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何時だったか、仲間の一人が言った言葉を思い出した。

「人間が羨ましい。だって、みんなあんなにも楽しそうなんですもの」

そうだろうか。私には、短い生を必死になって生きて足掻く愚かな生き物にしか見えない。私利私欲で動き、狭量で、何の価値も無い生き物。その最たる者が人間という種族ではないのか。あれらが死滅すれば、この星はあと数億年かは寿命を延ばすと思う。彼等はあらゆる生き物を殺して回る碌でもない生き物じゃないか。
私は‥‥人間は、好きじゃない。すると、彼女は困った様に微笑んだ。

「いずれ、貴女にも分かるでしょう」

そう言って眉尻を下げた彼女は、人に恋をしてその身を卑しい人の身に落とした。
そうして、皮肉な事に。彼女はその人間に惨殺された。人間じゃないとばれたから。たったそれだけの理由で、彼女は悲惨な結末を迎えた。

人間を信じるからそうなるんだ。あんなものに懸想するから。

「‥‥‥そういう君は、けれど人間が好きなんじゃないのかな?」

にっこりと、穏やかな笑みを浮かべた男が私を見てそんな事を言ってきた。
殺してやろうかと、本気で思った。







人間は、私を《九尾狐》と呼ぶ。捻りも何もない、見たままの名前だった。もう少し何とかならなかったのかと頭を抱えたくなる。まあ、人間にこれっぽっちも期待なんてしていないから別に良いんだけど。
人間が自分達の住み易い様に星を改造し、古来より生きる私達の住処を破壊してから幾百年と過ぎだ頃、未来をかけた大戦争が勃発した。人類史を脅かす、人の存亡を賭けた戦いが始まった。どうやら、過去を改変せんとする者が、本来一方通行の筈である時間を遡り歴史を弄っているのだという。
人間は、長く使われていなかった日本刀に宿る付喪神を引っ張り出して戦争を始めた。全くもって、勝手な話である。だから、自分達の戦争に他の種族を巻き添いにするなと言いたい。何処まで迷惑をかければ気が済むのか、あれらは。

「‥‥‥む」

住処を奪われた私達《妖狐》は、過去を遡り、各地に点在する人間が忘れ去った廃れた神社に居を構えて暮らしていた。かく言う私も、人間が入り込めない程に奥まった場所に捨て置かれた神社に居座っている。
そんな、誰も来ないと思われていた場所に、まさかの参拝客が訪れた。人間ならば適当に呪でも放って追い返してやろうかと考えていたのだが、やって来たのは人の形をした付喪神だった。

「‥‥‥これは、驚いた。此処にはもう、要となる神は居ないかと思っていたんだけどな」
「‥‥‥あのさ。買い被ってくれてるところ申し訳ないんだけど、私神様じゃないし。妖怪だし。そんな神聖なものと一緒くたにされても困るんだけど」

萌黄色の狩衣に血をたっぷり付けているにも関わらず、その男は微笑みを絶やさなかった。その血は男のものではなく、彼が腕に抱えている数振りの刀のもののようだ。
ボロボロの社に座り込んで酒を煽っていた私は、鳥居を前に佇む男を見て頬杖を付いた。じろりと睨み付けてみても、男は困った様に肩を竦めるばかりで怖がる様子は無い。

「いや、君は神だよ」
「‥‥‥あの、話聞いてます?」
「聞いているよ。君の話を聞いて、君の纏う神聖な霊気を見て私は言っているんだ。けれど‥‥参ったな。此処なら誰にも迷惑を掛けずに仲間を休ませてあげられると思っていたのに。すまないね、邪魔をしてしまった」

どうやら、私に迷惑を掛けまいとしているらしい。ゆっくりと踵を返して歩き始める彼の足取りは重く、ぽたりと血が滴り落ちていった。
‥‥‥何だ。この男も怪我をしているのか。

「別に構わないけど?」
「‥‥‥え?」
「私だって、勝手に此処に住み着いてるだけだし。‥‥‥私なんかより、ずっと神様してるでしょう?あんた。‥‥‥禊くらいなら、こんな廃れた神社でも出来ると思うし、ちょっと休んでいったら?別に、取って喰ったりしないし」
「‥‥良いのかい?」
「良いってば。此処で追い返して途中で死なれたら、こっちが後味悪いでしょ」

ぱちぱちと瞬きをして此方を見やる男にぞんざいに返して、社の奥へと引っ込む。これ以上問答をするつもりはなかった。

「ありがとう。助かったよ」

安心しきった声で言われると、こっちも調子が狂う。大体、感謝なんてされ慣れていないんだ。







「‥‥‥へえ。あんた、御神刀なんだ」
「ああ。石切丸という」
「その名前なら知ってるよ。病気治癒の神様か。成る程ね‥‥だから、禊しただけで傷が塞がったわけだ」
「最も、仲間の治療は出来なくてね。今は本体にその魂を戻して、少しでも負担を減らせる様に祈祷をしてあげるくらいなんだ」

すっかり顔色の良くなった男は、憂いを帯びた表情で傍にある刀達を撫でた。生気を失っている様に見えるが、実際は眠っているだけらしい。
囲炉裏を挟んで言葉を交わし始めて、どれくらいが経っただろう。今夜は泊まって行けば良いと言えば、お言葉に甘えさせて貰うよと彼は深々と頭を下げた。

「早く本丸に帰ってあげられたら良いんだけど‥‥生憎、座標を見失ってしまってね。朝方、現世と陰世の境界が曖昧になれば座標も見つけ易いと思うから‥‥その時までは、よろしく頼むよ」
「‥‥‥人間の為に、其処までしてやる理由が分からないんだけどね。私には」
「おや、そうかい?」

炎が爆ぜる音ばかりが響く。私はメラメラと燃える火を睨み付けながら、ゆっくりと口を開いた。

「昔ね、知り合いに人間が羨ましいって言った奴が居るんだ。そいつはね、人間が幸せそうに見えたからー、なんて訳の分からない理由で人間に化けて、人の世に降りたんだ。‥‥‥結果的に、その人間に殺されたんだけど」
「‥‥‥」
「あいつ、何もしてないんだよ。ただ、人間が大好きだっただけ。それなのに、人間はあいつを殺した。狭量にも程がある。そんな奴らを助ける為に、何たって私やあんたが傷付かなきゃいけないの?」

石切丸は、口を閉ざして難しい顔をした。顎に手を当てて、答えを探す様に視線を落として低く唸る。
やがて、顔を上げた彼はにっこりと微笑んだ。

「ああ、そうか。‥‥‥君は、人間が好きなんだね」
「は‥‥‥はあ!?ちょ、何でそうなるんですか!」

突拍子もない結論に頭を抱える。彼は可笑しそうに笑うと、いやいや、申し訳ない、と明るい声で謝罪した。
ちっとも申し訳ないなんて思っていなさそうな声だった。

「けどね、私は最初にこう言わなかったかい?『君は神だよ』と」
「‥‥それが、何」
「神はね、信仰してくれる人間が居て、その人間を心の底から慈しんでいる者しかなれないんだ。‥‥‥君は、人間が好きじゃないと言う割に、随分と人間を永く観察しているだろう?嫌いなものを細かく観察するようなものは、人にも神にもそう居ない。大体‥‥人の身を借りて現界しているじゃないか。本当は、人間が大切なんだろう?」
「‥‥‥‥」
「君は確かに、人間に手を差し伸べる種類の神じゃないだろう。けれど、彼等を見守る類の神なんだよ、君はね。私も、かつてはそうだった。大抵の神はそうだね。そして‥‥彼らは総じて、人間が好きなんだ」
「‥‥‥」
「狭量で、自分勝手だけど‥‥‥必死に今を生きようと足掻くか弱くも強い人間が、私達は大好きなんだ。だからこそ、私はこの身を犠牲にしても彼等の為に自身を振るうし‥‥君は、人間を見守り続ける。違うかい?」

慈しむ様な眼差しを向けられて、歯を食い縛る。九つの尻尾が逆立った。
‥‥‥そんな筈はない。そんな筈は、無いんだ。だって、あんなにもあいつらは勝手なのに。
殺す事しか出来ない、何の生産性もない連中なのに。

「‥‥‥違う。私は、玉藻前やあんたとは違う。私は‥‥人間なんて、好きじゃない。そんな‥‥‥立派な狐じゃないよ」

首を横に振って俯いた。頭が真っ白になる。うまく思考が纏まらない。
石切丸は音も無く側に歩み寄ってくると、まるで幼子にするかの様に私の頭を撫でてきた。やめろ、と眉根を寄せて手を払おうとするも、彼は「はいはい」と適当に返事をするばかりでちっとも意に介した様子は見せない。
結局根負けして、好き勝手に撫でさせておいた。

腹が立つ事に。
彼の手は、怒るのが馬鹿馬鹿しくなるくらい優しい手だったのだ。






ふと、目を覚ました。
境内に、何やら不穏な気配を孕んだものが侵入してきたからだ。ちらりと横を見れば、私が用意した布団に入って寝息を立てている石切丸の姿がある。疲れているのか、彼はこの異常に気付いていない様だった。
それに安堵しつつ、足音を立てない様に外に出た。此方は狐の眷属だ。夜目は効く。

かくして、其処には異形の姿をした荒魂が居た。検非違使、と。石切丸は言っていたか。

どうやら、仕留め損ねた刀剣達を追い求めて此処までやって来たらしい。暗闇に光る無数の目を見渡して、私はため息を吐いた。数が、多過ぎる。

いっそ、このまま石切丸達を見捨てて逃げてしまえば私は無事だろう。
あれは人に加担する神だ。私が、一番苦手な類の存在だ。

けれど。


「‥‥‥悪いけど、此処は私の神域だ。お前達の様な穢れきった魂なんてお呼びじゃない」


人の身を捨て、本来在るべき姿へと戻り、吼えた。





私は、人間なんて好きじゃない。
けれど。
この世は存外、退屈ではなかった。








ふと、気が付けば少し離れた場所で眠っていた筈の彼女が何処にも居なかった。
慌てて身を起こす。辺りを見回してみても、其処に彼女の姿は無く、あれ程神聖な気に満ちていた筈なのに、寒々とした空気が辺りに立ち込めていた。

まさか。息を飲んで、刀剣を抱えて外に飛び出す。

「よ、石切丸」
「!鶴丸君かい‥?何故、此処に」
「主がな、明け方君達の居場所を特定出来たと言ってな。慌てて俺たちが迎えに来たって訳だ。驚いたか?」

ニヤッと笑いながら手を振って、鶴丸君は私の顔を覗き込んだ。その目は何処か据わっていて、彼が怒っているのだと直ぐに気付いた。

「‥‥‥まあ、最初に驚かされたのは俺の方だが。君達が折れたんじゃないかと思って肝が冷えたぜ」
「すまないね‥‥‥その、君が此処に来た時、九尾狐を見なかったかい?多分、人の姿をしているとは思うんだけど」
「九尾狐?‥‥‥‥‥。いや、見なかったが‥‥まさか、狐にでも化かされたって言うんじゃないだろうな?」
「むしろ、その狐に助けて貰っていたんだけど‥‥。起きたら、彼女の姿が見えなくてね」

私の言葉に、鶴丸君は暗い表情で眉間に皺を寄せて視線を落とした。

「‥‥そうか。あの狐は‥‥‥ああ、いや。取り敢えず本丸に戻ろう。主が心労で倒れる前にな」
「‥‥‥そう、だね。今度会った時にお礼をしなくちゃいけないな。とっておきの油揚げを用意しなくちゃね」

鶴丸君は、良いんじゃないか、と強張った笑みを浮かべて頷く。
私は奥歯を噛み締めて込み上げる感情を抑え込むと、ゆっくりと足を踏み出した。










人を愛した神様の話 - fin -

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ユエ様リクエスト『妖怪と石切丸とでほのぼの切』


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