Sleep



「おはよう、大我。朝早いね」


普段ならもう少し長い眠りについている彼が何故か起きて、朝食を作っていた。朝食の当番は今日じゃないのにどういう風の吹き回しだろうか。彼の行動は単純だから、きっと何かあるだろうと算段していたら、こちらを見てニカっと笑った。

そんな笑顔を向けられて笑顔で返せるほど、私はいい女じゃない。

うまく答えられずに、いつもどおりの表情を彼に向ける。笑顔じゃなくて、眉間にしわを寄せている仏頂面。

もっと私が愛想よければ、もっと私が彼に献身的に尽くせるくらい素敵な女性だったら、あんな弱音なんて言わなかったんだろうな。ひどく泥濘とした感情がこみ上げてくるが、それは喉元にとどめて私は彼に近づいて朝食の手伝いをする。


「寝覚めが良かったんだよ、なんつーか、体が軽い」

「、そっか」


ズシリとその一言が私の心に重たい鉛を残した。昨日、私が寝る前に彼に言った言葉が軽くしたのかと思うと、罪悪感がぬぐいきれない。浮気をしたわけでもないのに、私たちというカップルはすれ違いばかりが起きる。すれ違いでとどまっているだけ、幸せなのかもしれない…モヤモヤ考えているのは時間の無駄だ、ソファに座って新聞を手にとった。なるほど、今日の午後からは雨が降るのか。新聞を無造作にテーブルに置いて立ち上がり、キッチンにいる彼のところへ足を進めた。

香ばしい朝食の匂い。眠気が勝っていたのに、匂いにそそられて空腹が襲う。くぅと私には似つかわしくない音が聞こえた。


「朝飯、食べれるか?昨日は相当酔って帰ってきたんだろ」

「お察しの通りです」


キッチンの扉に片寄り、片目の上に平手を乗せていると大我は近づいてきて私の耳の後ろや、首筋に顔を近づけた。鼻を利かせて、スンスンと匂いを嗅いでいる。ちゃんと顔も洗ってないしシャワーだって入ってないのに、無頓着なのは変わらない。大我を押し返すように、私は片手でグイグイ胸板を押しているとその手を掴んで機嫌悪そうな表情を見せる。


「…ン…まだ酒臭い。おかゆか梅茶漬けにしてやろうか?やっぱ食欲ねぇ?」

「平気、平気。大我と同じものが食べたい。シャワー入ってくる」

「ああ、ついでに身支度してこい。寝ぐせ、ヒデェぞ」


そう言って、体を翻した。「大我、今日は午後から雨が降るから傘用意しておくね」私がそう告げると気のない声で返事をする。了解した、と捉えていいのだろうか?私は一度部屋に戻ってシャワーに入る準備をする。門扉するだけで、昨日のことが蘇って頭が痛かった。




昨日、私が帰ってきたときはもう12時を回っていた。先輩の相田さんと一緒に飲んでいてこんなにも遅くなったのだ、加えて言うなら酩酊状態にまで陥った。鍵を開けて住み慣れたマンションに帰ってくると、張り詰めていた緊張が一気に溶けた。「た、だいま…って寝てるか」なんて、嘲笑いながら寝室へ千鳥足で向かった。疲れきったようにぐっすり眠っている大我。夢の中にでも私が現れたらいいのに、なんて思わない。夢の中の私が優しかったら現実の私に落胆させてしまう。
重たくため息をついて私は立ち上がり、着替え始めた。大我は睡眠中だから、起きることは稀、心配することはない。

寝る準備も済ませて私は同じベッドの中に入ろうと、端に座ると小さなうめき声が聞こえた。起こしてしまったか、なるべく音を立てないように近づいてみると彼の頬に一筋の涙が流れていた。
こんなにそばに居るのに、涙に触れられない。こんな私をどうして、傍に置こうとするんだろう?頬に伝う涙をそっと私が人差し指で掬い、もう片方の手で額を撫でる。じっとりと汗をかいていたのか私の手に、湿り気が伝わる。なんの夢を見ているのか気になるが生憎、睡魔が襲ってきて正しい判断ができないのが本音だ。


「大我、愛してるよ。これからも、ずっと」


通った鼻筋にキスを落として私は布団をかぶった。微かに大我の匂いが残っている。背中を向けている彼に、私は体を向けて逞しい背中に触れようとしたけど、起こしてしまいそうだったので、空ぶった手をギュッと握る。
寝る体勢をとり、私は目をつぶって「たとえ、それが私の一方通行でも心の奥にそっとしまって、いつか、思い出して孕む想いはただあなたのためだけに生かし続ける」と、無反応の彼に呟くように言った。



シャワーから上がって、髪の毛を整えていると「朝飯出来たからさっさと来いよ」と、エプロンつけたまま洗面所に入ってくる。なかなか直らない寝癖を指差して、数秒だけ待って欲しいと鏡を見ながら伝えると、彼は人差し指で器用に寝癖を直してくれた。私が数分間格闘していたのに、どんな魔法を使ったんだろうか。

食事が几帳面そうに整えられたテーブル、オレンジ色のクッションを手にとって私は腰掛けた。


「な、飯食おうぜ。昨日俺が言ったこと覚えてるか?」

「うーん…覚えてない、ごめんね」

「覚えてねぇ、よな。謝ることじゃねぇよ。お前が眠ってる間に喋ったからな」

「じゃあわからないよ」


「おう、わからなくてもいい」と、大我は笑う。そして、私も不器用ながら笑う。




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