その蹴りはゾンビの片脚を幾分か削り取ったようであったが、活動を止めるには至らなかった。よろめきながらも態勢を立て直し、ゾンビは本能に従うようにしてその両腕を伸ばすのであった。ロッキンロビンは半歩下がるのと同時に、左足を軸にしながら身体を捻らせる。遠心力を活かしたその一撃は、いわゆる後ろ回しのモーションで繰り出された、腰の入った蹴りであった。ゾンビの片脚を仕込み刃が瞬時に切り落とし、派手に血を噴出させながら女ゾンビの身体が沈む。

「ウウウウウ〜〜〜」

 床に這う女ゾンビに向かい、ロッキンロビンは上半身を回転させ勢いをつけ、その顔面めがけて靴先の仕込み刃を突き立てた。刃は、ゾンビの片目にずっぽりと根元まで埋まっていた。ゾンビに痛覚があったらと思うと、同情したくなるくらいにえげつないショッキングさ。ルチオ・フルチの映画『サンゲリア』に出てくる眼球串刺しシーンを彷彿とさせるエグさだ、もっともあれはゾンビ側が人間にやった事だったけれど。

「……う、うぉ、ぁっ、ッあああ!!」

 それまですっかりビビりが入って怖気づいているものだと思っていた少年だったが、刀を構えたまま混乱に乗じて突っ込んできた。その目はさっきのようにゲーム感覚で敵を倒すプレイヤーの目ではなく、命を守るべくして排除すべき敵を殺そうとするある意味人間らしい目つきではあった、が――キルビリーは何故かイラっときて、舌打ちをした。

「どっちかっていうとこういう奴らの方が不愉快極まりないんだがな、俺は」
「それ、物凄く同感」

 背中合わせの二人による会話を聞きながら、那岐も向かってくるゾンビを一体迎え撃った。使い慣れていない刀による初太刀ではあったが、大丈夫。――腕は鈍っていない。切れ味も中々なものだった。吹っ飛んだゾンビの首が、 壁にぶつかりワンバウンドし、また別の少年の頭の上にぶつかった。

「ヒィイイ!!」

 血の雨が降り注ぐ船内を、少年は刀を出鱈目な構えのまま突き進んだ。彼はすっかり正気を失っているのか、いやいや初めからそんなものないのかもしれないが……ともかくキルビリーへと特攻をけしかけた。やぶれかぶれの一撃一撃をかわすのは容易であった。もっとも、こいつが冷静であってもさしたる相手じゃないのは明確だった。

「おいおい、攻撃する相手間違ってんじゃねえのかコイツ」
「お! あ! おっ、あああッッあぁあああ!!」

 少年の出鱈目な太刀筋をキルビリーが刀で迎え撃つと、刃物同士のぶつかり合う音が奇声に混ざって響いた。

「聞けって、おい。俺はゾンビじゃねえぞ」
「んあああっ、殺すっよくっっもッッ! 死んッで、みんな死んだぁあっ! おま、おまえら、お前らがやった!」
「……キルビリー、悪いけどそれは自分で何とかして」

 言い置いて、ロッキンロビンは向かってくる別のゾンビと対峙していた。ゾンビの攻撃を横に逸れてかわし、ロッキンロビンは振り向きざまにゾンビの延髄に膝蹴りを叩き込んだ。学校指定のジャージと思われる、若葉色のジャージが返り血でところどころ赤色を刻んでいる。既に犠牲者を数人屠った証拠だろう――ゾンビは痙攣しながらその場に倒れ込んだ。
 今度は入れ替わるように飛び出した那岐が、向こうから走ってきた船員を思しきゾンビの横腹めがけて振りかぶるような太刀を浴びせた。

 彼女達がゾンビを着々と片付ける間も、キルビリーと少年の、その戦いとも呼べない争いは続いているようだった。勿論、終わらせようと思えばすぐにでも終わらせられるのだけど。

「っなんっだっつ!! の!! お前ら! お前らが何かしたんだろ、これ、ッは!」
「落ち着けってば……、ちっ」

 咥え煙草の先がそのめちゃくちゃな攻撃の末にちょん切られ、キルビリーは吹き飛んだ灰を一瞥した。焦れたよう、キルビリーは前蹴りを繰り出し少年の腹部めがけて叩き込んだ。吹っ飛んだ彼の身体はいともたやすく距離を許した。

 尻餅を突きながら、少年は刀を手放す事はなくもう一度しつこく立ち上がろうとしていた。仲間の作り上げた血のせいか滑る足元でもがきながら、少年が吠えた。キルビリーの背中が見えていた。がら空きだった。

「おっ、……おああああああ〜〜〜!!」

 腹の底から声を振り絞るようにして、少年は刀をもう一度背中を向けたキルビリーに振りかざして来た。が、彼は一瞬のうちに振り返り、間合いを詰めた。

「あっ」

 悲鳴を漏らしたのが自分の声だと分かるのに数秒かかり、そして少年は刀を持った自分の片腕が切り落とされたと理解した。

「マジ? これ、マジ?……うっそぉ……ウッソだー」

 ふらふらと少年が自分の片腕から刀を掴みだそうとするのを見つめながら、キルビリーは笑う事もせず憤る事もせず、火種ごと落とされ幾分か短くなった煙草を咥えたままで、じっと眺めていた。その向こう側では、ロッキンロビンが乗客と思しき派手な格好の女ゾンビのこめかみを壁に串刺しにしていた。その足先で、ものの見事に。
 武器が武器なだけに相変わらずこの女の殺し方はエグい――キルビリーが少しだけ顔をしかめた。

「……やりすぎだろ」
「そっちこそ」

 蹴りの構えのままでロッキンロビンが返すと、ゾンビが動かなくなったのを確認しようやくその足を引っ込めたのだった。ずぽっ、と刃物が肉を裂いてゾンビの顔から抜けるのを見終えてキルビリーは言った。

「――さて、那岐。お前の目的を早いとこ達成させないとな……俺達もアンタを死なせるわけにはいかなくなったぞ、と。怒ったネクロちゃんに対抗できるのっつったらお前くらいしかいないわけで……」
「いいえ。彼女は怒ってなんかいないわよ――むしろ……」

 彼女、という言い方が正しいのかどうか那岐は分からなかったものの便宜上、そう言った。

「楽しんでいるのだと思う、この状況を作り出す事で――ネクロノミコンは自分を止めに来る人間を弄んでいるのよ。それが退屈しのぎの為なのか、何か別の目的があるのか分からないけど」
「退屈しのぎ? そんな暇なものかね……俺には奴が全人類を滅ぼしたいのだと見えるけど。事実、俺も今こいつにムカっとしたからな。こんな奴ばかりなら殺したっていい、と思いながら刀を振るった」

 うなじに手をやったままキルビリーが言うと、那岐は刀の血を払いながら言った。

「……そういった負の感情がネクロノミコンにとってはエネルギーとなり力となって増幅する。だからそれが――、狙いなのだと言えるわ」

 ふーん、とキルビリーは腑に落ちているのかそうじゃないのか、曖昧な感じに返答をよこした。心底どうでもよさそうな態度ではあったが、手を貸そうとしてくれる辺り完全にそうというわけではないのかもしれない。

「一つ話をしながら進みましょうか」
「なに? その話、長い?」
「かもね。でも退屈な話ではないと思うわよ、貴方にとっては」

 血の飛んだ眼鏡のレンズを制服で拭き、眼鏡を直しながら那岐が答えた。歩き出した彼女に、キルビリーとロッキンロビンもそれに連なるようにして歩く。

「ネクロノミコンが気まぐれに作り出したという『存在』の話を聞いた事がある?」
「……、いや、初耳」
「彼女が何故それを生み出そうとしたのか分からないわ。この宇宙に情報齟齬を流し込む事でアザトースの夢が作り出す世界に矛盾を生み出そうとしていた、という説が今のところ有力だけど」
「――じゃ、突き詰めると並行世界全部の均衡そのものが崩れるな。そいつが……その矛盾とやらがいらん事してくれたとしたら」
「そうね……書き換え次第では私も貴方も存在しなかった事になってしまうかもしれない。アザトースが目覚めきってしまえば、星は……いいえ、宇宙全ては無に帰す」

 その話に対して反応を返すのはキルビリーのみで、ロッキンロビンは聞いているのかいないのかまるで無反応であった。自分達の生き死にに関わる話なのだろうが、あまり興味がないような態度ですらあった。

「ま、消えたら消えた時だろ。勝てないってんなら俺は潔く諦める」
「――いいえ。そんな事は絶対にさせないわ」
「随分と熱いな。……もしかしてお前の目的はその『矛盾』を探し出す事か?」
「それもある、けど。……一番の目的からは逸れるわね」
「ふーん……そ。じゃ、だったら俺らはそれに手を貸す。それだけだ、別に望んで消えたいってわけでもないし」

 キルビリーは煙草を外すと壁に押し付けて、その火を消した。

「ちょっと……マナー悪い」
「だってどうせ沈む、この船」
「そういう問題じゃない」

 ロッキンロビンが静かに突っ込むと、キルビリーは反省したのかその吸殻を転がっていたゴミ箱の中に放り込んでおいた。

09、私がこの物語の結末を壊すから

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