Holiday



それは、痛いくらいの快晴の、夏の日のことだった。

「海に行きたい」

「そんなの、親に言えば連れて行ってもらえるんじゃないか?」

「そうかもしれないけど、あたしは森山と行きたいの」

ここ、神奈川という県は海に面してはいるものの、彼らの住む町は内陸部にあり、それを見るためにはバスか、はたまた電車か。当時、少年少女は6歳。兎にも角にも、幼い彼らが2人だけで行ける場所ではなかった。

それでも、自分と一緒に行きたいのだと言われた少年は、「しょうがないな」と零し、少女の手をとった。

見慣れているはずの町が、その日ばかりはどこか異国の地に見えた。どのバスが沿岸部に向かうのかもわからない。電車なら尚更だ。彼らは互いに手をしっかり繋いで、アスファルトに揺らぐ陽炎を踏みつけた。

「ねえ森山。海まであと、どのくらい?」

「もうちょっと、かなあ」

そんなやりとりを8回ほどしたところで、見上げていたはずの太陽が進行方向に見えていることに気づく。空は茜に染まっていた。

「もう、帰ろうか」

「海、行きたかったなあ」

「…しょうがないよ」

そうは言いながらも、少年は肩を落として瞳を潤ませる少女に、やるせない気持ちを隠せなかった。自分がおとなだったら。なぜ自分はこどもなのか。自分は大好きなひとを喜ばせることもできないのか。少年はただひたすら、無力な自分を責めた。

「大きくなったら、オレがちゃんと、連れて行ってやるから…」

だから今はこれで我慢して、と少年はポケットからビー玉を取り出した。海に空を映したような、そんな澄んだ青のビー玉を3つ、少女の小さな手に握らせた。

「…約束だよ」

少年は自分よりひとまわり小さな少女を背負い、夕日に背を向けて歩き出した。



今年は最大寒波なるものが何度も何度もやってくる寒い冬で、オレたちの住む土地にも、現在進行形で雪がちらついている。

「そういえばそんなこと、あったねえ。…てゆうかあたし、めっちゃ面倒臭い女じゃん」

彼女は投げ出していた脚を曲げると体育座りをして、腕の中に顔をうずめた。

「今だってそうじゃないか」

「うー、ごめんなさい。そうだよね。付き合ってもいないのに森山の部屋に入り浸って、あたしって本当に迷惑女だよねえ」

彼女にとってはただの幼なじみ。オレに言わせれば友達以上恋人未満。オレたちのそんな関係は今も、あの頃から変わっていない。いつの間にかオレは、“彼女のいちばん近くにいる男友達”というポジションに満足してしまっていた。無論、満足しているはずはないのだが、“満足せざるを得なかった”のだ。

オレはあの日、大人になったら彼女を迎えに行くと、誓った。自由になったら、彼女のためになんでもしてあげると。もう二度と、彼女の悲しむ顔は見たくない。

「行くか、海」

「え!今、冬だよ?」

「ああ。できれば今すぐ」

「今すぐ!?」

オレの言葉に顔を上げた彼女は、ただ大きな瞳を見開いて、ぱちくりとまばたきを繰り返した。そして睫毛を揺らすと立ち上がり、きゃらりと笑った。

「まあ、いいよ」


さあ、出かけようか。
あの日、行ってもいない海に置いてきたことばを取りに。




back