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▼千歳を越えて

「なまえ…」

見知らぬ人が、私の腕の中で、私の膝の上で私の名を呼ぶ。
私が自覚なく涙を頬に流してその人を見つめながら愛しているわと呟けば、その人は哀しそうに笑って目を閉じる。
いつも、いつも同じ映像。
アングルも長さも変わらない、それが私が物心ついたときから時折見る夢。



「…また…あの夢か…」

見たあとは決まって頭がずしんと重いような気がする。
幼心に「こんなこと言っても誰も分かっちゃくれない」とこの出来事を胸に秘めること十数年、社会人になった今も誰にも言うことなく過ごしてきたけれど、普通こんなことが何年も続くだろうか。
今日は休み明けの月曜日、こんな日にこの夢を見るなんて私もだいぶついてない。

ガンガン痛みを訴える頭を軽く押さえながら洗面所へ行って顔を洗い、トースターにトーストを入れたあと、フライパンを熱し目玉焼きを作る。焼きあがったトーストに目玉焼きを乗せて頬張りながら、今日はどのスーツを着ようかと立ったままクローゼットを漁った。親がいたらはしたないと叱咤されるところだけれど、ここには私しかいない。都会から少し外れたベッドタウンにあるこの小さなアパートが私の城だ。



「おはようございまーす!」

結局おろしたてのネイビーのスーツを選んだ私は笑顔でオフィスのドアを開ける。
お、それおニューのスーツ?イイねえ、なんてありがたいお世辞をいただきながら自席につけば、隣の席に座ってサンドイッチを食べている同期のデイダラと目が合った。

「おはよ、デイダラ」
「おっす、…気合入ってんなーお前」
「え…そう?やっぱネイビーだめかなあ」
「今日からマネージャーが異動してくるからってはりきりすぎだろォ、うん」
「…は!忘れてた!」
「こーんなの首に巻いて、お前チャラい女と思われて終わりだぜ」
「そ、そんなにストールってだめかなあ!?」

デイダラは首に巻いたストールを引っ張りながらひとしきりケラケラと笑ったあと、まあ、そこそこ似合ってんじゃねえかと珍しく褒めてくれたのは良いのだけれど、私はもうそれどころじゃない。私たちの部署につく新しいマネージャーが今日からなのをすっかり忘れていた!慌てたところで着替えることもできない私は気休めにストールをしゅるしゅると取ってカバンに押し込みながらパソコンの電源をつける。朝からなんてテンションの下がる事を言ってくれるんだと思いながらデイダラを睨んだけれど、そんなの気にもせずパックのアップルティーを美味しそうに飲みながらこちらに資料を回す始末。こいつ、今度の飲み会で絶対多めに飲み代請求してやろう。

「この書類、なに?」
「なんか新しいマネージャーとの顔合わせミーティングの時に使う資料らしいぜ、うん」
「あ、ありがと」

その資料に目を通そうとしたところで、部長のサソリ先輩が朝礼を呼びかける。
慌てて立ち上がった私の後ろで、デイダラが小さく「やっぱり今日それ着てきたの失敗だったかもな」と笑った。

「先週も言ったが、横浜支店から異動で来たマネージャーのうちはがここの財務部に今日から入る。…挨拶しろ、」
「はい」

ほどよく低い心地の良い声が斜め後ろから聞こえた、と、思った瞬間、私はデイダラが笑った意味を理解する。マネージャーのスーツ、私のスーツと同じ色だ、と言うか、それより。それより私があれ?と思ったのは。彼の顔をどこかで見たような、でもはっきりとは分からないような、そんな感覚に陥ったからだ。絶対どこかで、いや、でも、今まで横浜支店と直接関わったことなんてなかったし。だけど、絶対私はこの人を知っている。
一体、いつ、どこで…

「なまえ、おい、なまえ!?」
「え、あ、なに?」

肩を強めに叩かれてハッと我に返る。
振り向けば、デイダラが怪訝な顔で私の顔を覗き込んでいた。
どうやらすっかり呆けてしまった私は、みんなが席についている中ひとりでその場に突っ立っていたらしい。

「朝礼とっくに終わってんぞ、早くやれ、もうすぐ月末だぜ、うん」
「あ、ああ、ごめん」
「ぼーっとするなんて珍しいな、体調でも悪いのか?」
「ねえ、デイダラ、私あの人と絡んだこと、あったっけ?」
「え?うちはマネージャー?あってもメールのやり取りくらいじゃねーの?」
「だよねえ…」

なんだよ、気味悪いな、って彼の悪態を聞き流して今日の仕事に取り掛かる、けど、ダメだ、やっぱりこのモヤモヤとした感覚が私の脳をすんなり仕事に移行させてくれない。
それに、あの声も、確かに聞いたことがある音だった。
実は前にどこかで会ったことがあった、とか?それとも、仕事で電話したことがあった、とか、だけどそれだけだったら顔は合わせないし。

「ったく、なまえ!」
「は、はい!」
「お前、本当に今日どうした?」
「ごめんなさい、」

今度は突然怒鳴られて肩をすくめる。
デイダラは完全に呆れた目をして私を見ていた。そりゃそうだよなあ、仕事中に呼んでも返事を返さずにぼうっとしてたら怒られるのも無理はない。
ああもういい加減このことは忘れて気分を切り替えなきゃ、そう思ったところに後ろから声が飛んだ。

「今の名もなまえと言うんだな」
「え?あ、ま、マネージャー!すみません!!」
「いや…、今どこまで処理が済んでいるのか状況を知りたくてな、聞けば進捗をまとめてくれているのがなまえさんらしいから」
「あ、はい、えっと、あと残っているのが横浜支店の営業部と人事部くらいです、」
「この部署は思っていたより仕事が早いようで助かる。これからもその調子でよろしく頼む。」
「ありがとうございます、恐縮です!」

ぽん、と頭を撫でてにこやかに去っていくマネージャーに釘付けになっている私を、デイダラが小突いて覚醒させる。
ごめんね、と軽く頭を下げながら席につけば、彼は珍しく本気で私を心配し始めた。まあ、この数分でこれだけ失態を重ねていれば心配されるのもご尤もだろう。

「まじで体調悪いんじゃねえの?無理はすんなよ、うん」
「あー…確かに、朝からちょっと頭痛いんだよね」
「決定的じゃねえかよ、昨日酒でも煽ったか?」
「や、そんなんじゃなくて、……あー!!!」
「なまえ!うるさい!!」

滅多に声を張らないサソリ先輩に叱られてすみません!と謝罪したはいいけど、もう私はそれどころじゃなかった。
思い出した、思い出した!うちはマネージャーに抱いていたこのモヤモヤが解けた。
私がいつも見る不思議な夢に出てくる男の人がマネージャーにそっくりなんだ!
でも、その疑問が解けたあとにまた次の疑問が浮上する。
なんで…会ったこともない私とマネージャーが…?しかも、夢の中の私はいつも泣いているし、愛してるなんて小っ恥ずかしいセリフを吐いている。これじゃあ謎が余計に深まっただけだった。
これはもう恥を忍んで直接本人に聞…

「お前ほんっっといい加減にしろよな」
「はい…何度もご迷惑をおかけしております…」
「俺に回したこれ、全部ミスってんぞ、うん」
「で、デイダラ様…」
「あ?」
「10分休憩ください…飲み物買ってきます…」
「…アップルティーとチョコな」
「仰せのままに…」

書類の束で頭を殴られ何度目かの怒りを買った私は、パシリを条件にリフレッシュタイムを手に入れた。財布を片手にオフィスを出て、深呼吸を繰り返す。エレベーターに乗り込んで1の数字を押せば、それは妙な浮遊感と共に動き出した。
まあ、この広い世の中ドッペルゲンガーなるものが3人はいると言われているし、私の夢に出てくる人がマネージャーに似ているのもきっとその類の話でしょう。声まで似ているのも…きっと、その類の話。

チン、
点滅しているのは3の数字、ああ、誰かが乗ってくるな、と思っている間に目の前のドアが開いた。

「お、お疲れ様です、」
「お疲れ様。買い物か?」
「はい、ちょっと飲み物を、」
「ミルクティー?」
「え?な、なんで、分かっ、」

その時、自分でも驚く程に、と言うか、私に誰よりも驚いたのは私自身だけれど。
かちりと合わせた眼からどくどくと記憶が流れ込み、見開いた双眼からぼろりと大粒の涙が零れ出た。
マネージャーは私のよく知る憂いの帯びた哀しそうな笑みを浮かべながら1階についたエレベーターのドアを閉め、最上階の屋上へと続く数字を光らせる。

「まさか…逢うとは思わなくて、俺も混乱気味なんだがな」

そんな風に呟く度に私の鼓膜を震わすその声さえもが私の遥か昔の記憶を揺すぶっては脳を圧迫した。エレベーターから屋上に引っ張られていく間その手から伝わる熱も、その優しい眼差しも、なにもかも。私が誰よりも知る存在だったのは、いつの話なんだろう。
あれは、あの夢は私の前世の記憶だったんだ。

「あんな別れ方をしたから…きっと何もかも忘れられてるんじゃないかって思っていた。」

俺は生まれながらに割と記憶を持ち合わせていたんだ。そう言いながら笑うマネージャーは本当に淋しそうで。ああ、こんな辛い記憶をずっと独りで抱えてきたんだと思うと余計に泣けた。

「…あのあと、なまえは…その、俺以外の誰かと」
「そんなことありません!私は、…私は、生涯独り、でした」
「そうか。…それは、逆に申し訳ないことを」
「違います、私にはマネージャーしか…考えられなかったから!」
「…”マネージャー”?」

少し企んだように微笑むその顔を、優しく触れるその手を、この存在を、私は一体何年、いや、何百年、何千年待ったのだろうか。
抱きしめられれば更に蘇る記憶にまた零れる涙、ああ、もうこんなんじゃどんな顔してオフィスに戻ればいいのかわからない。

「…イタチ…」
「なまえ、」

でも、そんなことより、今はこの喜びを全身で享受しよう。


千歳を越えて

 愛しているわ、


(20141120)


   

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