかったっけ?」
「同時進行してんだよ、同時進行」

 笑顔で語る前田に、七瀬はやや寝癖の目立つ黒髪を撫でつけながら相槌を打った。前田は少し丸い体型をした、天パで背の低い男子生徒だ。下がり眉毛と厚めの唇が顔のパーツの中では一番印象に残る部分だろうか。

「おい、キモオタその一、その二。いつまで扉の前突っ立ってんだよ、クッソ邪魔だっつーの」

 そんなつもりはなかったのだが、注意されてしまったのなら結果としては邪魔ものだったのかもしれない。反省しつつ顔を上げて、猛烈に後悔した。派手な髪色の男子生徒は時枝という、いわゆる金魚の糞みたいな野郎だ。周りに誰かがいると強気になるが、一人になると途端に何も出来なくなる典型的な奴なのを、七瀬も前田もよく知っている。

「どけって。マジ速攻。マジ速攻な。十秒。十秒な。はい、じゅー、きゅー……」

 日によって数は違うのだがこの『何秒以内』が時枝の口癖だった。時間内に××しないと、ボコすからな。俺、中学んときボクシングやってたから、怒らせたらまじやべえからな。お前らとか一分以内に瞬殺だから。が、実際のところは通信教育だった為に実技として身に着けていたわけではないとの話だった。
 このエピソードからも分かるように、関わると面倒なタイプなのは痛いくらいに把握していた。七瀬も前田も、その面倒ごとに巻き込まれる前に何も言わず離れていこうとした、が。

「何だよその目、見んなよいちいち」
「……見てないですけど」

 前田は温厚そうな見た目に反して、案外こういうところは引かない奴だ。頑固というのとも少し違う、彼なりに曲げられないプライドのようなものがあるらしい。目上の人間、例えば先輩だとか教師だとか。そういう相手だろうとも、食って掛かる事がままある。
 それが彼のオタクな外見と反して『気骨がある』と思う時もあれば、正直煩わしいなと思う事もある。

「いいって、前やん。行こうよ」
「おいおい。そっちのオタAは逃げ腰かよ」
  
 何を言われようが構うものか。
 ただでさえ面倒な相手なのを分かっていながら、これ以上面倒な事になってたまるものかよ――七瀬が前田の腕を掴んでその場から無理やりにでも退こうとした矢先に、その事態を収束へと導いたのは通りがかった生徒でもなければ、見ていた筈の教師でもなかった。

「時枝、見苦しい」

 たった一言、それだけ。
 短い言葉だけどそれは十分な抑制力を持っていたのだろう。

「え……」
「うざい」

 二言目で完全に時枝をねじ伏せる彼は、そのグループの中心的存在でもある新条螢(しんじょう・けい)だった。別に新条にとっては、七瀬の事などはどうでもよいのだろう。只、本当に彼が言うように『鬱陶しかった』だけであって。

 新条はいわゆる見目が良く背の高い、女子に人気のイケメンと呼ばれる存在だ。八頭身から九頭身はあるんじゃないかという高校生離れしたスタイルは、読者モデルだとか事務所からスカウトされただとかの輝かしい実績を誇示するのに十分すぎた。

「……え、あ、ぁあ……ハイ」
「俺、早く部屋戻りたい。分かる?」

 その姿と言ったら随分と堂に入った面構えで、日頃からマネージャーやお付き人を顎であしらう彼の姿をありありと思い浮かばせた、が。とにかく新条がそう言えば、時枝もそうだけれど周囲にいた彼の仲間達も従うだけだ。
 新条のご機嫌を取るのに、間違っても嫌われたりなんかしないように、皆必死になっているようにすら見えた。
 扉の向こうに消えていく彼らの姿を目で追いつつも何か言う事は叶わず、少しずつ距離を開いていきながら七瀬と前田はその場を去っていくのだった。

「何つうか――、ああいう奴らもああいう奴らで苦労してんのかな、とか思っちゃうね」

 拍子抜けしたような前田の声に、七瀬が肩の荷が下りたような表情を浮かべた。が、すぐさま妙なムカつきが胃のあたりに降りてくるのを知った。今しがた感じている、船の揺れによる酔いとはまた別のムカつきが。

「……何ていうか……、終わってからイラっとくるな。ああいうの」
「あー、分かる。もっとああしてやれば良かったこうしてやれば良かったっての。――まあ見とけって七瀬、俺がゲーム・クリエイターとして無事就職したらあいつらゲームの中で殺され役で出すから。ゾンビに食い殺される役、良くね?」
「――大体何だよ。あの時、俺らが絡まれてるのみんな見て見ぬふりだぞ?」

 七瀬が誰に言うでもなく独り言のような調子で言えば、前田が髪を掻きながらその様子を眺めるのだった。

「教師も止めに入らないって、何だよソレ。呆れてものも言えないよ」
「あ〜……まあ別に殴られたとかではないから普通に話してると思ってスルーしたんじゃないのかなあ」
「明らかに仲良くしてる雰囲気じゃなかっただろ!?」

 日頃、七瀬はあまり大声で誰かと本音をぶつけ合う機会がない。そのせいもあるのか声の音量調整と感情抑制が出来ないらしく、よくこうやって周囲を弁えずに怒鳴ったりする。

「どうかしてるよ、この学校! ったくよぉ!」
「お、おう……」

 苦笑交じりに、前田は苛立つ七瀬のその背を追いかけた。




七瀬君は可愛い顔した小柄で童顔なオタク。
前やんは小太りでモサっとした感じの典型的俺ら。
でもすげーいいヤツだと思う。友達にほしいさ。

01、崩壊症候群

<< | next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -