Hand



その 薄く灯りがついている部屋、扉に私が「ただいま」と言葉をころがせば小さく、水を打ったかのように「おかえり」と言葉が帰ってくるのを知っている。そこまで広くない玄関の、シューズクロウゼットの上には、彼女が私に造り届けた幾つかのガラス細工が飾られている。
バラやアザレアの花が彫り込まれた花瓶に目がいった。生けられたアザレアやそれを見て、花言葉が頭を通れば愛しく、微笑ましくなる。
手が離せないのかこちらまで彼女の姿が見えることはない。
キッチンを通ればレシピ本を片手に料理をしている名前。足音に気がついたのか笑顔を見せこちらを向いた。

「おかえり、レオ」
「ただいま。随分真剣に料理していたのね。いい匂いがするわ」
「えへ、今日はちょっとチャレンジしてみようと思って」
「シチューかしら?」
「ん。最近少し寒いしね、ことこと煮込んでみました」
「そう、楽しみだわ」

あまり期待しないでね。と名前はへらり、と笑った。
ムリよ、あなたの料理だもの、いやでも期待するわ。
彼女とこうした生活を始める前、私たちがまだ高校生だった頃。彼女はある理想論を語った。


(結婚したら シチューとか作ってあげるのが夢なの)
(面白い話ね、それは。どうしてかしら)
(カレーとかもそうだけどさ、シチューって煮込むじゃない?その人のために作る料理にかけている時間ってその人のことしか考えないでしょ?それって幸せじゃない?)
(アラ、なら私はあなたの丹精こもった手料理が食べられるのかしら)




彼女の手に輝る銀色に、私は簡単に幸せになる。
それが自分と彼女の未来を結びつけた印であり、これから生涯ともにある約束の印ということをわかっているから。

「フランスパン焼いちゃった」
「アラ、お洒落ね」

赤い糸は運命の人とを結ぶ、結ばれるなんていうけれど

「(あながち間違っちゃあいないのかしらね)」



シチューのルウが舌によく残った




back