Hand



昔から、それこそ幼稚園に入る前から、私の手を引くのはいつだって涼太ただ一人だった。
人より要領が悪くて物を覚えることが苦手で、美人だとか運動ができるだとか、何か周りの人より秀でているものも無い。
そうなればクラスの中に自然と存在するヒエラルキーの最下層になったのは、ある意味ごく普通の成り行きだった。

『でーんでんむーしむーし』
『かーたつむりー』

幼稚園に入った時も、やんちゃ盛りの男の子達の虐めの標的は私だった。梅雨の時期になれば動きの遅いカタツムリだと馬鹿にされたし、お気に入りのワンピースに泥水もかけられた。

『なにやってんの、アンタら』
『なんだよ涼太!じゃますんなよ!』
『バカ、しんぱいしてやってんの、そいつに近付くとノロマがうつるでしょ』

鮮明に思い出せる記憶。そう言えばあの時だって、助けてくれたのは涼太だった。言葉で丸め込んで男の子達を蹴散らして、それから泣きじゃくる私の手を優しく握った。泣き止まない私に戸惑って、『どこか痛いの?』なんて的外れな言葉をかけてくる位には、まだ幼かった彼も動揺していたらしい。

手を伸ばしたら届く距離。近いか遠いかで言えばとても近い。だけど、踏み込めない。私から踏み込んではいけない絶対領域な気がして、どうにも私達は、この距離を変えられないでいる。
海常高校に入学しても、それは変わらなかった。涼太は私だけに無条件に優しい。たとえ涼太に彼女がいても、当たり前のように甘やかされて優先される。

「名前、鼻赤い…寒いんスか?」
「マフラー家に忘れちゃって…」
「仕方無いなー、特別ッスよ?」

ふわり、と冬の匂いに混じって涼太の匂いが間近にした。
私の首にかけられたのは涼太のマフラーだった。ぽかぽかと暖かい。
私より背が高い彼を見上げる。ありがとう、と告げた声は小さかったが、涼太はしっかり聞き取ったらしい。どういたしまして、といつも通りの優しい笑顔で言う。

「今週末の試合、見に行って良い?」
「あー、良いッスよ」
「差し入れ持って行くね、久しぶりに笠松さん達にも会いたいし」
「森山先輩に絡まれたらソッコー逃げて」
「…努力する」
「………心配なんスけど」
「…ご、ごめん」
「まあ、俺が守るから良いや」

帰ろうか、と涼太が私の手の引いた。

今はまだこのままで良い、居心地の良いこの距離のまま。暫くは涼太に甘やかされていたい。誰にともなく願ってみた。




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