Sleep



※黒子の双子の姉設定です。

高校最初の中間試験、という事で俺は柄にもなく張りきっていた。真面目に授業は聞いていたつもりだし、赤点になる事はないだろうが油断は禁物。
教科書をまとめると、俺は図書室の扉をくぐった。

試験一週間前とあって、図書室の机はどこも埋まっていた。中には荷物を身代わりに席を取っている不届き者もいる。そこまでして席を確保したいほど、誠凛の図書室は整備されていた。
六人掛けの一席が空いているのを見つけた俺は、すぐにその席を確保した。図書委員として何度も出入りしていたが、机に向かうのは数える程しかなかった。こうして周りが勉強している中で教材を広げると、心地良い緊張に包まれるのがわかる。これは捗りそうだと意気込んで、腕捲りしてシャープペンを握った。


気がつくと、時計の短針が2つほど進んでいた。それなのに俺の教科書は1ページも進んでいなかった。

(やっちまったー……)

思わず頭を抱えたくなる。あんなに意気込んでいたのに、しかもこの雰囲気の中でよく眠れたものだ。胸が罪悪感で痛む。
しかし、悲観してばかりもいられない。幸い閉館まではまだ時間があるし、今これだけぐっすり眠ればもう眠気に襲われる事はないだろう。俺は目を擦ると、転がっていたシャープペンを握り直した。

『よく眠れた?』

突然、そう書かれたプリントが隣から滑りこんできた。送り主を辿ってみると、よく見知った人物が座っていた。

「黒子!?」

試験前でピリピリしている図書室で、立ち上がって叫んだ俺の声はよく響いた。教室の端の生徒までこちらを振り返って睨んでいる。周りに頭を下げて元の席に戻ると、そのプリントの下にペンを走らせた。

『いつからそこに居たの?』
『授業が終わってすぐ』

と言うことは俺の一挙一動をすぐ隣で見ていた事になるではないか。恥ずかしいやら情けないやらだ。

『降旗君はこれから何を勉強するの?』
『一応英語、そっちは谷口先生だっけ』
『そう』
『厳しいって聞いたけど……』
『厳しいかはわからないけど、毎回全員当てられる』
『うわあ』
『そっちの先生はどんな感じ?』
『川崎先生、って言うんだけど面白い先生だよ。雑談が多い』

そこまで書き終えるとプリントが文字でいっぱいになったのに気づいた。そこでプリントを裏返して見ると、見たことのあるような英文が羅列されていた。

『←これなんのプリント?』

場所を自分のノートに写し、筆談を続ける。

『英語の小テスト。毎回授業の始めにやる。』
『マジで!谷口先生そんな事やってくれんのか!』
『……コピーする?』
『いいの?』
『全部はないから明日持ってくるよ』
『じゃあまた明日、この席で』
『:-)』

了解、という意味のスマイルマークでこの不思議な会話は終わった。
黒子名前、黒子テツヤの双子の姉で、部活外で話すのはこれが初めてだったりする。姉の方も弟と同様に影が薄く、学校で見つけるのは至難の技だからだ。それに人形のような表情のない目が、言ってしまえば少し苦手だった。

次の日、昨日の場所に向かうと既に黒子さんが座っていた。その席に座ると、黒子さんからプリントが差し出された。

「ありがと、借りるな」
「うん」

小声で会話を済ませると、早速英語の勉強を始めた。英語のテストは二人の教師が合同で作るから、この小テストもやっておいて損はないはずだ。

次の日、約束したわけではないが放課後すぐにあの席に向かうと、黒子さんはやっぱりそこにいた。今日は数学の問題集を解いている。

『これ、昨日のお礼です』

そう書いたメモと一緒に飴を渡すと、『♪』と返ってきた。今まで筆談をしてきてわかったが、黒子さんは中々お茶目な所がある。この勉強会は中間テストが始まってからも続き、その間俺たちは毎日顔を合わせていた。

『現国の手応えは?』
『 (^^)v』
『マジか……』

『歴史何勉強すればいい?』
『え、俺に聞く!?』
『暗記ものは苦手で……』

『明日は数学と化学か……』
『なんで理系の科目が一度に……』
『理系科目ニガテ?』
『うん、数字をみると緊張するんだよね』
『俺もその気持ちはよくわかる』
『同士よ』


『明日で最後だね』

最終日の前日、いつもの席に座った俺にそんな言葉が飛び込んできた。

『英語がんばろうね』

しかも最後の科目は英語だった。俺たちがこの不思議な会話をし始めたきっかけの。

『小テスト、参考になったら良いけど』
『俺の見立てでは絶対出る!』
『そうだ、川崎先生のノート見たい』
『え、俺の汚いよ』
『大丈夫』

黒子さんは俺のノートを広げると、自分のものと照らし合わせた。

『これ何のライン?』
『強調している部分、らしい』
『オレンジの全部そう?』
『らしい』

『降旗君、これeじゃなくてa』
『うわ、マジだ!』

『え、読み方とかでるの?』
『うーん、出るかも』

『このsheってリサの事?』
『そうだよ』

『あ、ここ寝てた(笑)』
『笑い事じゃないよ(笑)』

『この訳、谷口先生はどんなになってる?』

『川崎先生って演習問題やった?』

『ここ単語いっこ抜けてない?』

『あ、』

『もう9時』

いつの間にか閉館時間が迫ってきていた。
図書室に蛍の光の曲が流れている。こんな遅くまで残ることはないから知らなかった。なんだかすごく勉強できた感じがする。

「お疲れ」
「あ、お疲れ」

黒子さんの声を久しぶりに聞いた気がする。紙の上ではあんなに話したのに。

「最終日、がんばろうね」

最終日、そうだ、黒子さんと勉強するのもこれで最後だった。

「試験が終わるのは良いけど、部活が始まるとなると……」
「複雑?」
「うーん、体鈍ってるからなあ……」
「カントクもいきなりキツい練習はしないんじゃないかな」
「だと良いけど……」
「鈍ってる分を取り返すわよ、とか言いそうだけど」
「あ、あり得る……!」

筆談じゃないのに、最初の苦手意識が嘘のように俺は話していた。それどころか駅までの道を一緒に歩くまでになっていた。

「じゃあお先に」
「うん、また明日」
「気をつけて」
「うん」

俺の方の電車が先に来てしまったので、黒子さんに見送られる形で別れた。ドアがしまっても黒子さんは俺を見て……いる事はなく、広告かなにかを見ていた。そうしているうちに電車は出発してしまった。

試験が終わり、またいつもの日常が戻ってきた。続々と返ってくるテストの結果に一喜一憂しながら、最後の科目の返却を待つ。英語のテストは、少し自信があった。前日の勉強会が効いたのだろう。黒子さんはどうだったのか、部活で聞いてみようと思ったのだが何かタイミングが合わない。
練習中は話す事ができないし、練習が終わると黒子さんは弟とさっさと帰ってしまうのだ。彼らの間に入るのはなんとなく悪い気がして、ずっと俺はタイミングを逃していた。
そうしているうちに、また黒子さんと話さないのが当たり前のようになっていった。


昼休み、河原と福田と昼飯を食べながら、話題は中間テストの結果に移っていった。赤点は免れた事、カントクの名前が成績上位者に載っていた事、火神の成績が相当ヤバイらしい事。そんな話をしながら、俺はあの一週間の事を思い出していた。
不意に違和感を感じて、制服のポケットを探る。あの筆談の名残だった。適当に丸められたそれには『また、明日』と掠れた文字が残っていた。

「悪い、ちょっと野暮用」

二人に適当に断りを入れて教室を出る。なんとなく、彼女が図書室に居る気がしたのだ。
早足で階段を登り、図書室に向かう。
奥から二番目、中央左側の机、前から二番目の席。そこに黒子さんは、いなかった。

まあ、当たり前だ。テスト期間は終わったし今はただの昼休みだし、黒子さんが待っている訳がない。そう思いながらもなんとなくいつもの席に座ってみる。

思えばここから、だった。河原も福田も、恐らくは黒子テツヤさえも知らない、あの時間。今思い返してみると不思議な物だ。机の木目を見ていると、あの日に話した事が少しずつ浮かんできた。

「降旗君?」

「く、ろこさん……」

顔を上げると返却カゴを抱えた黒子さんが立っていた。

「何してんの……?」
「何って……あのね、私図書委員なんだよ」
「え、マジで」
「知らないとは思ってたけど……一緒に当番になった事もなかったし」
「ご、ごめん、手伝うよ」
「もう終わったから大丈夫」

空っぽのカゴを見せられて、俺は返事に詰まった。あの時のように話してみようと思うのだが、白紙に戻されたように何も浮かばない。そうしている間に、始業5分前を告げるチャイムがなった。

「じゃあ……」

「ま、待って!」

踵を返した黒子さんを、ひき止めてしまった。何か言いたいのだけど、言葉として出てこない。金魚みたいにパクパクと口を開いては閉じる俺を、黒子さんは不思議そうに見ている。

「ぶ、部活!頑張ろうな!」
「……うん」
「じゃ、じゃあまた放課後!」

それだけ言って逃げるように図書室を立ち去った。何を今更な事を、俺が伝えたいのはそんな事じゃない。けれども何か、吹っ切れたような気がしていた。
あの席から始まった筆談が、俺にどんな変化をもたらしたのか、自分ではわからない。でも、これからは紙もペンもいらないような、そんな関係になれる予感がしていた。




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