Sorrow



ふつり、とスイッチを入れたように浮上した意識に、ああまたかと溜め息を吐く。素肌にかかった毛布、静かなワンルーム、背中に触れた慣れた体温。お腹に回っている腕が、後ろから聞こえる規則的な呼吸に合わせて僅かに上下していた。


また、先に眠ってしまった。そして先に目が覚めてしまった。



(……あったかい……)


背中、お腹、そして絡んでいる足からじわじわとあたたかさが巡る。
あたたかさが、痛い。




ぐちゃぐちゃに歪んで波打っている白いシーツをぼんやりと眺めながら、また、溜め息。

いつからだろう、思い出せないくらいぼやけているけれど、隣で眠るこの男にそういった感情を抱くようになったのは。わからないけれど、彼女が欲しいと常々ぼやいていたこいつとなんとなくそういうことをするようになり始めた辺りではまだ、特別そんなものは抱いていなかったことは確かだ。

どうしてそんなものを抱いてしまったのか、きっかけすらもわからない。ただ、こいつとわたしの関係を考えてみて、もしかしたら他にも同じような関係を持つ誰かがいるのかもしれない、という当たり前に存在する可能性に初めて気付いたときにまるで背中からぐさりと刺されたような痛みを覚えたのだ。
わたしの知らない誰かと、わたしと同じように肌を合わせ、身体を重ねるこいつの姿を想像してみたら馬鹿みたいにぼろぼろと涙が後から後から溢れて、止まらなくて。ああ、わたし嫌なんだ、とどこか他人事のように冷静に思いながら、そのままあつい涙を拭うことなくぼろぼろと頬を濡らした。そういえば、ちょうどその後すぐに呼び出しのメールが着たけれど、さすがにその日は行けなかったっけ。


不必要なものを抱いてしまったから、もう終わりにしないといけないと思った。そんな想いを抱えたまま今の関係を続けられるほど開き直れそうにはなかったし、何よりやっぱり、他の誰かとも、という不安が常にその感情に付いて回ってしまうから。彼女なんて明確なポジションでもないわたしには、そんなことは聞けないし。それに何より、もしも肯定されてしまったらと思うと怖くて、怖くて仕方がないもの。


自分勝手なことだなんてわかってる。けれど、わたしにはそんな風にしか自分を守る術がないのだ。散々こんな関係を続けてきて、それで気持ちを打ち明けてうまくいくなんて、そんなおめでたい思考は持ち合わせていない。



もう止めよう、さよなら。
たったそれだけで終わりに出来るちゃっちい関係なのに。



(結局、今日も来ちゃったし……)



たったそれだけが、言えなくて。

呼び出されれば出向いて、自分の中で何かを持て余していると気付けば呼んでいて。顔を合わせて抱き締められたときになって一度、何をしているのだろうわたしはと思うのに、触れられて重ねれば、繋がればやっぱり離したくないと思ってしまうのだ。


あつい息、唇、少し冷たい指先、細められた切れ長の目。掠れるわたしを呼ぶ声も、湿った肌も、落ちる汗も、触れ合って重ねて、繋がっているときだけはわたしのものだと錯覚できるから。

だから、わたしは先に眠ってしまうのだ。
錯覚したままあたたかく包まれて、眠りに落ちるその瞬間が一番、幸せだから。起きた後にこんな風に、所詮まやかしなんだと自分で自分を嘲い詰りたくなるとわかっていても。


「……名前、」


後ろからわたしの名前を紡いだその唇は、声はまだ、わたしのものだと錯覚していいのだろうか。
肌を重ねる最中にしか呼び合わない、その響きに、じわりと頬があつく濡れた。





好きなの、好きに、なっちゃったの。
なんて言えない、何も言えない。
ごめん、よしたか。




歪んで重ねて
(重ねて歪む)






すう、と穏やかな呼吸を繰り返す腕の中の名前を起こさないように細く白い背中から回した腕に力を込めた。散々揺さぶった身体を労るようにぴたりとその背中に肌を合わせる。
華奢な肩に顔を埋めて、すっかり慣れた名前のにおいに溜め息を吐いた。


いつからだろう、はっきりとしない関係を結んでいるこいつにはっきりとした感情を抱くようになったのは。

きっかけという程のことではないが、一度今から会いたいと送ったメールに今日は無理とだけ返ってきたことがあった。そっけないその文面を確認して、他に同じような関係を持つ男でも出来たのかと思って――無性に腹が立ち、そして同時にそんな自分を嘲いたくなった。腹を立てるような立場ではないだろう、俺は。彼氏でもなんでもない、ただ肌を重ねるだけの関係なのだから。


気付かない方が楽だった感情はそれから鬱陶しいくらい俺に付いて回った。名前といないときもいるときも、肌を重ねているときもその後も。――つまり、今も。

眠りに落ちる前の、繋がったその果てに吐き出したときの名前の表情が焼き付いて離れない。最初からあんな表情をしていただろうか、それともただ俺の網膜にフィルターが掛かっているだけなのか。あんなぐしゃりと心を握り潰されたような表情を浮かべた名前は何を思っているんだろうか。
気になるなら聞けばいい、実際前なら聞けただろう。そして相変わらず女心のわからない人だね、呆れて笑われたことだろう。自覚を、する前なら。


(……聞けるわけがないだろ、)


聞いたその先に待ち受けているものが、少しでも終わりを仄めかす言葉だったら。

そう思うと何も聞けない。いつからか顔を合わせて抱き締めると一度身体を強張らせるようになった理由も背中を向けて眠るようになった原因も、目を覚ました後にうっすらと残っている涙の跡の訳も。情けないとわかっているが、それでも、はっきりとした感情を自覚してしまった俺には、わざわざ自ら終わりへと近付くなんてことは出来るわけがないのだ。



すう、と穏やかな呼吸を繰り返す名前の白い頬に頭を擦り寄せる。
俺の腕の中にいるときだけでいいから、俺のものでいてくれ。頼むから。



「…………好きだ、好きなんだ、名前……っ」


ぐちゃぐちゃに歪んで波打っている白いシーツの上で、名前の柔らかい毛先がゆらりと流れていた。





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