其れは微かな前口上


目の前の格子を見据えて、その向こうにいる男たちを鼻で嘲笑う。遊女の機嫌を取り、ゆくゆくはことを為したいがために多額の銭を湯水のように使うだなんて、馬鹿げている。まぁ、そんな男たちを相手にしている私も大概馬鹿だが。だけど私は他の遊女たちのように自ら請うたことはない、自分から演技をしてまで見知らぬ男に抱かれるなど、もっての他だ。そんなことをしたら、客の質まで落ちる。すがらずとも、私を本当に抱きたいと思う男は向こうからやって来て銭を出すし、それが買うものと買われるものの最低限の自由だと私は思っている。

「火芽花魁、今日もお越しにならないのでありんすか?あの噂の麗しい殿方と言うのは、」
「…さぁ…わっちには分かりんせん」



他人を、ましてや男を待つことなど、とうに忘れてしまいんしたから。



「花魁が遊廓を出る方法を…教えてはくれないか」

あのとき一瞬でも平凡を夢見た私は、やはり馬鹿だったのだろう。そもそも、平凡な幸せなど本来なら遊女が見るべき夢ではないのだろう。でも、あのときの私はまだ若かった。若すぎた。



「…今日はもう下がりんす、」
「あっ、火芽花魁!」
「気分が変わりんした。」

ぴしゃりと襖を閉めて、自室への階段を上がる。今更、数年前の出来事を思い出して感傷に浸るなんてどうかしてる。禿(かむろ)に少しばかり昔話をしてやったのが裏目に出たか。溜め息を吐きながら打掛を脱ぎ捨ててどさりと布団に身体を投げる。その拍子にぽとりと落ちた簪を拾い上げ、月明かりに翳した。キラキラと光る紅いそれは余計にあの日のことを思い起こさせる。今宵やけに輝く満月だってそうだ。


「いつか…また…」



いつかまた貴方に逢えると、こんな私でも結局はまた夢見てしまうのである。




(20130626)

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