▼Holiday 「えーっ!! 名前っち今日もダメなんすかぁ?!」 「しょうがないでしょう。 まだ引き継ぎ終わってないんです。」 暇な人だ、と思う。 否、暇ではないのだろう。 仮にもティーンから絶大な支持を誇る人気モデル様なのだから、暇なわけが無い。 にも関わらず彼──黄瀬涼太は必ず毎週金曜──帝光の部活動が6時で切り上げられる日に卒業したはずの母校に潜り込み、生徒会室へとやってくる。 さして、問題はない。 ないのだが、紅く道が色づくこの時期は部活動以外の"大きなお仕事"に追われた。 「ねーえー名前っちー!! 先週も約束破ったじゃんー!!! しかも今日俺オフなんすよ?! そろそろ相手してくださいっす!!!」 潜り込むために、だろうか。 彼は少し小さくなり、それも緩和するほどに伸びきった帝光の制服を何事もなかったかのように着る。 もしバレたら警察に突き出されたって文句は言えないし、それをまだ今の名前には咎める事も出来る。 なのに、こうして甘受してしまうということはやはり彼に絆されているのだろうか。 「……黄瀬先輩、」 それでも名前が黄瀬に靡くことはない。 それは自分が誰かのものになってしまえばあとは自分では歯止めを効かせることが出来なくなると知っているからだ。 この人と会った時、危険だと思った。 誰もが目を奪われそうな衝動に駆られ、その部分だけ世界が歪曲する。 兄に言われバスケ部に届け物をしたとき、感じたことだ。 眩しい。 太陽のように明るくて、近くに寄ったら灼かれて殺されてしまいそうだ、と。 だが同時に、名前はまた別の可能性をも感じていた。 "この人は、自分で自分を焼き尽くしてしまいそうだ" 微笑む顔が、重かったことに気づいたのは名前以外何人いただろう。 聡い名前の兄は気づいているとして──あとは、図書委員だった彼だろうか。 黄瀬涼太は、儚い。 何もかもに絶望していつか、自分で自分の首をかっ割いて一人で死んでしまいそうだ。 いつからこんな感情を抱いてしまったのだろうか。 このひとつ年上の人を、守りたいなんて。 「……そんな顔、しないでよ。」 長い指が頬を撫でる。 ぴくり、と身体が跳ねてそこからじわじわと熱が回っていくのに気づいた。 「ごめんね、」 何故ごめんだなんて言うのだろうか。 そんなに私は、彼を謝らせるような顔をしていたのだろうか。 「お願い……泣かないで、」 彼の指が雫を掬い、悲しそうに見つめる。 そっと頬に手をやれば、わずかに湿った手に初めて自分が泣いていることを知った。 「……だって、」 私は彼の末路に気づいている。 この終末は、見えきったようなものだ。 誰かのものになってしまったら私はきっと自分では制御出来なくなってしまう。 もう、後戻りも後悔もできない。 それなのにどうしようもなく今私は彼のものになってしまいたいと思うのだ。 『けして自分が下になると思うな。』 幼い頃、泣いていた私に兄がかけた言葉。 泣かないと決めた。 泣けないと言う言葉の意味を知った。 だって私は誰にも譲れない。 私は私のものだ。 誰にも、譲れないのに、譲りたくないのに。 彼に身を任せてしまえば、焼け焦げて死んでしまうと知っているのに。 放っておけない。 放っておいたら、この人は自分を殺してしまう。 じっと見つめる黄瀬先輩の視線が私を貫いている。 「だって、黄瀬先輩は、」 息が詰まった。 何を、どうして彼も自分自身もまた追い詰められなければならないのか訳がわからなかった。 窓ガラスから風が吹き抜ける。 いつの間にか彼が当たり前のようにこの空間を訪れてから、季節は2回再生した。 あの春から変わらない時間は彼を伴わずにゆっくりと動き揺れていたのだ。 熱い。 この人といるといつだってそうだった。 いくら窓を開けようとも、半袖の硬いシャツに身を通そうとも熱かった。 たまに煽られた書類を拾い集めて事故のように手が触れ合った時も驚くぐらい彼は熱い。 冷たいような顔をして、黄瀬涼太はいつだって熱く太陽のようで。 眩しくてまぶして、私は見ぬふりしか出来なかった。 見ぬふりをするしか、守る術を知らなかった。 吸収されて、彼のものになってしまうことを良しとしない自分の防御はバラバラに崩れ落ちることしか知らない。 お願い、見なかったふりをさせて。 私には黄瀬涼太を甘受してもなお変形せずに生きることなんてできない。 でも、彼は聡かった。 「っ、」 壁に押し付けられる。 黒が、彼と私を支配した。 「ねぇ名前っち、」 ゆびさきが絡められる。 握られた手を震えた手で包んだ。 「ねぇ、名前っち。俺はあんたの影になりたい。」 窓を通して紅が茶色の中に紛れ込む。 午後5時半。 嘘だった。 知っていたのだ、黄瀬涼太は。 部活は、ない。 9月の第一金曜日──テスト、一週間前。 生徒会選挙は、11月。 つまり、そういうことだ。 最も、彼こそどうだか知らない。 でも、触れる指先に激しさを感じなかったとき初めて陥落したことに気づいた。 にやりと崩された唇に、もう堕ちてゆくしかない。 どうしたって傾いた陽は名前の背中を擦って、彼を照らし長く黒く存在を主張させた。 彼の長躯に重なった自分は、驚くぐらい黒かった。 Two Shadows back |