「…………おい」
ドスの効いた黒い声が、背中に突き刺さる。
普段、高くて可愛らしい声の彼女から出たそれだから余計に背中の痛みが増した。
たらり、背中を流れる冷たい汗。
「……おい、義人」
やっぱり背中に、鋭いナイフのようなもので刺されたような感覚。
自分の名前を呼ばれたとわかっているにも関わらず、あまりの怖さで振り向けない。
「義人」
「は、い……」
「よーしーとー?」
「はい……!!」
黒い呼び掛けに反射的に振り向いてしまった俺の瞳は、後ろで仁王立ちする彼女の姿を捉えた。
にっこりと、ふんわりと、天使の微笑みを浮かべる。だけど俺には悪魔にしか見えない。
「あ、愛花」
「あるよね? 私に言わなきゃいけないこと」
いつもなら直ぐにでも抱き締めているその小さな体が、巨人になって上から見下ろされているような錯覚。
「…………。」
「……あ、る、よ、ね?」
「………………ごめんなさいいいいいいい!!」
全国のサラリーマンさながらのスライディング土下座。
床に擦れた膝がじんじんする。
「謝ってなんて、私、言ってないよ?」
「……愛花」
「言わなきゃいけないことあるよね、って言ってるんだけどなー。外なんだから土下座は止めようよ。変な目で見られちゃうじゃん?」
暫しの沈黙の後、無言の威圧感の彼女を見ていられなくなった俺。とりあえず、立ち上がる。
「……は、ハルナさん、と……映画に行きました……」
「なんで?」
「え、……いや、……えと……」
「ハルナ先輩が綺麗だから?」
そりゃあ、愛花にはない大人の色気をハルナさんは持っているけど。
って、それとこれとは話が違うというか……。
「べ、別になにもしてないから! 見たかった映画に誘われたから行っただけだから!」
「……。」
「信じて……くれな、い……?」
黙ったままの愛花。
俺は、どうすれば良いのかわからないまま、静かに近づいてその体を抱き締めた。
ああ、やっぱり小さい。愛花は巨人になんかなっていない。
「ごめん、不安にさせて」
「……。」
「俺が好きなのは、愛花だけだから。それだけは本当だから」
そう言ってぎゅっと力を込める。
すると、
こくり、小さくも確実に愛花の首は縦に傾けられた。
「愛花」
「義人」
顔を上げた愛花の可愛らしい真っ赤な唇にそっと口付ける――
「痛って!!」
右足に痛み。
見ると、俺の右足が愛花のサンダルのヒールの下敷きに。
「愛花……?」
戸惑いを隠せない俺に、彼女は「好きなのは私だけだなんて、嬉しい。ありがとう」と笑いながらその足を踏みつけた。
そして、ふわりと毒を吐く。
とうぶん、キスはお預けね
「え、嘘、とうぶんっていつまで!?」
「さーあ」
ふわりふわり、天使の微笑み。
HP : amare / 藍澤れつ
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