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▼罪な微笑み

※現代パロ


片手にはお茶、片手には書類を持って窓際に佇むうちはイタチ専務(28)。
おはようございますと小声で挨拶をして目の前を通り過ぎると、彼も控えめな声でおはようございますと返してくれる。
この瞬間、まさにこの瞬間だけが日々の私の癒しであり、ときめく時なのだ。
広くも狭くもないこのオフィスにある私の席は専務のデスクを通った先、入口とは反対側の窓際にあるため、私は毎朝こうして小さな幸せを掴むことができている。
彼が若くして専務という役職に就いたのは、この会社が彼の親戚一族から成っていることが理由のひとつではあるけれど、実際に業績もよく、頭も良いことからそれに誰も異論はないし文句も聞いたことがない。なんて出来た人なんだ。

パソコンの電源を入れて、飲み物を取りに行くついでにコピー室に向かうと専務とかち合う。
あ、すいません、お先にどうぞと踵を返そうとした時、身体がぐわりと揺れた。
どうやら腕を強く引き止められたらしい。

「せ、んむ、」
「すまない、取り急ぎこの資料を5部作って欲しいのだが、頼めるか?」
「はい、今すぐします」
「ありがとう。」

えええええ、まさか、私にコピーを頼むために、まさか、私と同じタイミングで私が向かったコピー室に来たの?専務が?
今日はなんかいいことあるかも…いや、それとも今日の運をここで使い果たしてしまったかも…

「なんにしろ、今日はいつもよりいい日、かも」
「なあにニヤついてんだ?」
「…サスケくん、先輩には敬語!」
「…なまえ大先輩、朝からご機嫌がよろしいようで」
「どうもどうも」

後輩のサスケくんは専務の弟さんであり、ということはつまり出世頭だ。
実力主義者な会長の意に沿ってコネ入社こそしていないものの、彼もまた例に漏れず成績優秀、見た目も綺麗で…というか、この一族は本当にみんな見目麗しい。一体全体どんな遺伝子なんだ。

さて、なにかと私を茶化してくるサスケくんをいつものように流し誤魔化しながら印刷し終わった書類をまとめ、部数毎にホッチキスで紙の端をぱちんぱちんと止めていく。
サスケくんはコピー室の隣の休憩室のバリスタからコーヒーを作って出て行った。彼の本来の目的は飲み物だったようだ。

「お待たせしました専務、」
「ああ、ありがとう、助かった。」
「はい」

軽く会釈をして専務のデスクから離れる。
自席に戻ると、買った覚えのないペットボトルが1本。誰かの置き忘れだろうか。そう思ったとき目に付いた、横に貼られたポストイットに書かれた文字はまさか。

『コピーのお礼です』

こ、コピーをしただけで…お茶を奢ってもらってしまった…
コピーなんて業務の一部でもあるのに、なんでわざわざ!申し訳ない!いや、でも嬉しい!
これはこれでお礼の1つでも言わないと!と専務の方へ向けば、ぱちっと目が合った。
慌ててペットボトルを持ち上げてペコペコとお辞儀をすると緩やかに上がる口角。あああああ、その笑顔が眩しい!

「もう…私今年の運使い果たしたかも…」
「なに言ってんだ、大丈夫か?」
「…はあ、もう先輩も後輩もないわね、全く」
「部署が違うんだからそのくらい許せよ」
「そういう問題じゃないでしょ?社会人としてそれくらい直したらどうなのって話、」
「使うべき相手にはちゃんと使ってるんだからそれでいいだろ…」
「私は使うべき相手じゃないってこと!?もうちょっと年上を敬いなさいよ」
「なまえさんの言うことはご尤もだぞ、サスケ」
「ヒッ!」

お昼休みの休憩室、サスケくんとご飯を食べながら話していたところにまさかの専務登場。
いつも専務はお偉いさん(専務も充分お偉いさんだけど)と外食しているのが常だったのに、今日はまたなんでこんなところに。
首をぎこちなく専務の方へ向けた私の目に入ったのは、コンビニのビニール袋。コンビニ弁当も食べるんだ…と思っていると、彼はあろうことか私の隣に腰を下ろした。

「あ、サスケくんの隣にどうぞ」
「は?」
「いやいや、俺はここでいい、そう気を使わずに」
「今日は外に出ないのか?」
「ああ、今日は午後イチで会議があるから外に出ている時間がないんだ」
「ふーん」
「なまえさん、今朝はコピーありがとう、急に返さないといけないメールが来ていたから本当に助かった。」
「いいいいえ!こちらこそ、わざわざ飲み物まで頂いてしまってすみません!あのくらいのことならすぐやりますので御礼など気にせずお申し付けください!」
「はは、頼もしいな、なら…またよろしく頼む」
「はい!」
「なーにそんなカッチコチなんだよ、おかしいぞ」

うるさい!専務に失礼があってからじゃ遅いんだから、変な態度とれるわけないでしょうが!
そんな気持ちで専務に見えないように左隣のサスケくんを睨みつけたけれど全く効いていないようで、彼は私の緊張具合をただただ鼻で笑った。なんて屈辱。

「…買ってきてから気づいたのだが、この弁当にはご飯がついていないのか?」
「へ?」

専務が電子レンジから取り出したコンビニ弁当は親子丼で、プラスチックの容器が上下の2層構造になっており、上に具、下に白米が分かれて入っている。
まさか、これを今までに体験したことがなかったのか!

「あ、これはですね、こうして取り外して、ご飯にこの具を乗せて完成ですよ」
「クッ…流石に俺でもそのくらい知ってるぞ兄さん」
「コンビニで食べ物を買う時はいつもおにぎりやサンドイッチばかりだったからな…」
「一緒についてた七味はかけます?」
「ああ。…あ、すまない、そこまでさせるつもりは、」
「ついでですから、はい、どうぞ」
「ありがとう」

こんなに目を輝かせてコンビニの親子丼を食べる大人が他にいるだろうか。と言うくらい、専務はキラキラした目で同梱されていたプラスチックのスプーンを親子丼にさくっと突き刺した。熱々のそれを少し冷ましながら口に入れる。
…いかん、つい見とれてしまった。

「…ふむ」
「…お口に合いませんでした、か」
「意外と美味しいものだな。これで450円とは…最高のコストパフォーマンスと言うべきか…」
「ハハハ…」
「ったく、兄さんの世間知らずもそこまで行くと非常識レベルだぜ」

若干同意したい気持ちもなくはないけど、流石におこがましい。
コンビニ弁当の扱い方なんて知らなくたって生きていけるけど、知らないとできない仕事はたくさんある。仕事ができなければこの世界のその役職では生きていけない。専務はそういうことは抜け目なくバッチリなのだから、やはりその例えは彼には当てはまらないのだ。

「さ、サスケくん、いくらなんでも言い過ぎよ」
「社会に出て少し丸くなるかと思いきや、お前はまだまだ愚弟だな、サスケ」
「なんだと…」
「ぐ、愚弟…ぷふっ」
「なまえ!」
「こら、先輩には敬称をつけなさい」
「…さん」
「継続するように。なまえさんは我社のエキスパートなんだぞ。」

親子丼を食べ終えて椅子から立ち上がりながら、専務はあろうことか私の頭をぽんぽんと撫で付けてそう言った。
ゴミ箱にゴミを片付け、ドリンクサーバーのほうじ茶スイッチを入れる。
ここまで私は放心状態で口をぽかんと開けたままだ。

「エキスパートだって言ったって、総務だろ?」
「馬鹿にするな。うちの総務は人事も経理もこなしてるんだ、そこらの総務とは訳が違う。そんなのも知らないのか」
「ぐ、」
「解ったら、もっと先輩を見習うことだな。」
「そんな、褒められるほどのことでは、」
「謙遜しなくていい。いつも急な案件を入れてもすぐこなしてくれるから助かっている。」

そう言ってにこりと笑った専務に、私は人生で初めて『鐘が鳴る』という言葉の意味がわかった気がした。


罪な微笑み

(まあ、それが実るか実らないかは置いておいて。)


20170614


   

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