Sorrow



じりじりと、夕焼けがアスファルトを焼く。

もうじき日がくれるが、今夜もまだ熱帯夜が続くだろう。

ボールを片付けて、ストレッチをしながら一人回想に浸った。









あれも、暑い暑い夏の終わりのことだった…










「きーせくん」

お疲れ様と笑う彼女は、黄瀬の彼女だった。
確か、中2の全中後から付き合っていたと俺は記憶している。
恋愛沙汰に疎いと言われている俺(いや、断じてそうではないと思っている)が何故そんな事を知っているのかと言えば、彼女のことを好いていたからだ。

きっかけは中1の終わりだった。
生物室に置き忘れた俺の教科書を彼女が届けてくれたのだ。
優しくはにかんで、背高いよねぇと言ったどこか抜けた彼女の顔を俺は今でも覚えている。

それから中2のクラス替えでは同じクラスになり、班は何度も同じになったし、時には席も隣だった。
それから、彼女が三軍のマネージャーであること、絵を書くのが得意なこと、黒子とよく本の貸し借りをしていたこと、黒子が三軍からいなくなってちょっとさみしいこと、オハ朝の占いのこと、そんな他愛のないことを沢山話した。
お互い特別話すタイプの人間ではなかったが、彼女との会話は不思議と弾んだ。

そうして、残暑の残る中2の九月。


「黄瀬くんと名字さん、付き合ってるんだって」

そんな会話が聞こえてきた。
ひそひそとした女子特有の内緒話のそれですら反応してしまったのは、名字という名前に反応してしまったのだろう。
そういえば、部活の練習後に彼女は黄瀬を待つようになっていた。
三軍は一軍より少し早く練習が終わるため、彼女はいつも桃井の手伝いをしたり、黒子の介抱をしたりしながら黄瀬を待っていた。

その姿は、黄瀬の彼女として立派に人事を尽くしていて、何事にも人事を尽くす彼女らしいと思った。
黄瀬の隣にいる彼女は輝いていたから、自身の想いには蓋をした。
これまで通り良い友人として付き合っていけばよいのだ、と自身に言い聞かせた。
この想いは友人の延長。
友人が自分に構ってくれないだけでヤキモチを妬くなどみっともない。
そう思い続けた。
けれど、校舎裏で黄瀬と彼女の口づけを見てしまった日の夜、布団の上で目を閉じたら、生ぬるい何かが頬を濡らした。

幸せなら、それでよい。

彼女を想う気持ちをそう思うことで解消させたつもりだった。


だが、その兆候は突然訪れた。
赤司の豹変後、キセキの世代に練習参加の自由が言い渡されてから数ヶ月後のことだ。
黄瀬が見知らぬ女子の肩を抱いて校門を出て行くのを偶然目撃してしまったのだ。
その日、一軍で起きたことを知るはずない彼女は寒い中一人黄瀬を待っていた。

黄瀬が練習をサボるにつれ、彼女の笑顔は減った。
それでも黄瀬の隣にいるときは精いっぱいの笑顔で黄瀬に接していた。
黄瀬の冗談に、本当は笑うことさえ辛かった筈なのに無理やり笑うその姿はとても痛々しいものだった。
後から聞けば、彼女は黄瀬と付き合っていたことで派手な女子グループからイジメを受けていたらしい。
当時、そんなことは知らなかったが精いっぱい黄瀬の為に人事を尽くす彼女を何故黄瀬は大切にしないのかと怒りがこみ上げた。
そして、笑顔なのに泣きそうだった(少なくとも、俺にはそう見えた)彼女を見ては俺も悲しくなった。


そうして更に時が経って…

三度目の全中が始まった。
この頃には黄瀬と彼女が一緒に帰ることは殆どなくなっていた。


そして、中学最後の全中が終わった。
始まった二学期の初日、引退の場に顔を出した後、たまたま彼女と帰りが一緒になった。

「まだ暑いねー」

そんな会話で始まったと思う。

それから軽く世間話をして、ちょうど人通りの少ない道に入った時だった。
彼女は黄瀬に呼び出された、と悲しそうな顔で笑った。


「明日、決着がつくと思うの。」

色々話聞いてもらって、心配して貰ったのに、ごめんね。

泣き出しそうな顔で謝る彼女に、押し込めた筈の感情がむくりむくりと起き上がっていくのを感じた。
そうだ、俺は彼女が幸せになるならと思ったのだ。
こんな風に悲しませる為に、辛そうな顔をさせる為にあの時諦めたわけではない。

「なんか、悔しいなぁ」

結局、好きだったのは私だけだったんだねぇ。

まだ蝉の鳴き声のうるさい残暑の残るある日。
小さく呟かれた言葉は、蝉の合唱の中に消えていった。

その言葉が消えていくと同時に、俺は彼女の右手を掴む。

「名字」

目尻に溜まった涙が、俺の方を向くと同時に一筋こぼれた。
そのまま、彼女の右手を引き寄せて頭を自身の制服に押し付けた。

「あの時の、生物の教科書を届けてもらった借りの分だ」

そうして片方の手で柔らかい彼女の髪を撫で、もう片方の手は背中に回した。

「なつかしい、なあ…良かったのに、そんなの」

そういいながらも声が震えている。
ワイシャツを通して、生ぬるい何かが素肌に触れた。

それは一年前に俺の頬に伝ったものと全く同じそれだった。


「名字」


抱きしめた彼女の耳元に唇を寄せて、あの時告げられなかった想いを告げてしまおう。
卑怯だと罵られてもいい。
人の彼女に手を出した、と後ろ指を指されてもいい。
もう、後悔はしたくない。










制服に内緒話




彼女は一瞬驚いたように身体を跳ねさせたが、再び俺の腕の中で涙を流した。

その涙は何だったのかは、今でも彼女しか知らない。

その翌日、彼女は黄瀬と別れたらしい。

そしてそれから一年経った今、彼女は俺の手を取り笑っている。

俺の大好きな、あの笑顔で。


「しんたろー」

明るい声がして、振り返る前に彼女は俺の隣に並んだ。

「お疲れ様、帰ろう?」

俺の横で笑う名前の笑顔は、あの頃と同じでとても明るくて眩しい。


「まだ暑いねー」

高尾や先輩達に一通り冷やかされてから帰路についた帰り道、ふとまた一年前が懐かしくなった。
それは彼女も同じようで

「真太郎、私今すっごく幸せ。だから、ありがとう」

だーいすき、なんて恥ずかしいセリフも彼女が言うと可愛らしいから不思議だ。


「俺も今、幸せだ」

ありがとう。

そう言うと彼女は心底幸せそうな顔で笑った。




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